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東海道珍道中Day12 浜松宿→新居宿~うっ血ブーストで湖上を駆ける~

2022年6月4日土曜日。日本橋から浜松までは、大体1か月間隔で歩いてきた。しかし、前回4月の浜松までの旅以降、田内も中山もそれぞれ偶然出張が入って間隔があいてしまったため、脚力が落ちた状態でのスタートとなる。
そして浜松までは一泊二日での行程だったが、浜松以西の旅はさすがにコスパ考えて有休を東海道のために使うのであった。というより、東海道のために有休をとって歩くのであった。
というわけでここから二泊三日編がスタート。
 
登場人物:
田内(仮名):私。実際の徒歩旅と記事の更新タイミングの差が開いて、ついに1年ビハインドに。薄れゆく記憶の中で巻き返しに勤しむ、愚直で勤勉な社会人。
中山(仮名):東海道旅の考案者で会社の同期。6月の暑さを見越して半ズボンで旅をする抜け目のない狡猾な社会人。

【前回の記事はこちら】

浜松宿~舞阪宿(11.1km)

東京からの時間とランチの時間を考えて、11時くらいに浜松駅に集合。
前回の旅は浜松で解散だったが、翌日の仕事に備えて早く帰らねばならず、あろうことか鰻を食べ損ねてすごすごと帰った。
というわけで鰻を食べないと腹の虫がおさまらないということで、今回はまず鰻を食べて旅行者満足度の高い状態からスタート。

浜松駅にてチェックインする私。
今回の記事からパソコンが変わったから、顔の部分がスタンプじゃなくて色塗りつぶしになってなんか無機質になった。
浜松駅近くにある曳馬野というお店の鰻。とってもおいしかった。

浜松駅をあるいてしばらくすると、前方から我々と同じく東海道ウォーカーとみられる人たちが歩いてきた。
東海道ウォーカーだと分かったのは、彼らも我々と同じく、東海道三種の神器の一つである地図本を持っているからであった。

東海道でよくみられる典型的な普通の景色

余談だが、東海道ウォーカーにはいろいろな流派がある。
ルート付近の名所も寄りながら楽しむ自由形派、自転車で移動する効率派、食事・宿泊を除いて旧東海道からは1本たりとも外れてはいけない過激派、Day4の箱根峠で出会った東海道最強の翁・手練爺のような攻略派、などなど。
我々は過激派に位置づけられ、例えば三保の松原や蓬莱橋みたいな風光明媚な名所であっても、ルートを外れていれば決して寄ることはできない。
ただし、過激派とはいっても、自分たちが勝手に一本たりとも外れていないだけで、他の流派の人たちがどう楽しもうが口をはさむことはないので、より正確には過激穏健派といっていい。
 
ちなみに学校とか職場とかで豆知識としてこれらの流派の話をしても全然問題ないが、これらの流派は田内と中山が勝手に分類しただけだから、話をしたところで誰もピンとこないかもしれないし、誰の何の学びにもならないかもしれない。

大学時代ぶりくらいの遥かなるガリガリ君。本当に大学生ぶりかは記憶があやふやで、ガリガリ君最後に食べたタイミング誰も覚えていない説。

浜松宿から舞阪宿までの間は、国道1号線やその付近に沿って歩く普通の景色。
そして6月といえど、長ズボンであるくと少々暑い。
中山はちゃっかり半ズボンで来ている中、私は間違えて長ズボンで来てしまったため、耐え難きを耐え、忍び難きを忍びながら旧東海道を爆進する。
 
しかし、休憩のコンビニでガリガリ君で頭を冷やしたところ、世紀の手法を思いついた。
それは、うっ血ブーストという、長ズボンを膝までまくり上げることで、実質半ズボンみたいな感じでさわやかにあるくことができる画期的な手法である。

この手法を開発したことで、爽快感が格段に増してペースアップして歩くことができた。
あのニュートンも、リンゴが落ちたのを見つけた日はこんな気持ちで一日を過ごしたのかもしれない。 

