弱さは、ときに最強の武器になってしまうと知る。~『おいしいごはんが食べられますように』著 高瀬隼子 を読んで~
私は数年前から定期的に読書会に参加しています。
「読書会ってなに?」という方に少しご説明すると、単純に本好きが集まって「あの本が面白かった」「この本を読んでこう思った」などとお話する会です。
もっと学術的に読み解いたり、課題となる本をみんなで読んだりすることもあります。が、総じて単純に本好きの集まりです。
その読書会で昨年、何人もの人が「この本がおもしろかった!」と言っていたのがこちらの本。
おいしいごはんが食べられますように 著 高瀬隼子
第167回芥川賞を受賞した話題作でもあります。
タイトルだけを見たときには、「グルメ系のほのぼの小説かな?」なんて思っていたのですが、全く予想を裏切られました。いい意味で。
アマゾンから引用したあらすじはこちら↓
同じ職場で働く3人にスポットライトを当てた小説。
作中に登場する芦川という女性は、優しくて気弱で親切な女性。いわゆる「守ってあげたい」と思わせるような、心身ともに弱さが見え隠れする。そのため、仕事上本人とって負担の重い業務は暗黙の了解で違う人が対応することになっているなどの微妙な優遇がある。
それに疑問をもった後輩の押尾は、同じ職場の二谷という男に芦川に「いじわるしませんか」と誘いをかけていきます。
立場や特性、何かしらの弱さを持っている人に対して、合理的な配慮をするのは当たりまえのこと。むしろ、その配慮をしないことの方が問題になる昨今。
しかし、その配慮によって生まれたしわ寄せは誰の元にいくのだろう?そんなことを突きつけてくるこの小説。
人間関係において、弱さや被害者はときに一番の武器になったりする。そしてその武器は実態のない、分かりづらい武器だったりする。その武器をかざされたときに、やり返そうとすると自分自身がまるで冷徹で人間性が幼いかのように言われてしまう。
そりゃあ、お互い人間同士が働いているわけなので体調が悪くなったり、ミスをしたりすることは必ずあります。それをお互いにフォローし合うのは自然なこと。というか、必要不可欠ですよね。
だけど、その「持ちつ持たれつ」の天秤のバランスが崩れるとき、不平等感や理不尽さが胸に生まれてしまう。
「私ばっかり損してない?」
こういう事って、口にすることすら少しタブーにされているような雰囲気があったりするのでこうして小説として読むと、
「少しわかるな」という共感する気持ちと、「もしかしたら自分もそう思われているのかもしれない」という恐ろしさ。その対立する気持ちを抱えながらも、ページをめくる手が止まらなくなりました。
人は迷惑をかけずに生きていくことは出来ない。だからこそ、相手の迷惑も許して受け入れるべきだ。そうどこかのことわざで言われているのを聞いた時、その通りだなと思いました。
けど、そのなかで生まれる心の葛藤や不満。弱さをアピールして配慮してもらう事の強さ。そんな決してきれいではない面も、必ず存在し人間関係において影響をしているんだという事を忘れないようにしたいと思いました。
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