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よむということ


高校1年か、2年の時に
いままでの読書量について聞かれ、
正直に
「うーん、10冊くらいかな」と答えたところ、
「それでよく日本語が使えるね」
とクラスメイトに言われてしまったことを
よく覚えている。

恥ずかしい話だが、
小学生の頃から本当に本を読まない子だった。
読書というと、
夏目漱石、森鴎外、芥川龍之介といった文豪の
小説を読むことだと勝手に思い込んでいたが、
別にそんなことに
こだわる必要はなかったのである。

「僕は日本語が使えていないのか、、」
ちょっとショックを受けたが、
上記のクラスメイトは
非常に頭の良い反逆児だったので、
慎んで受け入れることにした。

国語は小学生の時から苦手だった。
四谷大塚の最初のテストは
確か125/200点くらいだったのだが、
内訳は
算数100/100点、国語25/100点くらいで
極端な結果だったのである。
文章を素早く読めない性質があって、
それはいまでもあまり変わっていない。

算数は好きだった。
わりとできるからだ。
もちろん上には上がいて、
東京、神奈川のトップ校に行く人には
到底勝てなかった。

高校1年の時に、
当時数学Ⅰの数列がよくわからなくなった。
理科もどうも好きになれなくて、
結局文系を選択することになったのである。
(僕がいた高校は一学年270人くらいで、
理系200人、文系70人の構成で
その時点でちょっとマイノリティ)

文系を選択したのには、
実は隠れた理由があって
国語の文章が面白いなと思い始めたのである。
定期試験の点数も徐々にだが、
安定するようになった。
しかし、相変わらず
長い文章は苦手だった。

高校2年になって、
部活も何もやっていなかった自分は
「塾にでも行くかー」と思い、
大手予備校の
英語、国語の科目を受講してみることにした。
大学受験はまあまあ楽しかったように思われる。
現代文の復習ばっかりしていて、
世界史が全然覚えられなかったんだけれど。

大学に入学してからも
本はあまり読んでいない。
本をまあまあ読みだしたのは、
大学から放り出されてからである。
「知らない」ことに
多少恐怖を感じたのかもしれない。
でも、本を読み過ぎて
他の人の考え方に縛られてしまうのも
少しこわい。
(すべて良書であるはずはないから)




「今日は天気がいいから、
コンタクトレンズでも
買いにいこうかな」

そう思っちゃたりしている午前9時。







以上

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