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夏の記録

今年の夏は、1ヶ月半ほど北の大地で農業をするなどしました。

滞在先でのコロナ感染、人間関係のストレスや肉体的な疲労など、決して良いことばかりではありませんでしたが、総合的に見ると、楽しい1ヶ月半でした。

旅先にパソコンを持っていかなかったおかげで、パソコンくんが完全に怠けモードに入ってしまい、100文字くらい打つとすぐにフリーズするようになりました。
大変困っています。
今はやむを得ずスマホでぽちぽちと文章を書いています。


短期ゆえに

1ヶ月やそこらの短期間しか働かないとなると、どうしても仕事の内容は単純作業になるし、上の人に言われたことを言われた通りにやるといった感じになります。
こればかりは仕方がないと思います。

ただ私は、人に言われたことに従うのが苦手(自分なりの工夫を施したくなってしまう)、かつ同じことをずっとやっているのも苦手なので、短期間のバイトゆえの単純作業続きの毎日は、まあまあしんどかったです。

就業期間中に、玉ねぎの選別という作業を1日8時間、1週間毎日やる、という経験をしました。
ベルトコンベアで絶え間なく流れてくる玉ねぎたちの中から、腐ったものを取り除く、というただそれだけの作業です。
体力的に、というより、精神的にきつかったことを非常によく覚えています。
2日目の午後くらいから果てしない虚無感におそわれ、4日目くらいから表情が無くなり、7日目には本当になんでもいいから違う仕事をやらせてくれと上の人に懇願しました。

玉ねぎ選別に携わったおかげで、8時間立ちっぱなしに耐えられる脚力と、「玉ねぎ選別に比べたらマシ」と思うことでどんな仕事も乗り越えられるマインドを獲得したので、結果的には良い経験だったと言えるのかもしれません。

就職までの期間、短期の農業バイトを転々とするという計画もあったのですが、実際に仕事に従事してみて、それはあまり性に合わないなと思いました。

でも、これもやってみたからわかったことです。
経験したことで、自分についての知識を深めることができたのでよかったです。

作業の好き嫌い、向き不向き

農作業は向いていないなと思ったものの、
全ての農作業が嫌いというわけではありませんでした。

いろいろな作業を体験させてもらってわかったのは、

・迷いが生じる作業は苦手
・破壊系の作業が得意

ということでした。

迷いが生じる作業とは、主に収穫や選別です。
例えば、ミニトマトの収穫をよくやらせてもらっていたのですが、どのトマトは収穫していいか、明確な基準はありません。
「真っ赤っかでおいしそうなやつ」という、とてもざっくりとした基準が与えられます。

自分が収穫したものが売り物になる、スタッフさんたちがこれまで大切に育ててきたこのトマトの商品価値を落としてはいけない、という若干のプレッシャーを感じながら、目に映る全てのトマトを「おいしそう」「まだおいしそうじゃない」と、スピーディーに判別する必要があります。

私はそもそもが優柔不断な人間ですし、1つのトマトを見るたびに「君はおいしそうだろうか」「君はもう少し赤くなれるのでは」と、トマトに問いかけ、迷いながら収穫を行うことはわりとストレスに感じました。
見るからに「真っ赤っか」で、迷いなく収穫できるトマトには、心の中で「助かります〜」と礼を述べました。
本当の話です。

一方で、迷いの生じない"破壊系"の作業は私の性に合っていたようです。
破壊系の作業とは、収穫の終わったとうもろこしの苗(?)を全部引っこ抜いてまっさらな状態にするとか、玉ねぎ畑の雑草を全部抜くとか、田んぼを囲っているネットに絡まった雑草を除去するとか……破壊系というより、引っこ抜く系と言った方がいいかもしれません。

破壊系は、迷う暇がありません。
目に入った雑草や苗をひたすら除去していけばいいので、何も考えずに勢いよくできます。
ストレス解消に近い快感がありますし、身体もそれなりに動かすことになるので、かなり好きでした。

一口に農作業と言っても、その中でも向き不向きが生まれるのはなかなか面白いなと思います。

全体を把握することの大切さ

収穫が済んだビニールハウス内のトウモロコシの苗(呼び方がわからない)を根こそぎ引っこ抜いて、引っこ抜いた苗をまとめて堆肥場へ持っていく、という作業をした日がありました。

このトウモロコシの苗引っこ抜き作業が異常に早い大学生の男の子がいました。
彼はふつうの人の3倍くらいのスピードで、凄まじい勢いでトウモロコシの苗を引っこ抜いていきます。
結構肉体労働だったので、みんな「助かるわ〜」と、3分の2くらいの苗の引っこ抜きを彼に任せていました。

