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小1小2を振り返るーサスティナブルな小1の壁の乗り越え方

4月から上の子が小学3年生になった。
クラス替え、6時間目までの授業が週2回、生活科に代わって理科と社会がスタート、など、盛りだくさんの3年生。
都内は緊急事態宣言下での制約がいろいろあるものの、今のところとても楽しそうに3年生がスタートした。

3年生になって一月が過ぎたこのタイミングで、親目線ではじめての子の小学1年生、2年生の2年間を振り返ってみようと思う。

母の転職後に1年生スタート

前職への不満もあり、次のキャリアへのステップとしてどうしても挑戦したい仕事を見つけたので、わたしは子が小1になる少し前に転職をした。
転職したことで、1日のスケジュールが変わった。

<転職前のスケジュール>
6:00 起床→朝食作りと身支度
6:50 子どもたちと夫を起こす→朝食と身支度
7:35 家を出る→保育園へ
8:00 最寄り駅着、乗車
8:45 職場到着
9:00 始業
17:30 終業
18:30 保育園お迎え

子の3歳の誕生日前日までという法律上最低限の時短勤務制度しかない職場だった&わたしはわたしでフルタイムで働きたかったというのもあり、こんなスケジュールで日々回していた。
定時帰りが続くと思うように仕事が進まず苛々することも多々あった。

<転職後のスケジュール>
6:30 起床→朝食作りと身支度
7:15 小1と夫を起こす→朝食と身支度
7:30 年少を起こす→朝食と身支度
7:55 夫と小1が家を出る→夫登校付き添いののち出勤
8:25 わたしと年少が家を出る→保育園へ
8:45 最寄り駅到着、乗車
9:20 職場到着
9:30 始業
18:00 終業
18:50 学童お迎え
19:00 保育園お迎え
(夫がお迎えの日は18:15学童お迎え、18:30保育園お迎え)

はじめての子の小1の直前に親が働き方を変える場合、母親が正社員からパートになるなど働く時間を短くするのが一般的と思うが、わたしはそんなことは一切考えず、このタイミングで公募のあった仕事に挑戦したい、ここでやらなきゃ絶対後悔する、と思ったので思い切って応募し、無事に採用され転職をした。
そして、転職を機に、これまでわたしが送迎の9割以上を担当していたのを夫と半々にすることにした。
送迎などの負担がわたしに偏っていて残業ができない、仕事に没頭できなくて不満だったのを解消したいというのも転職に至る理由のひとつだったので、不満の解決も図りつつ小1を迎えることとなった。

はじめての子の小1を前にこんな大胆な転職に踏み切れたのには、ひとつ理由がある。子の学習面の不安を取り除くことができたからだ。
共働き家庭の子が小1になるにあたって小1の壁といわれるのは、親側の問題(時短勤務制度が小学生未満に限られている職場だったり、子が小学生になれば手がかからなくなりバリバリ働けると勘違いしている上司や同僚がいたり)のほかに、子自身の学習面や生活面の問題がある。
我が家では年中から学習系の習い事をしていて子がそちらにうまく順応できていたため、ひらがなカタカナ繰り上がりのある計算を年長までに身に付けることができた。
こうして学習面の不安を取り除いたことで、生活面のケアに注力すれば小1の壁は乗り越えられる、そんな自信があった。

こうして、我が家のはじめての子の小学校生活がスタートしたのであった。

思いがけずよかったこと

転職して思いがけずよかったことは朝のゆとりだった。特に下の子に関して。

転職前のスケジュールではわたし以外の3人をまとめて6時50分に起こしていたのだが、下の子の寝起きが悪くて苦労していた。
下の子は寝るのが遅い子で、まだ3歳なのに22時過ぎはザラ、23時過ぎることも珍しくなかった。
園での昼寝のせいもあり園に相談したこともあったが、昼寝を短くすると園で機嫌が悪くなることもあって、寝るのが遅い生活リズムに合わせてどうにかやりくりしていたのだが、子がなかなか寝ないことはわたしのあらゆるストレスの元凶だった。
転職する直前の1年は公私ともに本当にいろいろあってストレスフルだったが、今思えば子が寝ないことは家庭における一番のストレスでわたしを苦しめいろいろと追い詰めた。

