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反ワクチンと進化論

インターネットを利用している日本人のほとんどが見ているという『ヤフーニュース』を私も常用している。
ヤフーニュースでは最近よくコロナワクチンについての記事が載っている。たいていはその効用についての内容である。
ワクチンの記事が出るとコメント欄には反ワクチン派らしき人々の反論がたくさん書きこまれていて興味深い。今まで見てきた感じでは最初から最後までワクチンの効能に対する反対意見で埋めつくされるという状況がごく普通だったりする。

私自身はコロナワクチンは接種済みだし、日本では現在半数の人々が接種済みと発表されており、たぶん10月末になれば接種済みの割合はもっと増える。個人の感覚だが7割くらいはいくんじゃないかと思っている。
なので、ヤフーニュースのコメント欄にいる反ワクチンの人々はどちらかというと少数派であると思われる。少数派でコメント欄が埋めつくされるというのがこういったサービスの面白さと限界を示しているのかもしれない。

少数派とはいえ、なぜ一部の人々が反ワクチン派になるのかという考察記事もたまにヤフーニュースに載っている。ヤフーニュースは至れり尽くせりである。
そのような記事の内容と私自身の考えも合わせると、反ワクチン派が反ワクチンである理由は「不安」だから、という1点に絞られる。
この不安はおもにコロナワクチンが新技術のmRNAワクチンであるということに向けられているようだ。

私はmRNAワクチンについて説明するほどの知識はないので、それがどれほど安全かとか危険があるかという話をここでしない。

私がこの話を持ちだしたのは反ワクチン現象が生物としての人類の「不安」と「進化」の関係に関わっていると感じるからだ。

進化論的には、不安という感情は我々のような生物の生存にとって重要なものだ。
そもそも感情は、外の世界の情報を知覚したときにその情報に対して何をするべきかという行動指針を決めるために起こる生体反応の一種である。
単純な反応であれば条件反射としてDNAにプログラムしておいたほうがてっとり早い。しかし我々のような複雑に機能分化した多細胞生物にとっては条件反射で必要なすべての知覚情報に対応するのは難しいので、入力情報をパターン化して出力処理を決めるようなシステムにアップグレードしたほうが良い。それが感情である。
外界からの刺激に対して感情が生まれるということは、生物としての我々の体が「刺激に対して何かの反応を示しなさい」というシグナルを送っているのだと私は解釈している。
その刺激に対して必要な行動が一意的に決まっているのであれば、それは生理的反射として行えば良いので感情を発生させる必要はない。我々は感情を意識で感じるが、わざわざそれを意識するのは刺激に対して行動の選択肢があるか、刺激に流動的な変化があって反射的な行動では対応できないからではないかと考える。
たとえば同種の生物(人間)が近づいてきて威嚇してきたら我々は恐怖や怒りを感じる。相手が自分より強そうか弱そうかでどう対応するかは変わってくる。大脳皮質に存在する過去の経験記憶と照らし合わせて行動を決めればより良い選択ができるだろう。そのようなことをするのに感情という機能が役に立つ。

不安も、外界刺激についてのそういったシグナルのひとつである。

不安とはそれが「はっきりした危険かどうかわからないけど気をつけろ」というシグナルだと思われる。
我々にとっての世界とは大脳皮質に記憶された過去の経験を集積して作られたバーチャル世界であって、その世界に存在しないものが現れたときにどう対応するかを選択しなければならない。
生物としての我々の《素朴生物学(DNAでプログラムされている条件反射的知識の一種)》はとても優秀なので、我々は初めて知るものであってもそれが危険か安全か、ある程度は判断できる。
しかし世界はたいへん複雑なので、素朴生物学で判断できないものもたくさん存在する。そのようなものは不安を発生させる。

不安が発生したときにどう行動するかは個体差が現れる。
この個体差はDNAの種内多様性によって現れ、アレル(対立遺伝子)と呼ばれる。
そのような個体差は最近の研究ではある種の魚でも存在が確認されている。
不安を与えるものに対して積極的に対応する個体と消極的に対応する個体があるということである。

基本的には、すべての個体差は進化的にどれでも適応的であって、その個々の状況によって実際の適応度が決定する。具体的な状況にならないと積極的対応が良かったのか消極的対応が良かったのかはわからないということである。
だからこそ不安を含めた感情というシステムが存在するわけだし、そのような個体差も存在するわけだ。

なので、mRNAのコロナワクチンに対して不安なので打たないという対応をするのも、進化論的にいえば適応的でありうる。

しかし、私自身は以下のように考える。
情報を総合的に考えると、ワクチンの副反応のリスクとコロナ後遺症のリスクでは後者のほうが大きく、避けたほうが適応的である。もちろん、死ぬまでにコロナに感染しないと仮定すれば副反応のリスクだけが残るが、状況を見るかぎりでは数年以内に一度もコロナに感染しないでいられる確率はとても低いと思われる。(デルタ株が麻疹と同等の感染率として)
実際の数字を出して確率計算をしないと説得力がないと言われればそのとおりだが、面倒なのでそれは他におまかせするとして、我々はたいてい無意識的にそのような計算をすることができる。

人間にはベイズ確率論的な思考能力があるので、不安というシグナルに対して少ない知識でも総合的判断をすることができる。これも進化的適応の事例である。
私は自分の思考能力を信じてワクチンを接種した。反ワクチン派の人も自分の思考能力を信じているのだろう。

このように同じように「不安」というシグナルを発生させても、個体はそれぞれ違った対応をとりうる。
それが感情システムが持つ自由であるし、決まりきった化学反応や電気的反応などで構成されている我々にそのような自由があるというのが不思議で、面白いと思う。

ただしその「自由」は、思っているようなものとは違っているかもしれないが。

※あくまで研究者ではない一般人が考えただけの文章です。
※本文と引用した記事・書籍・学説等の正しさを保証するものではありません。

タイトル画像:"Illustration of a person who is frightened by many vaccines" by Stable Diffusion Online

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