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まったくとりとめのない、5月のふりかえり

標題の通りです。
なんとなく振り返りたい気分なので、5月を振り返ります。

就活

5月前半、だいぶしんどかったです。
特に2週目はへろへろでした。
毎日、生きるのって辛いなあって、ひたすら思っていました。
ESを書くとか、GDの準備をするとか、「企業の選考に受かるための手段」以上の意味を見出せなくて、「これらをやることは、自分の人生にどう役に立つんだろう」っていうことばっかり考えていました。
一夜漬けで覚えた数学の公式を、試験が終わった瞬間に綺麗さっぱり忘れてしまうみたいに、就活というものが終われば、受かるESの書き方、通るGDの立ち振る舞い、自己PRを60秒にまとめてしゃべる力、全てどこかにいってしまうんだろうなと思うと、ああ本当にやりたくないなあという思いでいっぱいでした。
9月で大学を卒業する私は、もう卒論を書くくらいしかやることは残されておらず、4,5月は卒論そっちのけで就活ばっかりやっていて、やりたくないことを、やりたくないなあと思いながら続けることって、ものすごく心によくないんだなあということを、身をもって痛感しました。
やりたいことをやるエネルギーさえも、やりたくないなあの気持ちに吸収されてしまって、気がつけばやりたいことさえもなくなっていました。
残ったのは、何にもしたくないなあという感情だけでした。

忘れもしない、5月14日。
就活のストレスだか何だかわかりませんが、人生でベスト3に入るくらい、この世のあらゆるものに苛立ちを感じる日がありました。
自分でもびっくりするくらいイライラしていました。
まるで地球からいじめられているんじゃないかと思うくらい、アンラッキーな出来事が重なりに重なって、1日中ずーっとイライライライラしていました。
まあだからなんだっていうわけでもなく、ただそういう日があったんですよ、っていうだけなんですけど。


そんな私の就活、なんと終わりに近づいています。
奇跡的に、内々定をいただけたんですね、一社だけ。
しかも、ここ数年で最もイライラした5月14日の翌日に。
とても素敵な会社です(個人的見解)。

一応まだ就活は続けてはいるんですけれども。
(ここまでやったなら、最後までやっとくかーの精神です。でも他社は面白いくらい一次選考でどかどかと落ちていって、結局今2社しか選考は継続していません。なおさら内々定をいただいたことが奇跡のように思います)
ご縁のあった会社の選考は、何だか、社員さんや人事の方と、おしゃべりしてたら、いつの間にか最終面接になっていて、最終面接でもおじさんと仲良くおしゃべりしていたら、ありがたいことに内々定いただいてしまった、という、なんとも不思議な感じでした。

内々定をもらった時のこと、もらった2時間後くらいに「人生で初めて内々定をもらった日なんて、後にも先にも今日しかないだろう」と思って、急いでその時考えていたことを、でてくる限りパソコンに書き殴りました。
これはその会社に承諾するってなった時に、多分また投稿すると思います。

内々定をもらった翌日は、1日中ずっとふわふわした気持ちでいました。
「就活について考えなくてもいい日」は、実に2年ぶりくらいでした。それまでずっと、何をするにしても、頭の片隅には就活がいたし、一日一回は就活のことを考えていたので。
就活について考えなくてもいい日は、世界が1段階明るくなったような気さえしました。とにかく幸せでした。
正確に言えば、まだ就活は完全に終了したわけではなかったし、まだ卒論という重大ミッションが残ってはいるんですけれども、私にとっての日常が戻ってきたなという感覚でした。

とまあそんな感じで、前半は本当に死にそうだったし、ふと気を抜いたら地面にへたりこんで動けなくなってしまいそうなくらいだったんですけれども、後半はちょっとずつ明るく、上向きになっていきました。
今は結構元気です。ご心配なく。

一連の就活の話(本当に一連。2年前からの記録)は、就活が本当に終わりを迎えたら、全て文字にして残しておきたいなと思っています。
9.5割くらいは自分のため、残りの0.5割は、これからの人生に悩む誰かの何かの役に立ったらいいなあという気持ちで書くと思います。

就活に関しては、とりあえず以上です。

カレーの日

就活で弱りに弱っていた5月前半、心が弱っても、食べ物はずっと美味しくて、何なら食べるために、おいしいという感情を味わうためだけに、なんとか生き延びているみたいなところがありました。
ところで、おいしいって感情なんですかね、感覚でしょうか。わかりませんけれども。
やりたいことも何にもなくて、毎日ただ何もしたくないと願う日々にも、おいしいものを食べたい、と眠りたい、という欲望だけはかすかにその火を灯していました。
おいしいものを食べると、とても幸せな気持ちになるし、おいしいものを食べた人の顔を見ると、みんな幸せそうな表情をしています。
そのことに気づいて、食べ物って本当にいいなと思いました。
料理人という職業って、なんとも素敵な仕事だなと思いました。

だから、この先の人生、もしも何もかも失敗して、どん底に落ちたら、ご飯を作る仕事をしようと思いました。
どうせなら、私が食べたいものを、食べたいように作るのがいいなと思い、もしご飯を作る仕事をすることになったら、カレー屋さんになろうと思いました。
カレーをこの世の食べ物の中で一番気に入っているからです。
(餃子も同じくらい好きなので、餃子屋さんでもいいです)

