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リーダーの形

こんにちは、ねうです。

少し旅をしていて、

クリエイトなことをしながらも、得意なことで貢献しながらも、自分の苦手なこと嫌いなことと向き合って、向き合って、自分なりの答えを見つける旅になった。

その旅を始める前から、

「自分にはリーダーという立場が向いていない」

と思っていた。

理由としては、前に立って、何かを進めていくことへの苦手意識と、私じゃなければもっといいことができるはずなのに、という自己肯定感の低さと、これまでの経験上、自分が上に立つことで、たくさんの失敗をしてきてしまっていること。

これまで

小学校の時には、児童会長を務めたことがあった。
そこでみんなをまとめていたか、というとそうでもなく、ただ大事なイベントの時に前に立って少し話す程度で、児童会のメンバーと話し合いをするにしても、先生が常に間に立って、先生が進めていてくれていたように覚えている。
ここでの失敗は、自分のことばかりに囚われて、児童会のメンバーのことをちゃんと見ようとしなかったこと。自分の仕事に囚われて、周りをサポートできなかったこと。
小学生ながらに、きっと私じゃなかったらもっとみんなをサポートできたはずだったのに、先生に言われたことと、自分が持っている仕事しかしない私が児童会長でいいのか、と悩んだ記憶が残っている。

中学生の時には、部活で部長を務めた。
前の代と打って変わって、自分たちの学年の部員の少なさと意識の低さ、そこから生まれた後輩の意識の低下。それとずっと向き合っていた。中学生にもなると、それなりに独立した形でリーダーをしていかなくてはならなかった。私と副部長の友達はタイプが正反対で、できることも正反対で、だから、その現状に対して、お互いがお互いにできることをしていたように覚えている。
結果として、根本的な問題は変わらなかった。意識が低い、と思っていたのは私だけだったのかもしれないとその時に思った。
「何のために部活をしているのか」という部分に対して、みんながみんな違う答えを持っていて、だからその場の雰囲気をどう作っていくべきか、に対しても、みんなが別々の答えを持っていたのだと思う。その中で、どうしたら最後にいい形で終われるのか、ずっと考えていた。
卒部の時期に、お茶会を開くのが恒例だった。それへの準備に追われて、また周りに対して行動ができなくなった時期があった。そうしている間にまた環境が変わって、また意識が下がって、できる人とできない人の差がどんどん生まれていた。差が生まれるのは、その人なりの答えがあるのだから仕方なかったけれど、その答えがメンバーに浸透して、環境が変わるのは嫌だった。
他の人が部長になっていたら、こんなふうにならなかったんじゃないか、副部長まで巻き込んでしまわなかったんじゃないか、と色々な考えが巡った。
中学生でも、また、自分に振られた物と自分が周りに対してやらなければいけないことへの折り合いがつけられなかった。小学生の私と変わったのは、自分のことよりも周りに対してやらなければいけないことに集中したことだった。だから、自分がその部活に対してしたかったこと、その部活でやりたかったことはできなくて、部長になってから見え始めた問題とずっと向き合っていた。
最後にいい形で終われたか、というとそうでもない。個人としての達成感はあっても、同じ学年の部員との協力や助けで起こる、みんなでの達成感は私はあまり得られなかった。

旅の中で

旅の途中で、自分の想定していたものと、実際にそこにあったものに対するギャップが大きくあった。私は自分の想定内がいかに小さかったのかを思い知った。自分やチームとしてもっと想定内を広げておけばよかったのではないか、と絶望した。

旅は絶望から始まった。

1日目

その日のディスカッションは思うように進まなかった。
自分たちが持っていたことが、その場にきて通用しないように感じた。だから、0から1にしていたものを1から0に戻して、また0から1を作っていくべきだったのか、0から1のものを改善して1から2にすべきだったのか、わからなくなった。
思っていた環境とは違って、自分たちが持っているものより、その場にあるものの方が遥かによく感じた。

その日のディスカッションが思うように進まなかった原因は、私が絶望しすぎて、周りにまで気を配れなかったことだと思う。

自分の中で抱えていたもやもやばかりを解決したくて、みんなの中のもやもやを聞くこともしなかった。

わかっていたのは、「思っていたのと違う」がチーム内みんなが持っていたこと。

そんな自分をその日の終わりに振り返ってみて、タスクを振るのもそうだけど、何より自分のことしか見えていなかった自分を省みて、「リーダーには向いていない」と思うようになった。

