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使命がほしい

最近、なんだか悶々とした日々を過ごしています。
このもやもやとした気持ちの正体がよくわからなくてずっと困っていました。

やることはたくさんあるけどなかなか進まない。
やりたいこともたくさんあるけれど何一つ行動に移せない。

毎日、卒論の執筆にアルバイト、教習所の学科の勉強、何かしらやってはいるものの、目の前にあることをただこなしている感じしかしない。
未来のある一点に向かって何かをしているという感覚が欲しいのだけれど、ただ紙のいろいろな場所に点をぽつぽつと打っているだけで、それらが繋がって線や図形になるわけでもないような感じ。

別に、1日何もしていないわけではなくて、何かしらはしているのに、充実感はあまり感じられない。
今日もやりきったなあみたいな達成感が日常から消えてしまったよう。

この感覚は今に始まったようなことでもありませんでした。
3年生の後半くらいから徐々にそう感じるようになって、休学前が一番強くて、休学期間に一旦薄れて、そして復学してから再び強くなった感じ。

どうして毎日こんなにすっきりしないんだろう、と思い続けていたのですが、さっき、なんとなくその悶々とした気持ちの正体がわかった気がしました。

おそらく、社会において、自分に確固たる役割がないことにもやもやしていたのです。
今の私は、何かしらの使命を欲しているのです。


今日の午前中は、あるインタビュー記事の執筆をしていました。(無名人インタビューとは別の団体のもの)

自分がずっと学んできた演劇を通じて、町の人同士のつながりを作りたいという方のインタビューでした。

自分にとって大きな意味をもった「演劇」というものを、ただ自分が楽しむだけではなく、ふるさとの町と人のために生かしたい、自分が得てきたものを還元したい、という思いがとても素敵だなと、インタビュー音源を聞き返して改めて思いました。

その方は、私の目には「舞台芸術を通して人と人とのつながりをつくっている人」というふうに映りました。

そして午後は、近所のパン屋で買ったベーグルと、ファミマのLサイズのカフェラテをもって、いつもの公園へ散歩に出かけました。

すると、池のほとりの、日当たりのいいベンチで、おじいちゃんとおばあちゃんと、おそらくデイサービスか何かのエプロンをつけた女性の職員さんが、にこにこお話をしていました。

おじいちゃんおばあちゃんのことを気遣いつつ、笑顔でうんうんとお話を聞く女性の職員さんが、なんだかとてもかっこよく見えました。
彼女は、私の目には「おじいちゃんとおばあちゃんたちが心を生き生きさせられる時間を提供する人」に映りました。


インタビュー記事の編集をして、それから、デイサービスかなにかの職員さんをみて、社会における役割、役割というか、使命をもっている人ってすごくいいなと思いました。

同時に、じゃあ私は「なんの人」なんだろう?という疑問がわいてきました。

一応、大学4年生なので、「学生」といえば「学生」です。別に間違いではない。

でも、大学には週に一度、2,3時間ほどしかいかないし、卒論を書くこと以外に大学生としてやることは特にありません。唯一のミッションである卒論でさえ、テーマ設定に今更行き詰まり、うまく前に進めないでいます。
何かの勉強をすごく熱心にやってきたというわけでもないです。浅く広く、自分の興味のあることをふんわりと勉強してきた程度なので、「〇〇を学び、追求する人」みたいな肩書きもありえません。

アルバイトも、もそこまで長い時間や大きなエネルギーを費やしているわけではないし、食品の販売的なことをしていますが、「このおいしさを誰かに届けたい」「この食べ物で人を笑顔にしたい」みたいな、たいそうなことを思いながら働いているわけではないです。

インタビュアーとしても活動しているものの、週に1本くらいしかインタビューしていないので、そこまで私の生活時間を大きく占めるものにはなっていません。一応、この人にとって意味のあるインタビューになったらいいなとか、この人の人生を記録する手伝いができたらうれしいなみたいなことは少しは考えますが、やはり費やしている時間的に考えて、「人の人生を残す人」「人の魅力を引き出す人」なんて肩書きを名乗るには程遠いところにいます。

大学1,2年生のときは良かったのかもしれません。
週に何回か大学に行って授業を受けて、サークルにもいって、「大学生活を楽しんでいる人」でいられた気がします。
特に社会に向けて何かをしていなかったとしても、目の前の勉強やサークルの活動を楽しむことが、それが大学生であって、それでいいのだみたいな認識ってなんとなくあると思うんですけど、わたしもそういう認識の中にいたので、自分が何者か、どういう役割をもっているのかなんて、気にしたことがありませんでした。

でも、学業も、アルバイトも、それ以外の活動も、全てをそこそこにやっていて、社会に出てからの進路、すなわち就職先も決まっていない今の私って、いったい何者なんでしょう。

これといった使命があるわけでもなく、ある未来に向けて何かを頑張っているわけでもなく、思うがままに過ごして、家にお金をいれるでもなく、自分のことだけを考えて日常を過ごしている自分が、とても空っぽな人間のように思えてきます。


だから最近、働いている人や、今働いていなくても、内定先が決まっている同期たちがとてもかっこよくみえるのです。
本人が、使命だの役割だのを特段意識していなかったとしても、働いている時点で社会に何かしらを還元しているはずです。何かの仕事をしている時点で、「〇〇の人」と表現することができるはずです。
社会において、それがどんな内容であろうと、何かしらの役割があり、使命があることが、今の私にはとても羨ましい。

学生生活が伸びて、毎日おいしいご飯を食べて、余りある時間を自分の思うように使うことのできるこの状況を、ラッキーと思うべきなのかもしれません。

でも今の私は、なにも使命のない、この状況をいちはやく脱したい。
何かしらの使命が欲しい。自分のためだけじゃなくて、誰かの役に立つために、その使命を遂行するような時間の使い方をしたい。
社会との接点を増やしたい。
そうやって、社会に自分が必要とされている、自分が今生きている意味があるという実感を得たい。

一生楽に暮らせるだけのお金があっても、働き続ける人がいるのは、きっと今私が考えていることと同じようなことが理由なのだろうと思いました。
自分はこれをやる人なんだという使命がないと、何かや誰かの役に立てているという実感がないと、自分が何者か、何を目印に生きているのかを見失ってしまうから。


今日は本当にお天気がいいです。
晴れている秋の日って、外に出て空気を吸ったり吐いたりしているだけで幸せな気持ちになれるから好き。

つらつらと公園のベンチで文字を打っていたら、蚊を見つけました。
11月でも蚊っているんですね。驚き。厳しい夏をがんばって生き延びたのでしょうか。なかなかにしぶとい奴ら。刺される前に帰ります。

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