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罪悪感の肩代わり

近況まとめ。
長いです。
いつも大学のレポートかってくらいの文量書いてしまう。
もっと小出しにすればいいのにね。
ちなみに、相変わらずパソコンのキーボードは直らないままです。
困りました。いや、実はそこまで困っていない。
パソコン使えなくても、無きゃ無いで意外と生きていけるものですね。


シャカシャカ済みポテト

ドムドムバーガーを初めて食べました。
選んだのはビッグドムチーズのセット。
久しぶりに、ポテトをシャカシャカするあのワクワク感を味わいたいと思って、わざわざプラス100円払って普通のポテト(M)を「シャカリポ」にグレードアップしました。
コンソメかのり塩かで迷った挙句、コンソメに。

シャカシャカポテトとか、フリフリポテトみたいな、それっぽい名称はすでに商標登録がとられていて使えなかったのか、真意はわかりませんが、ドムドムバーガーでは袋をフリフリしてシーズニングとポテトを混ぜ合わせて食べる類のポテトを「シャカリポ」という名称で売っています。
「シャカ」と「ポ」はわかるけど、「リ」がどこから来たのかわからない。
語感をよくするために1文字加える必要があったのでしょうが、語尾の「リポ」の影響で、私はどうしても「リポビタンD」が真っ先に頭に浮かんでしまい、もう少し良い名前はなかったかなと、ポテトを食しながら考えを巡らせていました。

そんなことはさておき。

商品の受け取りを待っている間、特にすることもないので厨房の方をぼーっとみていました。
すると、調理担当らしきお姉さんが、白い袋をシャカシャカと振っていました。
あれはもしや、私のシャカリポ……。

私はとてもショックでした。
自分で袋に粉をいれ、シャカシャカしたかったがためにわざわざ100円多く払ったというのに、シャカシャカポテトの醍醐味である「シャカシャカする」という工程をお姉さんにやられてしまったのです。

私はコンソメ味のポテトが食べたくて100円多く払ったのではありません。
「ポテトが入った袋をシャカシャカする」という体験をするために100円を払ったのです。
あらかじめ、「こちらでシャカシャカしてよろしいですか」とかなんとか聞いてくれたら、「自分でやるので大丈夫です」とか、「そちらでやるシステムなら、ふつうのポテトで結構です」とか言えたのになあ。

というか、「シャカシャカ」済で提供されるポテトは、もはや「シャカリポ」でもなんでもなく、ただの味付きポテトでしょうが、なんて心の中で毒付いてしまいました。
ドムドムバーガー関係者の方がもしこれを読んでいたら、粉を別添で提供することをご検討いただけますと幸いです。


罪悪感の肩代わり

賞味期限切れのおにぎりをもらう、という稀な体験をしました。

ついこの間まである地方へ短期バイトに行っていたのですが、そこのスタッフのおじさんが「昨日の夜ご飯にしようと思ったけど食べなかったからあげる」と、おにぎりを2つ手渡してきたのです。
ちなみに、2つとも味は梅でした。

賞味期限が切れていることはそのおじさんも気づいた上で渡してきているようでした。
しかもその賞味期限、少し過ぎているなんてものではなく、たしか一昨日の深夜とか、そのレベルでした。

私は、おにぎり屋でバイトをしていた経験があるがゆえに、「おにぎりは手作りが1番旨い。コンビニやスーパーでは出来る限りおにぎりを買わない」というちょっとしたこだわりがあるので、渡されたおにぎりを食べるつもりはありませんでした。いわんや賞味期限が丸2日ほど過ぎているおにぎりをや。

ところが、私が「いらないです」というより早く、おにぎりを渡してきたおじさんは立ち去っていました。
不本意にも2つのおにぎりを保持したままの私。

翌日、おにぎりを返却しようと思ったものの、おじさんはその日から3日ほど休みを取っていました。
返却しようにも、早くて4日後。
それまでにおにぎりが腐って異臭を放ったりしたら嫌だな、と思いながら、どうにかおにぎりの運命を救おうと、一応周りの人に「おにぎり食べますか」と聞きましたが、誰1人として「欲しい」と言う人はいません。そりゃそうです。
4日後におじさんに返却しても、彼はおにぎりを食べないだろう、と思った私は、仕方がなく、おにぎりを廃棄することにしました。

ごめんね、と呟きながら、おにぎりをそっとゴミ箱へいれました。
食べ物を捨てる、という行為は、とても心が痛むものです。
おにぎりは誰にも食べられることなく、燃えるゴミと化しました。
私の心は、本来食べることのできた食べ物をゴミにしてしまった罪悪感、おにぎりに、食べ物としての使命を全うさせてあげられなかった申し訳なさでいっぱいになりました。