ただ、やっぱり何もかも失敗したその時に、まともにカレーを作れないようじゃ、カレー屋さんになるのにも膨大な時間がかかってしまうので、いつでもカレー屋さんになれるように、今からカレーを作る練習をしておこうと思いました。
そこで、毎週水曜日を「カレーの日」と定め、週に一度、カレーを作ることにしました。

ちなみに私は実家暮らしなので、家族も強制的に週1のペースでカレーを食べることになります。でもみんな毎週1度はカレーを食べる羽目になることを快諾してくれたので、よかったです。

先週は、ごま坦々カレー、
今週は、魯肉飯風カレー
と、おかしなカレーばっかり作っています。
今のところ、全部美味しいです。
スパイスの力は偉大で、入れるだけで、私の腕でも、何だか本格的っぽい味わいになってしまうんですね、ありがたいです。

第3回のカレーは何にしようかなと、今から思案しています。

絵を描く

最近、本当につい1週間前くらいから、こまめに絵を描くようになりました。
絵を描くことは昔から好きで、絵を投稿するようのインスタグラムのアカウントまで作ったんですけど、ここ半年くらいなんとなく書いていませんでした。
(ちなみに、私がいう"絵"とは、自分のアイコン程度の、落書きのレベルのものを指しています。絵というより、イラストの方がイメージ的には近いかもです)

でも最近、自分が感じたことを人と共有したいみたいな思いが、なんとなく強まっているんですね、なんでかわかりませんけど。

自分が感じたことって言っても、本当に本当にどうでもいいような、別に感じなくても日常生活に支障は出ないような、些細なことです。

どれだけ怖そうな見た目をしている人でも、ネギがはみ出たビニール袋を持っているといいひとに見えるなあ、とか
レインコート着てる子どもって、この世で最もかわいいものの一つだよなあ、それに、高確率で黄色だよなあ、とか
「兵庫県」って、よくみると字面がめちゃくちゃ強そうだよなあ、とか

あまりにもどうでもいいし、意味わからない人にとっては本当に意味がわからないと思うんですけど。

こういうことを「面白い」と感じる私の感覚を、誰かと共有したい、というか、同じように「面白い」と感じる人に出会いたいなあとふと思ったんですよね。
って時に、私のこの感覚を表す手段として、絵を描くことが、なんとなく、一番しっくりきたんですよねえ。

というわけで、インスタで週に何回か、ぽつぽつと投稿をしてみているんですけど、私元々インスタが苦手なんですよね。
私を見て!みたいなエネルギーに溢れているあの画面上の空間に、どうにも馴染めなくて。

だから今後はインスタと並行して、noteでも投稿してみようかと思っています。
noteはとても好きなんです。この雰囲気がなんとも。
自分がいていい場所って感じがします。なんとなく。
あと、フォロワーじゃない人にも投稿が届きやすい気がして。

イラストを投稿するアカウントを作ろうと思っていて。
できたら一度覗いてみてほしいです。
自分の世界観を共有、っていうとなんか壮大な感じがしちゃうんですけど、同じ目線で日常を切り取って一緒に面白がる、仲間がほしいなと思っています。

ちなみに今日は、まだ寝るまでに時間があるので、玉ねぎの絵でも描くつもりです。
カレーを作った時に使った玉ねぎが、なんだかとても綺麗に見えたので。

吉本ばなな

5月、吉本ばななさんの本を初めて読みました。
ああ、良い、と思いました。

名前は知っていつつも、なんでか今まで一度も読んだことがありませんでした。
読んでみると、一つ一つの言葉がスッと体に馴染んで、とっても好きな文体だと思いました。
私の感覚的に、ところどころ抽象的で、何を意味しているんだろう?どういうことだろう?と考えさせられるのが、なんとなく「ややわかりやすい村上春樹」っぽいなと思いました(本当に、私の感覚です)。

今日、『アムリタ』を読み終えました。
吉本さん(ばななさん? なんて言ったらいいのか)の本を読んだ後、日常の些細なことにとても敏感になって、いつもよりも小さな幸福を発見する感度が上がるような感じがします。
本当にちょっとしたこと、
見知らぬおじさんに電車で親切にしてもらったとか、
帰りに見かけた車のトランクに、なぜかめちゃくちゃでっかい葉っぱが挟まっていたとか、
曇っているけれど風が涼しくて気持ちがいいとか、
ただそれだけのことが、なんとなく面白く、とても幸福に思えてくるから不思議です。

登場人物の誰もが魅力的で。
もっとこの人の本を読みたいなあと思いました。
遅かったけれど、出会えてよかったです。
今日も寝る前に読みます、多分。


5月はそんなところでした。
本当はもっと色々なことがあった気もするけれど。
一瞬ですね、本当に。
4月の頭は、5月の終わりごろなんて、就活と卒論に押しつぶされてのたれ死んでるだろうと思っていたのに、意外と元気に5月を終えることができました。

6月も、この調子で、それなりに明るく、低気圧に負けずに軽快に過ごしていきたい所存です。


恐れ入ります。