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新任紹介/大尾侑子【メディア研究として「地下出版」をみる】

 2022年4月に本学に着任しました、大尾侑子です。「メディア論」「比較メディア史」の講義科目のほか、「データ分析/社会分析ワークショップ」や「フレッシャーズセミナーa/b」「演習」を担当しています。

 専門は歴史社会学やメディア史で、2つのテーマを主軸に据えてきました。ひとつは戦前昭和の「地下出版」、いわゆる発禁本や非合法的に頒布された雑誌や書物です。もうひとつは「演習(ゼミ)」でも扱っているファン研究(fan studies)。メディア・オーディエンスである「ファン」を対象に、その文化的な実践やネット空間のファンダムについて調査しています。

 後者のファン研究は想像しやすいかもしれませんが、前者の「地下出版」はあまり具体的なイメージが湧きづらいでしょう。一体どんな研究をしてきたのか、今回は“メディア”という視点から少しだけご紹介します。

「写真」を使った権力批判のパフォーマンス
まず、このモノクロ写真をみてください。「梅原北明罰金刑祝賀会」と書いてあるので、なにかのお祝いのようです。

「梅原北明罰金刑祝賀会」の写真。罰金を食らっても、満面の笑み!

 これが掲載されたのは、戦前昭和の「エロ・グロ・ナンセンス」文化の先駆けとなった雑誌『グロテスク』(1929年5月号)でした。写っているのは有名な作家や出版人、弁護士といった“インテリ”たち。全員が男性です(なぜか考察してみてください)。彼らは『グロテスク』の代表で、「猥せつ出版の帝王」と呼ばれたジャーナリスト・梅原北明(1901-1946/写真×印)を囲んでいます。

 かつて日本社会には検閲制度があり、戦前昭和には新聞、雑誌、書籍、映画、レコードまで、あらゆるメディアが公権力によるチェックを受けました。とくに思想を扱う媒体は「安寧秩序紊乱」、「エロ(性・風俗)、グロ(犯罪・猟奇)」を扱う媒体は「風俗壊乱」(風紀を乱す)として発禁(発売頒布禁止)処分を喰らい、作り手(発行人、編集人)には差押や禁固、罰金刑などの罰が課されました。

 私が研究対象としている「地下出版」とは、前者の「風俗壊乱」の対象となった(あるいはなりうる)もので、法律をかいくぐり非合法的/半合法的に頒布されたメディアのこと(一般的に、地下出版とはサミツダートなどの東欧の反体制的な媒体を指す場合が多いです)。その中核的な存在が、梅原北明という人物でした。上の写真は、彼が罰金刑を受けたことへの不満から、あえて「祝賀会」と銘打って、公権力を茶化すパフォーマンスだったのです。

 そこで用いられたのが、「写真」でした。写真は、そこに写されたもの=コンテンツであると同時に、写真という形式それ自体が、あらゆるメッセージを媒介する「メディア」です。当時、この写真を見た警察や検閲官、あるいは読者たちは、どんな気持ちになったでしょうか? 文書やデモで異議申し立てをされる以上に、腹を立てたり、逆に「一本取られた」という人もいたかもしれません。

 はたせるかな、同号が発行された直後に警察係官は梅原北明宅に襲撃します。本人不在のなか金庫を押収、居合わせた16歳の妹を署に同行しました。怒って警視庁に乗り込んだ梅原北明もまた、その場で留置されてしまいました。

伏字を穴埋めする、秘密の読書行為
話を元に戻すと、出版物を対象とする場合でも、「メディア研究」は出版物に書かれた内容だけを対象とするわけではありません。作品の「内容」以外の部分にこそ、多くの手がかりが隠れていることを見逃しません。

 たとえば「伏字」と「正誤表」。伏字とは「××××」「○○○○」などと発禁になりそうな単語を伏せたものです。エロ出版物の場合は、猥せつな単語が該当します。しかし、せっかくお金を払って購入しても、伏字ばかりでは“読めない”し、おもしろくありません。そこで生み出されたのが正誤表です。伏字箇所だけをまとめた媒体で、出版社は秘密裏に会員読者(つまり、会費を払う熱心なファン)に向けて、これを送付しました。そのため読者は、正誤表を片手に単語を穴埋めする楽しさ、スリルをも味わうことができたのです。

発禁処分になった雑誌『文芸市場』(1927年6月)の読者が正誤表を見て伏字を埋めた痕跡

こちらが、実際に書き込みがある古本です。正誤表が雑誌にのり付けされています。
 
 注目すべきは伏字もまたメディアであるということ。「×」や「○」自体は意味を持たない記号ですが、その空白地帯こそが「隠蔽せざるをえないもの」「国家の意志による排除」というメッセージを媒介します。「読めない」がゆえに、その余白は想像を掻き立てる思考の余白を生み出す。したがって伏字本というだけで、(読めないにもかかわらず)付加価値が生じるという逆説も成立するのです。

美しい装幀の世界へ……
 さて、地下出版の世界は発禁との闘いだけにとどまりません。彼らのなかには書物の内容だけに飽き足らず、その形式──装幀、判型、紙、デザインに、すさまじい執念を見せた人たちがいました。そんな愛書家の一人である伊藤竹酔が手がけた『不謹慎な宝石』という翻訳本は、非常にめずらしい一冊です。

耽奇館主人(梅原北明)訳『不謹慎な宝石』1929年10月、国際文献刊行会(家蔵本)

グリーンのガラスを表紙に使い、50部しか存在しない限定本。時価一万円と高価だったので、購入できた人はよほどのマニアか裕福な人だったはずです。同書の翻訳を手がけたのは、「耽奇館主人」。その正体こそ、上の写真でセンターを陣取っていた梅原北明でした。彼らはなにも「下品」な本ばかりを作った儲け主義者ではなく、オブジェとしての美しさも含めて書物を愛した愛書家でした。
 
 地下出版メディアには、権力との格闘の歴史だけでなく、学校教育や大学では習わないような知に向けられた人々の情熱や知的好奇心、そして書物をめぐる美意識が刻まれています。残された雑誌、書籍、広告、パンフレットから、そうした痕跡を読み取ることができます。

https://www.keio-up.co.jp/np/isbn/9784766428032/


 いま、「なんとなくメディアに興味がある」という皆さん。ぜひ100年前の本を手に取り、手触りや匂いを感じてみてください。今よりもっと、「メディア」に興味が湧いてくるかもしれません。授業やゼミでお会いしましょう!
 
(大尾侑子)


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