それが、下の子を起こす時間が7時30分までに変わったら朝の機嫌が飛躍的に改善した。
まだ眠いと暴れることがなくなり、起きて10分くらいですんなり食事にたどり着けるようになった。

そして何より、「上の子とおとうさんが家を出てから30分ほどおかあさんと2人きりの時間がある」ことが下の子の心身安定剤として働いていることに気付いた。

上の子が生まれてからずっと朝は7時30分を過ぎたら家を出て園に預ける生活をしていて上の子はそれに順応していたため、朝早いのは当たり前になっていて見直すことなど考えもしなかったが、転職を機に朝のゆとりの大切さに気付くことができた。これは本当に大きかった。
一日がどう始まるかが子どもにとってすごく大切だと気付いて本当によかった。

上の子について言えば、朝のスケジュールの変更は学校がなく学童に行く日(主に長期休み)に特に効果を発揮した。
長期休みなどの学童の朝の受け入れは8時30分からで延長オプションをつけると8時10分から受け入れてもらえるが、それでも小1の頃はわたしが学童前まで付き添う必要があったので、朝の時間にゆとりができて学童前まで送ることが可能になったのは本当によかった。
転職前のスケジュールだったら一緒に玄関を出ても子一人で学童に向かってもらうしかなく、親も子も不安だったと思う。

夜はとにかく時間がない

朝のゆとりを手に入れた代わりに、夜は時間が後ろにずれ、とにかく時間がなかった。
学童と保育園を回って子どもたちをピックアップして家に着くと19時過ぎ。
そこから夕食(ほぼほぼ作り置きかお惣菜)を食べて宿題の音読を聞いて(音読以外の宿題は学童で済ませてくるよう口を酸っぱくして言った)学校のおたよりのチェックや宿題の丸付け、翌日の時間割を揃える、合間にテレビも見つつ、お風呂に入って寝るのが21時半、そんな怒濤の毎日だった。

でも、小1の頃は本当にビックリするほどうまく回った(週1くらいで20時にお風呂も入らず寝落ちする日があって疲れてるんだなとは思ったが)。
学習面の不安を取り除いておいたのは大当たりで、上の子は社交的な性格で学童がとても楽しいようだった。

元々夜型の下の子は、時間が後ろにずれた影響は全くと言っていいほどなかった。

2年生で一変

順調な毎日が一変したのが1年生の終わり。
忘れもしない、2020年2月27日夜。
残業中に「一斉休校要請」のニュースが飛び込んできた。
頭の中が真っ白になった。
当時わたしは仕事の納期を抱えて連日残業の日々。
休校?学童は開くの?なぜ?なぜ?なぜ?怒りと不安で震えた。
いきなりの休校でわたし以上に子が不安になり、泣いた。
なくなってしまった6年生を送る会で歌う予定だった「勇気100%」を一生懸命家で練習し続ける我が子の姿を見て、涙が出た。
もうがんばるしかないさ。

3月の休校中はずっと学童にお世話になり、4月に入って緊急事態宣言発令でわたしがテレワークに全面移行し5月末までずっと学童(と保育園)を休ませて子どもたち2人とわたし(とときどき夫)で家で過ごすことになった。

3月、4月は宿題もなくそれはそれで不安な日々だったが、5月からは毎日学校指定のカリキュラムにしたがって2年生の単元を進めることになった。
2年生の漢字。最初は「友」「書」「風」「紙」だったが、あまりの出来なさにクラクラした。
1年生の漢字は「山」「川」「田」のような単純なものがほとんどだが、「書」や「風」など画数も増えバランスよく書くのが難しくなり、しかも学校で先生が教えるのと違ってわたしの言うことなんて子はなかなか聞いてくれない。
休校が長くなりわたしと過ごす時間が増え子もストレスがたまり、わたしの言うことに聞く耳を持たなくなっているのも感じた。