引っこ抜いた後には、長くて鋭利な葉っぱが生える苗をまとめて軽トラに積む、という作業が待っています。
ところが、彼は引っこ抜いたトウモロコシの苗をその場にどんどんと置いて行っていました。

苗を軽トラまで一本一本運んでは効率が悪すぎます。
そのため、無造作に倒れている苗の向きを揃え、大きな束を作る、という作業が新たに生まれました。

この時、彼が引っこ抜いたトウモロコシの苗の向きを揃えたり、何本かまとめて山積みにしてくれたりすれば、この「トウモロコシの向きを揃える」という作業はしなくてもよかったのです。

自分がした作業が、どうつながるのか、全体像を意識することって大事だな、と散らばった苗をみて思いました。

全体を把握することの大切さを実感する場面は他にもいろいろありました。
「次にこうするとわかっていたら、やり方変えたのになあ」と思ったり、
反対に、次の工程を知っていたことで「ここはそんなに丁寧にやらなくてもOK」と、効率を上げることができたりもしました。

自分の作業が全体のどのあたりに位置し、次の工程にどう繋がっていくのかを理解した上で取り組むことで、効率を上げられる、というのは、農業に限った話ではないと思います。
今後、私が先輩や上司と呼ばれるような立場になったら、全体を説明した上で、その作業にどんな意味と役割があるのかを伝えるようにしようと思いました。

共同生活について

バイト中は、ずっと一軒家で共同生活・自炊でした。
途中入れ替わりがありながらも、常に3〜4人で一つ屋根の下、暮らしを送っていました。

共同生活、大丈夫だった?とよく聞かれますが、私的には1ヶ月くらいなら楽しめます。
仕事終わりに同居人の方々と色々な話をするのは楽しいし、たまにみんなで料理を作ったりして、人と同じものを食べるのっていいなと思うこともありました。

ただ、言わずもがな、同居人との相性は最重要事項だと思います。
私の場合、どうしても苦手だなと思ってしまうタイプの方(Aさんとします)が1人いて、1ヶ月くらい生活を共にしました。

まあ完全にやばい人、というわけではなかったので、多少の出来事には目を瞑りながら、なんとか1ヶ月過ごしました。

私がその1ヶ月を乗り越えることができたのは、完全にあと2人の同居人の方、BさんCさんのおかげでした。

Aさんはかなり子供っぽい性格と言いますか、すぐに機嫌を損ねたり、自分の思い通りにならないと怒ってしまうような方で、年齢とのギャップ(悪い意味で)に「うおー」と思わず引いてしまうことが幾度となくありました。
そういうとき、Aさん以外の人たちで「Aさんってちょっと…」と陰口に花が咲いてしまったりしてもおかしくないと思います。
実際、パートのおばさんに「ねえAさんってどう思う?」って、すごく含みを持った感じで尋ねられたこともありました。

でも、同居人のBさんとCさんは、そのあたりをしっかりとわきまえている方でした。
きっと何かしら思うことはあっただろうに、2人がAさんの悪口をこぼすようなことは一度もありませんでした。
しかも、Aさんが寮を去ってからも、Aさんにまつわる愚痴のようなものを口にすることはありませんでした。

4人で暮らしている中で、陰で3人が1人の悪口を言うという状況って、やっぱり気持ちがよくないです。
その感覚をBさんCさんとは言葉にせずとも共有できたがために、気持ちの良くない事態を発生させずにすみました。
人間として素敵な方たちだなと思いました。
私もBさんCさんのような大人でありたいです。

携帯電話を使わない人

私と同じように短期バイトで働いている方の中に、携帯電話を使っていないという40代の男性(Dさんとします)がいました。

なくても生活に困らないそうです。
必要な情報は紙にメモしておき、どこかでへ行くときは道路によくある青くてでかい看板と方角を元に移動。
仕事への応募も、ネットは使わずに、募集のポスターや人の紹介などで、流れに任せて決めるのが良いとのことでした。

雨が降ったり、風が強かったりすると、たまに農作業は休みになります。
「そういうときに連絡できないから困る」と社長はぼやいていましたが、本当は休みのはずだったけど連絡できずにDさんが出勤してしまった時は、仕事を用意して次の日を休みにしたりしているようでした。

私は、Dさんに「周りの人が、Dさんに伝えたいことがあるときに困るのでは」と言いかけてやめました。
Dさんにとっては、周りの人がどうしたいかよりも、自分の信念に従って生きることが何よりも大事なんだなということに気づいたためです。

