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敏感だと何かと世の中生きづらくなる

お久しぶりです。最近全く投稿ができておりませんでした。

理由はいろいろありましたが,少しだらけてしまいました。たまーにそういう時期ってありますよね。心機一転今日からまた頑張りたいと思います!

さて,前回で「スティーブ・ジョブズに学ぶ」シリーズは終了しましたが,しばらくの間はビジネスというよりも「生き方」について着目していけたらなと思います。

仕事に関する事も大切ですが,ワークライフバランスの充実を図るためにも生きていくという視点からいろいろ考えていきたいと思います。

今回は敏感の恐ろしさをまとめていきます。早速見ていきましょう。


敏感or鈍感?

「あなたは物事に対して敏感ですか?」と聞かれたら何と答えますか? ここでいう物事はなんでもいいのですが,例えば流行に関してだとか人からの評価に関してだとかですかね。

ちなみに私は割と敏感なタイプだと思います。特に,人からの評価はめちゃめちゃ気にします。小さいころから承認欲求が人一倍強かったので,人から認めてもらえて初めて自分の成果を実感することができていました。

私の経験談を見ると一見敏感な方が他者のことを十分に考えることができ,最適な行動をとることができるのでは?と思ってしまいます。しかし,振り返って考えてみると苦労のほうが大きかったような感じがします。

なぜか。それは他の人に対してかなり気を使うからです。当時の私は,人から評価を得るためには,まず嫌われないように徹することが一番手っ取り早いと考えていました。

そのため,自分のことを客観的に判断して他の人から私はどのように映っているのかを冷静に分析して行動することを心がけていました。

この方法は確かに合理的で人から嫌われる確率はぐんと低くなるような気がします。みなさんもそう思いませんか?

しかし,ここには落とし穴が存在しています。それは,冒頭にも述べた「人の評価に敏感に反応してしまうようになる」ということです。これがまあ生きにくい空間を創り上げてしまいます。

他の人のことを常に考えていた私の行動にはもはや自分の意志みたいなものはほとんど介在していませんでした。つまり,良く思われようとしたあまり自分の考えが消えていったのです。

自分の考えがなくなるどうなるか。それは主体性や積極性がなくなり,逆にコミュニケーション能力が低下していったのです。人の評価を気にし過ぎた余り,自分自身を見失ってしまいました。

敏感であることは一見素晴らしいことだと感じてしまいますが,過剰になってしまうと自分自身を苦しめてしまい,結果的に人からも見放されてしまうかもしれません。


鈍感が良いのか

「それじゃあ,鈍感のほうがいいのかよ!」と感じた方がいらっしゃるかもしれません。私の答えとしては,一概にイエスとは言えないなという感じですね。

鈍感は主観的に考えれば,気にする要素が減る分気が楽になりそうですが,やり過ぎると孤立する可能性が出てきます。

敏感過ぎると出世しないとよく言いますが,鈍感なら出世するという風に考えるのはいささか無理があるのではと感じます。

鈍感の条件みたいなものは次回まとめてみようかなと考えているので,少し皆さん自身で考えてみてください。


まとめ

今回は敏感であることについてまとめていきました。

世の中のいろいろなことに敏感になってしまうと,身体的にも精神的にも疲弊してしまいそうな気がします。

かといって,鈍感になるのも若干の怖さを感じますね。

そんな悩みを晴らすために,次回は鈍感であることに着目してまとめていきたいと思います。

私のような敏感気質な方にとって少しでも気が楽になる記事作りを目指して頑張ります。

最後までご覧いただきありがとうございました。

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