読書リハビリ:揚げ物ブラザーズ
文學界がリニューアルして、表紙やら、構成が少し変わった。
以前は「Author's Eye」と銘打っていた1ページのエッセイも「窓辺より」に変わっていた。
この1ページのエッセイ、非常にコンパクトにまとめる必要がある上、何かを読者に残すという難題をクリアしなければならず、書き手の技量が大いに問われると思う。
それでも、いや1ページだからこそ、何度も読んでしまうものに出会うことも多く毎回楽しみなのだ。
先日、高校時代の友人と会うことになった。
なんとなくいく前は気持ちが乗らなかったという話をnoteに吐き出してみた。
そして道すがら、もう一度読んだのが、鈴木ジェロニモの「揚げ物ブラザーズ」だ。
揚げ物ブラザーズ:鈴木ジェロニモ
鈴木ジェロニモのことは、一昨年のR1グランプリの予選で観て知っていた。ボイパで辛辣なことを言うようなネタで、短い時間でインパクトのあるネタだなと感じたものだ。
その後、どういう人なのか軽く調べたら何やら詩作もしているらしいとは知っていた。
そんな彼のエッセイ、揚げ物ブラザーズは小学生の頃の友人と大人になってから新宿で会うと言う話。
特別仲が良かったわけではないが、突発的に名付けられた揚げ物ブラザーズと言う名称、そしていつでもその時の情景を思い出せるという話で、誰にでもありそうな原風景についてであるが、非常に巧みな文章で楽しかった。
誰でも小学生の頃によくわからないあだ名を付け合ったりしたもので、
ぼくにもそういえばそんな二人がいた。
しかし鈴木ジェロニモと違って、しっかりとした関係を維持することはなかったので、今となっては連絡の取りようがない。
ただ、3人で、よく遊んだこと、漢字ドリルを完成させなくてはならず3人で夜までひたすら書いたこと、その後行ったラーメン屋でラー油をこぼしたこと、なんかはすぐに思い出せた。
鈴木ジェロニモのエッセイによって、ぼくも古い友人の姿をその眼前に再現できたような気がした。
電車の向い、空席に座らされた友人はそこそこに禿げ上がったり、白髪になったりの修正を繰り返していた。
飲み会の顛末
先日の高校時代の友人と飲んだ時。
そんな鈴木ジェロニモのような、素敵な回想はなんてなくて、もっと現実的な話が続いた。
昔話に終始するような飲み会は嫌だなと思ったが、現在において給料が上がらない話、子供の偏差値が30代という話、いよいよ墓を継ぐという話を聞かされるのは楽しいものではなかった。
もちろん楽しい話になるように、話してくれるし、こちらもそういう風に聞くのだけど。
それならば過去に逃げるのもいいのかもしれない。
小学生の頃の話は聞かれてもいないのに思い出せても、意外と高校生の頃の方が思い出せないものだ。
仲良くなって初めて行ったカラオケボックス(カラオケに行った記憶もない)で、ぼくが福山雅治の歌を歌っていたという話。
歌い出す友人、でもその歌をぼくは知らない。
本当にそれはぼくだったのか、よくわからないが、その場では流した。
昔話をして盛り上がるには少し歳を取りすぎていて、楽しむには少し若すぎるのかもしれない。
もう少しするとそんな記憶違いなんて、お互いに気にならなくなって、それが本当の話になっていくのかななんて思う。
実際の飲み会は「揚げ物ブラザーズ」のようにはならないものだ。
サポートをしていただけたら、あなたはサポーター。 そんな日が来るとは思わずにいた。 終わらないPsychedelic Dreamが明けるかもしれません。