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おとな?

また一つ年を取りました
20歳
節目って言われたらそれっぽい年だなと思います

最近はフィルムカメラ沼です
カメラで見る世界面白くて、ついには一眼レフ真剣に悩み始めました。買うか買わないかじゃなくて、機種…(はやいです)
あとはタスクに追われたり音楽作ったり、相変わらずです

この1年もそうやって何かを作ったり、世界をクリエイティブに見続けられたらいいな

学年ももうすぐ上がるのもあってか、
いろんな人からお仕事のお話を聞いたりすることが多くなって
もう少ししたらぼくもそっち側にいるのかな
なんて考えることも増えました

考えると、同時に、歯車っぽくて嫌だなぁ、と思ってしまうこともあって、
だけどそう思ってしまうのは、なんだか今の社会を作ってくれてる人たちに申し訳ないような気もして、歯車だと自覚しているのに社会を動かしているのは彼らで、当たり前に、なんでもない道を選んだら自分も間違いなくそっち側にいるはずで、嫌だとか、そんなことを言っていられるわけもないのかもしれないです

20歳、って、なる前は
おとなだなって思ってました

お酒飲んだり、ある程度自分でなんでもできる、みたいな印象

なってみたら、19歳の昨日と変わりなくて、
大人になったとは感じられなかった

あんなに待っていたはずの20歳も、なってみたらあっけないものだ

お酒が飲める、っていうのは紛れもない事実だけど、
自分がお酒に弱かったら結局飲めないし、せっかく飲むなら楽しい飲み方を覚えていきたくて、寂しいとか虚しいお酒は嫌だなぁって思います。
(自分の性格上、きっと寂しいお酒が増えるんだろうなぁ、この先)

でも、自分でなんでもできる、は20歳にならなくてもそうかも
今のインターン先やるって決めたのは過去の自分だし、音楽作るって決めたのもやっているのも自分だし、友達と旅行行くのも、フィルムカメラ始めたのも。お金だってある程度は稼げて(そこまでだけど)、好きなことに自分でお金を出せる。

あれ、意外と20歳ってなんてことない?

大人、おとな、って、なんだろう

社会人のこと? 歯車になることを選ぶこと? 商業で自我を殺してでも戦うことを選ぶこと?

そうやって考えてみたら、大学生で、学生の身分のぼくは、まだ大人にはなりきれてないんだと思います

将来なにをするにしたって、自分が心の底からやりたい!だけではやっぱり生きていくのは難しいんだと痛感してばっかりで、それがわかっているのに、だけれどそれが嫌だなんて言ってしまう自分は、まだ社会人としては出て行けないし、それ相応の、歯車になる覚悟も、自我を殺してものづくりをする覚悟も、まだなくて、どうしても、ぼく、を持った人生を選びたいと思ってしまう

すごく悔しい

あんなに子供の頃かっこよくて憧れていたものは、
だんだん近づいてくると、実態がわかるようになってきて、
いつか嫌いなものになってしまいそう

どうして、歯車でも選べるんだろう
どうして、戦わなくちゃいけなくても選べるんだろう

なにがそこにあるんだろう

ぼくにはそれが見えないのが悔しい

誕生日迎えて最初のnoteなのに、なんか暗いね笑

でも、20歳になって、社会に向き合ってみたら、
まだこどもの、自由なまま、生きたかった、本心だった

おとなってなんだろう
どうやってなっていくんだろう
気づいた時には、振り返った時には、「あの時は子供だったな」なんて感じるのが大人なのかな
子供っていいなぁ、って憧れてしまうのが大人なのかな

そうだとしたら、


ネウ


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