うっ血ブーストに乗じてしばらく歩くと、東海道あるあるの松並木が見えてきた。
この松並木が舞阪宿の目印で、次の新居宿までの道につながるテイクオーバーゾーン。

舞阪宿~新居宿(4.6km)

舞阪宿の松並木は、道沿いに東海道五十三次の各宿のレリーフがおかれている。
日本橋、品川、川崎・・・と、これまでの道程を走馬燈のように思い出し、感傷に浸りながら歩ける道。
1か月間隔で歩くとどうしても過去の記憶がぶつ切りになるから、我々のような社会人旅行者向けに、このような復習の機会をいただけて大変ありがたい。

ということで舞阪宿までを短時間でおさらいできるのはよかったが、あろうことか、舞阪宿より先のレリーフも用意されている。これではネタバレではないか。旅情も何もあったものではない。
なんたる旅人泣かせの石碑かと手のひらを返し、最も強い言葉で非難しながら、三条大橋のレリーフを越える。

天下の険、箱根宿のレリーフ

松並木を越えると、ほどなくして浜名湖が見えてきた。
浜松~舞阪の間は普通の道だったから、こつ然と現れる大容量の湖にテンションが上がる。

奥に見えるのは浜名大橋。橋梁好きな人なら感涙にむせび泣いてもおかしくない佇まいの立派な大橋。

浜名湖沿いに歩くのか?とか一本の大橋で渡るのか?とか想像していたが、実際は浜名橋の中に弁天島のような小島がいくつかあるから、何本か橋を乗り継いで対岸まで歩くことになる。

景色がいいのはありがたいが、出張で体力がなまっていた田内も中山も、そろそろ疲労がたまってきた。
 
ここで、私田内が再度世紀の発明をする。
舞阪宿までの間に活用したうっ血ブーストでズボンは捲し上げられていたが、それを下ろすと、足が解放された爽快感で、それはそれで歩みが進む。

うっ血ブーストは捲し上げ時の涼しげな爽快感と、おろした時の解放感と、1サイクルで2回も加速機能が装備されているのである。
うっ血ブーストを繰り返しながら、加速を繰り返して湖上を駆ける。

とはいえ、何キロも湖上を歩いているとうっ血ブーストの効果も逓減してきて、さすがに疲れてきた。

最後の橋・西浜名橋に差し掛かったところで、湖上の橋梁でしかできない禁断のゲームが考案される。

それは、オジイオバアゲームである。
オジイオバアゲームのルールはいたって簡単で、対岸にうっすら見える人影を、到底判断できないような距離の段階で、オジイなのかオバアなのかを判断するのだ。
 
こんなゲーム、長い橋の上でしかできないし、そもそもやりたいと思う人などいないので、東海道を歩き続けてとてつもなく暇で娯楽が限界を迎えた人しかできないゲームといっていい。

オジイオバアゲームの聖地、西浜名橋

オジイオバアゲームでメンタルを保ちながら西浜名橋を越えると、遂にこの日の宿がある新居宿に到着。
新居宿は関所跡が残っていて、疲労はありつつなんだかんだいい気分でチェックアウトできた。

手書きだと逆に目立ってしまうからよくない。早く技術を身につけねば。

新居宿についたのは大体17時くらいだったから、そこからは自由な時間。
 
東海道を歩く旅人の昔からの定番、はま寿司で各種サーモンに舌鼓を打ってもいいし、ビジネスホテルの銭湯でさっぱりした後に腰に手を当てながら牛乳を飲んでもいいし、スーパーで買ってきたアイスを食べてもいい。
普通は撮らないであろうはま寿司や普通のスーパーの写真を撮るなど、ちょっと通な外国人観光客みたいなムーブをかましてもいい。
かくして二泊三日の初日のこの日は、人畜無害に眠りにつくのであった。

いたってスーパー。

次回:DAY 13 新居宿→吉田宿


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