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読書リハビリ:めしとまち 24

文學界4月号はもう解体した。

そしてまた、めしとまちを読んで、ぼくは「暴力」とその再生産される社会構造について、政治的観点も交えて考えさせられたのである。

めしとまち

「めしとまち」は文學界2021年05月号から連載が開始され、今のところ単行本化はされていません。
神戸に住む著者がまちとめし、時々子育てについて綴ります。

「びっくらポン」文學界2023年04月号

バレンタインデーにチョコを配る人とその再生産について、そして最高のくら寿司デッキからの交通違反の話。
繋げて書くと意味が通らない。が、それが真実。
真実は時として整理されていないこともある。

手作りチョコレートをたくさんの人に自然体で配ること(以下「暴力」と表記)が出来る子供のそばには「暴力」が出来る保護者がいて、やがて大人になった「暴力」が出来る女子は「暴力」が出来る子孫を育てていく。

「めしとまち」 平民金子 文學界2023年04月号

貧困の再生産のような、「暴力」の再生産という発見。

リモートワークのため、朝は散歩がてら娘を学校まで送っている。
当然ながらたくさんの小学生を見ることになるのだけど、流石にチョコレートを配る子供は見たことがない。
昨今では学校では配るの禁止とかになっているらしいし。キャラ弁も禁止と聞いてその理由を聞きたくなった。

我が娘は今の所チョコレートを配っていない。
いずれ高学年になった頃にはそういった「手作りチョコレートを配る」という流れがやってくるのかもしれないとは思っていた。
だが、考えてみると娘は意外と流行に乗らない。
みんなが大好きなものに惹かれるということもあまりないようである。
それは上記のような「暴力」の再生産に自分や妻を含め携わっていないということだからだろうか。
それとも突然そういう日がやってくるのだろうか。

通学で「スプラトゥーンの武器ではやはりチャージャーが得意なので」と話してくれる娘が、突然手作りチョコレートを誰かに食べさせるという暴挙に出るのかどうか。

そういえば以前に。
コンビニで「ドーナツを作ろう」みたいなお菓子を作るやつは、爛々とした目で購入し、作ってその一つをぼくにくれた。
それはこの場合の「暴力」とは異なるのだろうか。

うちの子がもしめっちゃギャルやったらどうすんの、チョコ配りたいんかなあ、あの人。

「めしとまち」 平民金子 文學界2023年04月号

親子であってもやはり他人だ、別人格なのだ。
「あの人」の本当のところはまだわからない、それが今言えることなのかもしれない。

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