結構極端な例ですし、それを良いことと感じるか、悪いことと感じるかは個人の哲学によると思うのですが、
これほどまでに、自分の心に正直に生きている人を初めてみました。
結局、社長までもがDさんのペースに合わせて行動するようになっているわけです。

しかもDさんのすごいところは、それほどまでに自分を大事に生きながらも、周りの人に「わがままだな」「融通がきかないな」と思わせない雰囲気をまとっているところです。
常に物腰柔らかで、怒ることもなく、のんびりとしていて、なぜか「あの人自分勝手なんだから」という心象を他人に持たせない。
「あの人はそういう人だからしょうがないね〜」と、周囲を納得させてしまうような魅力があるのでした。

はじめて出会うタイプの、なんとも不思議な方でした。

自然に腹を立ててもしょうがない

農場長、と呼ばれている社員の方がいました。
その方は東京出身、プログラマーの仕事を経て、10年ほど前に北海道へ移住、農業をはじめたとのことでした。

「農業は楽しいですか?」と尋ねると、農場長は、「農業は正直好きではない。けれども性に合っている」と答えました。

話によると、プログラマー時代は、ひたすら自社のソフトか何かのプログラムを書いており、Windowsのバージョンが変わったら書き直し、また変わればにさらに書き直し、ということを繰り返していたそうです。

そのうち際限なく行われるバージョンアップに嫌気がさし、心機一転身内がいる北海道へ移住。知り合いの農業を手伝うように。

農業は自然を相手にした仕事ゆえに、天気に合わせて計画を立てたり、時には予想外の天候に予定をめちゃくちゃにされたり、そんなことはしょっちゅう起こります。
ただ、やってみたら、その自然を相手にするという性質が、農場長の性格に合っていたということでした。

前職では、絶え間なくバージョンアップを行い、プログラムの書き換えを行わざるを得ない状況を生み出し続ける人間に腹が立ってしょうがなかったけれど、
自然は人間の力ではコントロールできないから、腹を立ててもしょうがない。
収穫しようと思っていた日に雨が降ったり、風で作物をめちゃくちゃにされたとしても、それは人間側の準備不足。
相手の存在が大きすぎて、怒っていてもしょうがないと、何が起きても自分を納得させられる農業の性質がしっくりきた、という話でした。

なるほど、コントロール不能なものを相手にすると、かえって穏やかでいられるのかもしれません。
農業とはいえ、1人でやっているのでなければ、多少人間との関わり合いも生じてくるとは思いますが、「腹を立ててもしょうがないのが性に合っている」という話はとても印象に残りました。

農業を経験することで価値観は変わるのか

「農業をしたことで価値観は変わりましたか?」
と高校時代の友達に質問されました。

農業をしたから、というより、そこで出会う人によって、価値観に変化が起きる、
というのが私なりの回答です。

農作業自体は、その一つ一つに大事な意味があるものの、やっぱり前述したとおり単純作業です。
農作業をすることで感じるのは、主に(というか私の場合)「こんなところまで人間の手でやっているのか」という驚き、それに伴う農家さんへの感謝の気持ちと、食べ物を大事にしようという意識です。

それ以上に、農業を通じて出会った人とした話とか、掛けられた言葉の方が、私にとっては大きな影響力がありました。
特に、世の中に色んな仕事がある中で、各地を転々として農業バイトをしてる人って、いい意味で代わっている人、人とは違う人生を歩んでいる人が多いです。
話をしているだけで、かなり刺激を受けますし、これまでの人生で出会ったことのない人がたくさんいます。

私は地方に滞在したことで「価値観が変わったな」という実感がありますが、実際に価値観を変えてくれたのは、そこでしたこと、というより、出会った人の力の方が圧倒的に大きいなと思います。

なので冒頭の質問には、
「価値観は変わったが、農業をしたから、というわけではなく、そこで出会った人の影響が大きい」
と答えたいと思います。


しばらく農業はやらないかもしれません。
ですが、自然の中で体を動かし、野菜をもりもり食べて、ぐっすり寝て、早く起きることを繰り返すのはなかなかに楽しかったです。
人生に一度は経験しておいていいかもと思います。
働いた1ヶ月半の間に、かなり健康体になりました。

あと、ビルの高層階からの景色とか、煌びやかな夜景とかよりも、微妙に色合いの異なる田んぼや畑が一面に広がりパッチワークのようになっている景色や、でっかい山に青い空、白い雲のようなシンプルな景色の方が、見ていて幸せであることを改めて実感し、早く都会の喧騒を抜け出して、田舎に住みたいなと思いました。

一夏の記憶の記録でした。
おしまい。


追伸

パソコン、早く直ってください。

恐れ入ります。