でも、よくよく考えれば、この罪悪感は、私が感じなくてもよかったはずのものです。
どうして私がこんな悲しい思いをしなきゃいけないんだろう、とおにぎりを捨ててしまった数時間後にふつふつと怒りが湧いてきました。

賞味期限切れの食べ物を人に渡してくる時点でおじさんの頭はどうかしてますが、私は「賞味期限切れの食べ物を渡してきたこと」よりも、「食べ物を捨てるという罪悪感を、何の関係もない私になすりつけたこと」にものすごく腹が立ちました。
本来、「捨ててしまってごめんね」という罪悪感や申し訳なさは、おにぎりを買った張本人であるおじさんが背負うべきものです。

ところが、食べないおにぎりを人に半ば強引に渡して、捨てる罪悪感を免れたおじさん。
せこすぎます。
こうして私は、おにぎりを受け取ってしまったことにより、罪悪感を肩代わりするという経験をしたのでした。


年始にやりたいことリストを作ることについて

この間、ヴィレッジバンガードに行ったら、『ちいかわ』コーナーに「やりたいことリスト」が売っていました。

ちいかわたちがやりたいことリストを作成する場面があるんですかね。
私は『ちいかわ』をちゃんと追っていないので、正しいことはわかりませんが、
社会の荒波に揉まれ、夢や希望を忘れかけていた大人たちが、『ちいかわ』に触発され、「やりたいことリスト」を購入し、少しずつ自分のやりたかったことを思い出し、人生を良い方向へ変えていこうとする姿を想像し、なんかいいなと思ってしまいました。

かくいう私も、ここ3年くらい、毎年やりたいことリストを作っていました。
でも、今年はやりたいことリストを作ることをやめようかと考えています。

この前、やりたいことリストを作っていたことを久しぶりに思い出し(私にとってはそれくらい、やりたいことリストは存在の薄いものなのです)、どんなことを書いていたっけ、とのぞいてみました。
すると、70個くらいあるうちの、10個も達成できていませんでした。
少し落ち込みました。
やりたいことリストはいつも、年末には「できなかったことリスト」へと姿を変えてしまっているのです。

でも、やりたいことリストに元々書いていなかったけれど、達成できたこともあるし、リストの達成度は低かったものの、今年の自分の生き様にはそれなりに満足しています。
それに、最近は物事にはタイミングがあるという考え方をするようになりました。
本当にやりたいことって、やりたいと頭で考える前に体が動いているもののような気がするし、やりたいけどできていないことは、きっとまだその時期が来ていないだけ。
やりたいことリストが達成できていないことに対して、そこまで落ち込むことはないはず、と自分に言い聞かせます。

そもそも、1年もあれば、やりたいことの内容も少しずつ移り変わっていくはずです。
実際、今年の初めに作ったやりたいことリストを見返したら、これなんでやりたいと思ってたんだっけ、ということがいくつかありました。

一年、決して何もしていないわけではないし、できたことはたくさんある、はず。
なのに、やりたいことリストというもののせいで、できなかったことに目を向けて、必要以上に落ち込むのはもうやめたい。
そんなこんなで、やりたいことリストを作るのはやめようかと考えています。

ただ、やりたいことって、生きる上での道標みたいな役割を持っていると思うし、やりたいことについて考えるのって楽しいです。そういう未来に目を向ける時間はきっと必要なものだと思います。
だから、年の初めにばあーっとリストアップをして、やりたいことで自分をがんじがらめにするのではなく、やりたいことが思いついたらさらっとメモしておく、やることがなくなって暇になったな、最近人生が落ち着いているな、刺激が欲しいな、と思ったときに見返してみる、くらいの軽やかさで、来年は生きていきたいと思っています。


アニメや漫画という言語

10月の頭に内定式がありました。
式後に内定者の飲み会があったのですが、そのとき、周囲の人たちが、あまりにもアニメや漫画への造詣が深くて驚いたというか、何について話しているのか全くわかりませんでした。

私は小さな頃から、あまりアニメや漫画に触れることなく生きてきました。
私がわかる数少ないアニメや漫画は、ドラえもん、サザエさん、ちびまる子ちゃん、ちょっとだけコナン。あとポケモン(ブラック2まで)。ゲームやってたからモンスターの名前くらいはわかる。

別に、アニメや漫画に触れることを止められていたわけではなく、やろうと思えばそれらに自由にアクセスできる環境ではありました。
ただ、私にとってはアニメや漫画よりも、小説や音楽の方が心惹かれる存在だったため、今日まであまり触れることなく生きてきてしまいました。

大人になってわかったのは、アニメや漫画は一種のコミュニケーション言語だということです。
小さい頃って、勉強することが何よりも偉くって、漫画を読んだり、アニメをみたり、ゲームをしたりすることは「娯楽」、そんなことより勉強しなさいと大人の人はよく言っていたけれど(カツオくんとかのび太とか特にそう)、
実際アニメや漫画によって知ったこと、身につけたことって、大人になってから、人と仲良くなるためのツールとして生きたりするんですね。
あとあと効いてくるんだな。役に立たないことなんて本当に何もない。

