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ミュージカルの「産声」

 大学生活も3年目となると自分のやりたい事がまとまってきた(ホテルでよく「大学まだ通われてますか?」と聞かれますが、通っております)。今、将来的にどんな音楽活動をしていきたいかと問われた時に、「健康的な歌声」という事に辿り着いていて、それはミュージカルの「歌声」という所から広がっていくと思っている。

 宝塚の舞台は、海外ミュージカルを多く上演する様になってから、「歌声」のコントロールや、クオリティーの維持なんかが、タカラジェンヌに必要な大きな要素となってきている。

 ミュージカルの起源は、ギリシャ劇から始まっている。紀元前530年頃、アテネにおいてディオニソス(酒神・演劇の神)崇拝である、神にささげる儀式が始まる。それは、参加した劇作家の中で最も優れた作品を投票により決定した、コンテストの様なものであった。最初は合唱隊が歌うだけであったものが、一人の俳優が台詞を話し始めた。それが対話となり、歌と融合した演劇が生まれていった。つまり、演劇からミュージカルの起源は始まっている。

 ルネサンス末期の16世紀末~17世紀初頭、王侯貴族の寵愛を受けていた作曲家や詩人達が、娯楽の為に、フィレンツェで古代ギリシャの演劇を復興しようという動きが始まった。その為、古代ギリシャ劇を音楽劇化したのが始まりである。それは、イタリアを中心に劇的構成と高度な歌唱、歌うような台詞を用いる劇となっていく。これがオペラである。

 その後、オペラの合間に喜劇的な場面が挿入されるようになり、それが独立して上演される様になった。その時代の世相や生活風俗を映した現代喜劇、パリで演じられていたオペラコミックを発端に、イタリアやイギリスでも広がり始める。

 それは、上流階級だけでなく庶民を対象にする様になり、19世紀後半には、オペラ発声の歌手、クラシック編成の管弦楽団、バレエダンサーによる舞踊、ドイツ語歌詞といった要素が、台詞劇の部分を持つオペレッタという新しい形式による大衆的娯楽作品が書かれ人気を博していく。

 オペレッタは、アメリカに持ちこまれ、ニューオリンズで行われていたショーや、レビュー、ミンストレスショー、バーレスク、地声による自由な歌唱と一体化したダンス(歌手とダンスを分担しない)、打楽器を多用した自由なバンド編成、英語歌詞といった形へと置き換えられて、ミュージカルとなり、1866年ミュージカルの第1号「黒い悪党」が誕生する。

 そして、1927年シリアスな題材、社会問題やリアリティのある人間像を描いたミュージカル「ショーボート」が新しいジャンルとして上演される。その後、「ウエストサイド物語」「ヘアー」「ハミルトン」等の登場で、ジャズ・ロック・ヒップホップ等の様々な音楽ジャンル、民族対立・人種差別・性差別等の社会問題などを扱った物語も融合させながら変遷を繰り返し、今もミュージカル生まれ続けている。また最近では、ディズニーや2.5次元ミュージカルも多く上演される様になっている

 ミュージカルの歴史は150年程で、107年目の宝塚とそれほど変わらない。「ドンブラコ」から始まった宝塚歌劇。その時代その時代で色んなものと上手く融合し、変遷を繰り返しながらオペラ、オペレッタ、ミュージカル、ストレートプレイ、レビューまで女性だけで上演している。今も色あせず新鮮なままである部分は、似ているなと思う。変化出来るのは強い。でも色は失わない。コロナ禍で時代は急激に変わろうとしている。

オリンピック閉会式で歌うタカラジェンヌ…多様性が求められ、女性の権利や在り方がどんどん見直されている。

うん…宝塚は可能性に満ちている。きっとまだまだ輝きつづけると、私は思う。

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