僕が僕であること
六月だから自分の性別のこととか書くね、って言いながら流れてしまいそうになった時間を取り戻しにきました。
大学では「僕」と名乗れるようになったことを前に書かせてもらったように覚えているけれど、あれから、またたくさん悩んで今日もこの世界に立っています。
どれだけ僕が「僕」であろうとしても、やはり家の中ではお母さんにしか言えなくて、「私」って言ってて、隠し続けてる。
家の中で「私」っていうのはあんまり好きじゃなくて、でも、家族に見放されるのは怖くて、どうしても求められる僕を演じています。
それからもう一つ、「私」を名乗っている居場所があります。
でも、そこは、僕が自らそう名乗る、と選んだ居場所。自分のことを全面に出して、自分がありたい自分でいるよりも、誰かに過ごしやすい空間であってほしいし、僕はその場で脇役で、サポーターであり続けたい、と思ったから、そこに関わる間は、その居場所では「私」と名乗ることを決めました。
「僕らしくないな」って思うこともあるけれど、誰かのために選べるこの一人称は少しだけ好きです。
私であることも、僕であることも、最後はネウであることに変わりはなくて。
可愛い格好をすることも、カッコ良い格好をすることも、ネウを見せるために変わりはなくて。
最近はどんな自分も、自分がその場所でそんな自分でありたい、と思えるなら、それが自分なんだな、と受け入れられるようになりました。
中性に生きる、というよりかは、
僕の人生を生きる感覚に近い。
誰にもこの生き方は真似できないって生き方がしたい。
誰かと一緒がずっと嫌だった僕が、ようやく自分を認めてくれる人や場所に出会って、そこでようやく僕が僕でいられるように、僕自身が努力をして、やっと僕の人生を歩めているような気がする。
たくさん回り道もして、たくさん迷子になって、いまだに迷子の旅を続けているけれど、どんな生き方をしていても、やっと、僕らしい、と思えるようになりました。僕にしか描けない僕の人生なんだな、と思えるようになりました。
綺麗事みたいに聞こえるかもしれないけれど、
そんな自分の生き方が今は少しだけ好き。
僕にとって性別は生まれた時の付属品に過ぎなくて、その性別だからって言って、その枠に収まってはいたくない。
あるべきことを教えられて、押し付けられて、たくさん自分を曲げて生きてきたし、自分ってなんなんだろうってたくさん悩んだ。
でも、どんな性別であっても、今いる僕はずっと変わらないんだろうな、と思う。どんな性別であっても、生き方は曲げないで生きたいと思う。
たくさん悩んで生きてきたからこそ、僕として生きることも、私として生きることも、少しずつ肯定できるようになってきたのかな。
でも、やっぱり自分のことは嫌い。
好きになる予定もない。
僕はずっと僕が嫌いだし、だからこれ以上嫌いにならないように新しい自分でいたい。
ネウ。またどこかで。
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