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東海道珍道中Day13 新居宿→吉田宿 ~令和の奇策・豊川越えの番狂わせ~

2022年6月5日。前日の浜松宿→新居宿は17kmくらいと東海道歩きの中では短い距離だったが、なにせ脚力が落ちた状態でのスタートだったから、結構疲れがたまっていた。
そして初日の17km程度でへばる二人の前に、二日目の23kmの区間が立ちはだかる。県境をまたぐこのルート、果たして一行は永遠の静岡県を抜けて愛知県にたどり着けるのか?
絶望の二泊三日編の二日目がスタートする。
 
登場人物:
田内(仮名):私。東海道のために有給をとって仕事に穴をあける怠惰な一面と、別に理由を言う必要はないのにちゃんと上司にも東海道旅であることを申告した勤勉な一面の、両方の性質を合わせ持つ伸縮自在の社会人。薄っぺらい嘘もちりばめながら旅行の記録を綴っていく。

中山(仮名):東海道旅の考案者で会社の同期。東海道のために有給をとる怠惰な奴。多分上司には東海道旅であることを申告していないから、もし申告してなければただただ怠惰なだけの奴。申告してたら伸縮自在な奴。

前回の記事はこちら

新居宿→白須賀宿(7.8km)

東海道恒例のビジネスホテル朝食無感情ビュッフェを経て、スタート地点・新居関所へ。
6月の朝は東海道ウォーカーにはちょうどいい気候で、さわやかな気分でこの日の旅を開始した。
と書くとそれっぽいが、なんせ実際の旅からこの文章を書くのに1年以上たってしまっているから、この朝が本当にちょうどいい気候だったのかは覚えていない。天気は少なくとも晴れだったけど。
もし読者の中に正確にちょうどいい気候だったのかを知りたい人がいれば、気象庁に聞いてみてもいいかもしれない。

さわやかついでに言うと、静岡に行ったらぜひさわやかのハンバーグを食べてほしい

新居宿からしばらく歩くと、道を横切る形でバイパス(?)を建設中なのか、工事中の光景が見えてきた。
ちょうど旧東海道と交わる形で工事途中の橋脚みたいなのがあり、それを見た中山がおもむろに「ボックスカルバートだ」とか言い出す。
 
いや、そうなのかもしれないけど、ボックスカルバートなのかもしれないけど。
業界の人にとっては当たり前なのかもしれないが、そもそも我々が働いているのは建築系の会社でもないし、中山は土木系のバックグラウンドも職歴もない。
世の中には、よく例に出されるものだと食パン止めるM字型の留め具みたいに、見たことはあるが名前は知らないものがたくさんあり、ボックスカルバートもその中に位置づけられると思う。
なんならボックスカルバートは、日常生活で食パンの留め具よりも見る機会ぐんと少ないから、業界外の人がその存在を認識する機械や、名前を覚える機会は全くない。
 
ボックスカルバートの知識をどこで仕入れたのかが謎だが、ボックスカルバートのエピソードトークにこれ以上力を割いても仕方がない。
ボックスカルバートを知らない人にとってはどうでもいい話だし、ボックスカルバートを知っている人であれば、ボックスカルバートをこんな浅い角度で論じたエピソードに何の価値も見出さず、書くなら本腰入れてちゃんと書いてほしいと思っているはずだ。

因縁のボックスカルバート

こうしてボックスカルバートをくぐり抜けて淡々と歩き続けると、この区間の見どころである潮見坂に差し掛かった。
潮見坂は、なんでも西から東海道を下ってきた旅人が初めて太平洋を目にする場所ということで名前がついた坂で、古来よりたくさんの歌人を魅了してきたという。
 
しかし、それは西から来た場合は下り坂の途中で太平洋を一望できるということで、東から来た我々にとっては、太平洋に背を向けながら歩くただの上り坂でしかない。
視界に入ってくるのはただの坂で、こんなはずじゃなかった、人生どこで間違えたんだと悔やみながら、6月のじんわりとした暑さの中坂を上る。
 
坂を上ってしばらく歩くと、白須賀の本陣に到着した。

振り返って潮見坂をぱしゃり。ぱしゃりといえば、いつかバジャドリードにも行ってみたい。

白須賀宿→二川宿(7.4km)

白須賀宿から少し歩くと、境川という川があり、そこを越えるとついに愛知県に到達する。
DAY 5の三島宿からDAY13の白須賀宿まで、8日間かけてようやく静岡を抜けたことになる。
 
そして私は愛知県出身だから、徒歩ではるばる愛知まで戻ってきたことが少し感慨深く思えた。
なんなら桃鉄の目的地到着時みたいに沿道でみんなが歓迎してくれることを期待していたが、現実はどこまでも薄情で、何人たりとも我々を待っててくれなかった。
キングデビルくらいひどすぎる。むごすぎる。

