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フィクションとノンフィクション


高校1年生の冬、
劇場版の『バトル・ロワイアル』を
観終わってから
シアターをあとにすると、
外は何事もなかったかのように
すっきりと晴れていて、
人々は平和そうに道を歩いている。

何事かが起こったら
それはそれでまずいのだが、
その虚構と現実とのギャップに
耐え切れなくて、
10代の頃
映画をみるのを一時やめた、
というのもある。


作品に入りすぎてしまうのだ。
いまでもそういう傾向がある。

職場の映画通のリョウ君は、
その作者の意図を汲み取るのが
”闘い”であって、
楽しくて仕方がないらしい。

僕の場合、
リラックスにはならない。
観終わった後は、
若干ボロボロになっている。

そのフィクションというのは
ただ創られただけの話ではなくて、
現実世界に通有する点が
あるからこそ、
原作者や監督はわざわざ
それを作品にしたのである。
観る側はそれをしっかりと
受け止めなければならない。


といった話を
母親にすると、
「うーん、、
でもそれって疲れない?」
と一蹴、一笑されてしまうのである。



せっかくの休みなので、
登録してから割と放置気味の
hulu で
なんか
みようかな。





以上

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