自分の意思でアニメや漫画に触れることのない人生を送ってきたけれど、他の内定者がアニメや漫画を通じてつながりを深めているところをみて、私もそういったものに触れておけばよかったなと少し後悔しました。
私も「それ、〇〇(作品名)のあのシーンじゃん〜」みたいな会話を友だちとしてみたかった。

内定式後の飲み会が終わってから、郷に入っては郷に従え、ではないけれど、今までみてなかっただけで、私ももしかしたらアニメ、ハマるのかもしれない。と思って、アニメをみてみました。

何を見るか、迷いましたが、内定者の男の子に「これだけはみた方がいい」と強く推された「HUNTER×HUNTER」と、
1番仲良しの友達が最近ハマっている「ジョジョの奇妙な冒険」をセレクト。

ジョジョは5話くらい、
ハンターハンターは、(一部の方からお叱りを受けそうですが)1.5倍速で50話くらいまでは頑張って視聴しました。

「頑張って視聴した」と書いてる時点で察しがついているかと思いますが、結果、やっぱりアニメに興味を持つことはできませんでした。
アニメに、だと括りが大きすぎますね、まだハマれるアニメが世の中にはあるかもしれないし。そこは訂正しておきます。

ただ、1話みても続きが全く気にならないんです。
アニメって、どうしても「これはフィクションなんだよな」と思いながら観てしまうというか、現実ではあり得ないことが題材になっていることが多いので、なかなか世界観に没入できないんですよね。
作り話であることが気になって、物語に入り込めないというのがアニメと仲良くなれない原因なのかもと思いました。
実際、本を読む時もファンタジーを読む機会が圧倒的に少なく、ささやかな日常とか、現実味のある物語を読むことが多いです。

途中から無理をしてアニメを観ている自分に気づき、無理してみんなの趣味に合わせるくらいなら、もうみるのやーめよ、となりました。

ただ、私もアニメにハマれるかもしれない、という希望をまだ捨てたくはありません。
まだハンターハンターとジョジョしか見たことないわけだし。
11月は、これもまた友達に薦められた「ゆるキャン」と「進撃の巨人」をみてみようかと思っているところです。

こんな私でも、これだったらハマれるんじゃないかという作品が思い浮かんだ方は、ぜひとも教えて頂きたいです。
キーワードは「現実味」です。
偉そうにすみません。


人生暇つぶし

最近、人生は暇つぶしという言葉に出会って、本当にそのとおりだなあと思っています。
ああ、死ぬまで暇だなあ〜、何して過ごそうかな〜くらいのテンションで過ごしてみたら、物事の捉え方がこれまでと比べて二段階くらい軽くなって、生きやすくなりました。
どうせ死ぬしなあ〜と思うと、以前に増してフットワーク軽く動けるようになりました。
よかったです。

あと、最近は感覚で生きることにハマっています。
これまでは、何か決断する時——何を食べようかという小さなことから、どこに行こうか、どう生きようかとちう大きなことまで—— 一旦脳を通して、色々考えに考えた上で決めることがほとんどでした。
でも最近は、脳を通さず(実際には通ってるんでしょうが感覚として)、ぱっとひらめいたこと、真っ先に思いついたことに従うようにして生きてみています。

と書くと、なんかスピリチュアルな感じがしますが、要するに深く考えないで物事を決めている、というだけです。
でもそうやって生きてみたら、結構人生楽しいというか、迷う時間が減っただけで、なんだか楽になりました。
迷うってストレスなんですね。負荷のかかる行為なんだなと実感しています。

考えに考えて決断すると、失敗した時に「やっぱりああしておけばよかった」という後悔が出てくるものなのですが、あんまり考えないで決断をすると、うまくいかなくても、不思議と「そういう運命だったんだなあ」と受け止められます。私だけかもしれませんが。

人生が暇つぶしなのであれば、あんまりしんどい思いをしないで生きていきたいなと思います。
暇なときに、わざわざ苦しい思いをしたい人っていないはずです。
もちろん、自分がやりたいことを行う過程にしんどさが発生するようであれば、そのしんどさも一つのイベントとして乗り越えたいと思いますが、
元々自責癖のあった私、わざわざ自分で自分をしんどい方向へ誘う必要はないなということに、最近やっと気づいてきました。

死ぬまでの暇な時間、できるだけ楽しく、ストレスフリーに生きてくための自分なりの工夫を、これからも探していきたいと思う今日この頃です。


公園のベンチで2時間半もこれを書いていました。
陽が傾いてきたので、そろそろ帰ります。
15:25で陽が傾いてるの、はやいなあ。
残り少ない秋を、目一杯楽しんでいきたい所存です。

恐れ入ります。