敵の侵入を防ぐために直角に曲がった道「曲尺手(かねんて)」。パネンカを彷彿とさせる響きだが、別にジダンもピルロも関係ない

愛知県というと工業地帯のイメージが強いが、このあたりはしばらく国道一号線沿いにのどかな田園風景が広がる。
というより、旅人目線だとひたすらなんもない。

この道は曲尺手ではない。非曲尺手。

何もなさ過ぎて、ファミリーマートをランドマークとして崇め奉ったり、水田見てお腹すかせたり、思い思いの過ごし方をしながら歩き続けた。

ファミリーマート豊橋一里山店。炭酸飲料とかクーリッシュとかを売っている多角経営の店。右に映っている道路は非曲尺手。

その先にある二川宿は、今も本陣や商家の遺構が残っている。
駒屋という商家の中には資料館や食事処があり、おなかをすかせた我々は蔵カフェ「駒屋」に入ってお昼ご飯をとることに。
 
6月の東海道歩きは結構暑く、結構汗かいていたから、クーラーがたまらなく心地いい。
そんな中で駒うどんを頼んで一回休み。
東海道の旅といえばうどんと相場が決まっており、うどん以外を食べることはありえないのだ。
そんな奴がいたら小一時間問い詰めても問題ない。

二川宿→吉田宿(7.6km)

駒うどんとデザートでチャージして、この日の最後の宿、吉田宿へ。
 
まだお昼過ぎたくらいなのに、この日はあと1宿を残すだけという好調なペース。
こう書くと、翌日もあるんだから、余裕があるならこの日のうちに吉田宿より先に行けばいいのでは?と思う方もいるかもしれないが、馬鹿なことをいうんじゃない。
途中に泊まれるホテルがない宿もあるから、吉田宿より先に歩いてもホテルがない可能性もある。
自由気ままに歩けるわけではなくどうしても制約があるのだ。適当な思い付きで旅人を振り回すのはやめてほしい。

二川宿の本陣は迫力がある

二川宿から吉田宿までの道程はほとんどが住宅街。
途中「善意の道」という道があり、地獄への道は善意で敷き詰められているという警句を思い出し、下手なことをすれば即地獄に落とされるとおっかなびっくり歩いたが、幸いなことに何もなく、ちゃんと文字通り善意の道だった。

地下資源館。地下資源があるからといって、このあたりを許可なく勝手に採掘してはいけない。

吉田宿は、今の豊橋市の中心部にある。
豊橋は人口規模35万くらいの東三河の中心都市として結構栄えているから、ビジネスホテルも多い。
17時くらいに吉田宿について、いったんビジネスホテルで休憩して、明日の行程を見てみる。
 
・・・いや長い。吉田宿~岡崎宿は約32kmもある。
これが二泊三日のうちの2日目ならいいが、最終日で翌日の仕事に備えて東京に帰らないといけないことを考えると、3日目の32kmはきつい。
 
ここで、私か中山かどっちだったか忘れたが、天才的な案を思いつく。
「吉田宿から御油宿の間で、駅のある適当な所まで今日歩いて、明日その駅からスタートすれば、明日歩く距離減らせるのでは?」
先ほどは吉田宿より先に行けばいいのでは?と思った読者を口汚く罵倒してしまったが、前言撤回。
読者のおっしゃる通り過ぎる。
 
こうして、小雨が降る中、ビジネスホテルでの安息を捨てて翌日分の距離を稼ぎに引き続き歩くという奇策に打って出た。
この奇策は、鉄道駅がなかった江戸時代にはできなかったから、東海道史の新たな時代を切り開いたクリエイティブな一手といっても過言ではない。
もし弥次喜多と飲む機会があったら、多分この話で盛大にマウンティングしてしまいそう。

豊橋の語源になった豊川にかかる豊橋(文章構成下手な奴)を越え、JR飯田線の小堺駅、名鉄名古屋本線の伊奈駅を通り、同じく名鉄名古屋本線の小田渕駅まで行ったところでこの日は終了。
4kmくらい稼げたから、明日は1時間早く帰れることになる。

このジャイアントキリングに満足し、極楽湯豊橋店へ。
小雨が降ってちょっと寒い中で入った露天風呂は本当に最高で、そのあとにビールを飲みながら食べたスタミナ丼もまた最高の味。
何も考えずに温泉に入ってビールを飲むことほど幸せなことはなく、ミルであってもこの時ばかりは不満足なソクラテスより、満足した馬鹿のほうがいいというに違いない。

極楽湯の入り口、ヘブンズ・ゲート。光のブロッカーを持つ進化ではないクリーチャーを2体まで出せる。

次回:Day14 吉田宿→岡崎宿

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