もっと周りが見えていたら、きっとその次の日にやりたかったこともできたはずだった。

それも自分を不甲斐なく思わせた。

その日まで、私がリーダーだと思っていたものは、
「タスクをみんなに均等に振りながらも、各々の長所を活かして、その人がやりやすいようにしながら、意見を出すときは出して、話し合うときは話し合って、その意見を最終的に一つにまとめていくための存在」
だった。

そのうちの「タスクを割り振ること」「各々の長所を知ること」「話し合うこと」「意見をまとめていくこと」「誰かの上に立つこと」が、私は生きている中で苦手と感じていたものだった。

2日目

旅の二日目で、その前日に決めたことが何一つできない絶望を味わった。

その原因も、前日にみんなで目線合わせをする時間を私が取れなかったことだと思う。

何をすべきかわからず、自分たちの持っているものに対して何もできず、目標を作ることもままならなかった前日のことがあって、旅の二日目も思い通りに進まなかった。

二日目は、みんなの目線合わせをするための話し合いから始まった。
他のどのチームよりも遅いリスタート。他のチームは、前日に立てた目標をクリアするために行動を起こしていたけれど、結果的に私のチームはその目標の一つもクリアできなかった。

それでも、目線合わせをしてよかったと思っている。

結果的に、みんなの熱量を同じところに同じだけ注げたし、目線を合わすだけで、現状がちゃんと見え始めた。そこから、「今日何をすべきか」がどんどん見え始めた。タスクがどれだけ多かったのかにようやく気づけた。

目標はクリアしなきゃいけない、と思っていたけれど、案外そうではないのかもしれない。クリアしなきゃいけなかったけれど、それ以上にみんなが同じ方向を向くために目線合わせをする方がよほど大切だったと今ならわかる。

二日目に、やりたかったことが全部できたか、というとそうではなかった。それでも、初日よりも周りが見えるようになって、現状を把握できるようになって、自分たちにあるタスクが何かわかるようになって、そのタスクがどんどん増えていく感覚を味わって、自分にできること、できないことがもっと明確にわかるようになって、自分にできることでチームに貢献できる喜びを知って、その日の最初に立てた「自分ができることを精一杯やりながら、リーダーは向いてないかもしれないけど、自分にできることでチームを前進させたい」という目標に近づく感覚を得た。

その日一番働いたのは、私たちのチームだったかもしれない。

真っ暗な中から、少しだけ光を見た感覚を知った。

3日目

旅の三日目は、リーダーとはまた違う、自分の苦手なことと向き合う時間になった。それは、生きている中で一番大切で、一番苦手なことだった。でも、やってよかったと思う。それをする中で、リーダーとしての「やらなければいけない」という責任感もあったし、私がやらずしてどうしてみんなができる、という気持ちもあった。けれど、何より、この二日で自分が苦手だと思っていることに向き合ってきたのだから、別の苦手なことにも挑戦してちゃんと向き合わなきゃいけない、という気持ちが大きかった。

旅の三日目の午後で、またリーダーの役割について向き合っていた。
現状を理解すること。これまでを理解すること。ここにきて何をしたか明確にすること。そこから私たちができることを考えること。そのプロセスに従って、話し合いをしていた。その旅の中で、自分が一番「リーダーぽいことができているな」と思った瞬間だった。自分が知っていたリーダーの形ぽいと思った。

4日目

四日目も、またリーダーとも三日目の苦手なこととも違う、別の苦手なことと向き合った。それは、いつも誰かに背中を押してもらって、ようやくできていることだった。どんな時でも誰かが背中を押してくれた。

その苦手なことがちゃんとできるようになったか、というとそうではない。誰かがいて、誰かが背中を押してくれたからできたことだったし、その苦手なことがちゃんとできるようになるときはきっと、誰にも背中を押してもらわないでも、自分から進んでできるようになるときだと思う。

それまでは、まだ向き合って、挑戦していきたいと思った。

リーダーの形

ここまでリーダーの形と向き合ったのは初めてだった。

苦手だと思っていたことに対して、自分なりの答えを見つけることができた。

私ができるリーダーの形は
「現状を理解して、それをみんなで目線合わせをすること。そこから生まれてくるタスクをまずは適当に割り振って、できないならみんなでやっていくこと。誰か一人にずっと話すのを任せるんじゃなくて、ポストイットに全部書き出してもらうこと。リーダーとしての背中を見せるんじゃなくて、自分ができることで貢献できるように頑張ること。」
だ。

ただただサザエさんのEDみたいに一人がこっちだよって引っ張るんじゃなくて、まずはちゃんと自分たちが置かれた状況を整理して、そこからみんなで引っ張り合うことなのかもしれない。その時にきっとみんなが引っ張ってきたことを合体させるのがリーダーなのかもしれない。

リーダーにできるのは。

自分にできることだけ。

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