6月に学校が始まり、最初は分散登校で1日おきだったり午前指定だったり午後指定だったりする中、漢字テストで60点を取ってきて、しかもそれについて悔しくないと強がったりして、2年生のはじまりはいろいろとつまづいた。

コロナ禍の長期休校で子の勉強に対する姿勢が変わってしまった。
1年生の1年間に築き上げてきたものが崩れてしまったことに絶望した。

幸いにもその後もテレワークが続いて時間的余裕ができ、子と向き合って軌道修正できたので2年生後半はそれなりにうまく回るようになったが、学習に対する意欲を取り戻すことからはじまりつまづいたことの見直しを強いられた2年生後半だった。

2年生で一変した理由

2年生で一変した理由は「コロナ禍の長期休校でそれまでの学習習慣が崩れてしまったこと」だと考えていた。
でも、もしかしたらそうではないのかもしれない、とも思うようになった。
小1の壁に備えて、未就学児の頃にひらがなカタカナ繰り上がりのある計算をしっかり身に付けた我が子。
これはすべて小1の学習範囲だ。未就学児のうちに先取り貯金をした形だ。
そしてこの先取り貯金のおかげで、小1の1年間は本当にうまくやってくれた。
19時帰宅で時間がない中、本当によくがんばってくれたと思う。

が、小1の1年間は新たな先取り貯金は全く作れていなかった。
日々を回すことに精いっぱいで。

もしかしたら、小2で崩れたのは、先取り貯金を使い果たしてしまったせいではないのか。
学習習慣自体がコロナ禍で壊れたことはもちろんあるが、それに加え先取り貯金の存在も大きかったことに、小2の終わりになって気付いた。
長期の休校がなかったら崩れなかったかもしれない。でも、もしかしたら、休校がなくても崩れていたのかもしれない。

先取り貯金が作れないようなギリギリの生活を続けていたから、立ちゆかなくなってしまったのかもしれない。
明らかに、長期的な視点を欠いていたと思う。

サスティナブルな小1の壁の乗り越え方

「ひらがなカタカナ繰り上がりのある計算を未就学児のうちにマスターして小1の壁に備える」ことは、結局わたしがフルタイムWMとして生き残るためのライフハックだった。
これはこれで非常に有益だったと思う。
それができる子だったので、子に無理強いをしたとも思っていない。
でもこれはあくまで親が主役の、親視点での目の前の「小1の壁の乗り越え方」に過ぎなかった。
長い小学校生活における持続可能性の観点からすると及第点ですらなかったように思う。
小学生が19時帰宅というのは長い小学校生活を考えると続けられるものではないのだと、小2になって改めて感じた。
本当に必要なのは「サスティナブルな小1の壁の乗り越え方」だった。
必要なのは毎日のゆとり。先取り貯金ではなかったと思う。

子が未就学児のうちはどうしても、働く親のスケジュールに子を合わせてしまったり夫婦で平等に子育てしたいという信念で動いたりしがちだが、子が小学生になるとそうもいかない。
子ファーストにしなければ、子の小学校生活を家庭の中心に据えなければ立ちゆかなくなる。
親の仕事都合を優先したり夫婦平等に子育てすることにこだわりすぎたりすると、ともすれば子の生活を軽視することになる。
子の小学校生活のリズムに合わせて家庭を回すことを最重視すべきと感じた。
夫婦間の子育て分担へのこだわり、場合によっては捨てなければならない。
子ファーストのためにいろんなこだわりを捨てることが必要な場合もある。
家庭の主役、世代交代のときなんだと思う。

公募で就いた職の任期を終えて無事にキャリアを満喫したわたしは、この春から新たな仕事に就いた。
小3になった上の子は18時には帰ってくる。
そして来年の春には下の子が小1になる。
二度目の小1の壁はサスティナブルに乗り越えよう、先取り貯金で乗り越えるのではなく、ゆとりを持って子の毎日とじっくり向き合うことで乗り越えようと心に誓った。

わたしはわたしでまだまだサスティナブルにキャリアを磨いていくぞ。