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読書リハビリ:死なれちゃった後で

文學界9月号の特集「エッセイが読みたい」で能町みね子が紹介していた、前田隆弘「死なれちゃった後で」を購入した。

ライター・編集者の前田隆弘が、自身が遭遇した死にまつわるエッセイをまとめたもので、とにかく読みやすい文章で、内容がスッと入ってくる非常に良い読み物だった。

何となく、その無骨なエピソードから、落語家の林家彦いち、または三遊亭白鳥、またはその両方を思い浮かべて読んでいた。

死なれちゃった後で:前田隆弘

これはいくつかの象徴的な死と、たまたま遭遇した死の話が綴られている。
特に、大学時代の後輩についてが中心となっている。
生きていれば当然ながら誰かの影響を受けているものだけれど、そんなことは気づかないままに意識しないままになっている。
ただ、その人がいなくなった時に、その影響について考え、感じることで喪失感に苛まれる。

前田隆弘はそういった人との別れの記憶を残した理由を
劇作家、危口統之の死に触れた「人生はまだ動いているわけだから」の最後で触れていた。

こういう話、本当は自分の記憶の中にだけとどめておいて、たまにその断片を人に話すくらいにしておきたかったのだけど、たぶん年月がたつと「思い出そのもの」は消えなくても「記憶の詳細」は薄れていくはずだから、それがいやで書いておくことにした。

「死なれちゃった後で」前田隆弘

こうした濃密な記憶の詳細を残したものは、こちらにも一つ思いが残るようでもあったし、「こりゃ死んどるねえ」や「熊野にて」のように、特別なつながりがなかった人の場合もある。

本人が触れているように、どのエピソードも記憶に残る意味合いがはっきりとしていた。
前書きが非常にわかりやすいリードとなっていた。

死について書いていたはずなのに、書き終わったらなんだか自分の半生記のような内容になってしまったのは、偶然ではなく、必然だったのかもしれません。

「死なれちゃった後で」前田隆弘

前田隆弘という人について、ほぼ知らなかったのだけど、エッセイ、そして半生記のようになったこの本はとても興味深く、最後までのめり込むように読んでいた。
なんてことはない、その人が有名かどうか、知っているかどうかは問題ではなく、ただただ文章に人を魅了するものがあるかないかなのだろう。

思い返してみたが、ぼくには死に深く携わったことがない。
家族、親族そんなところだ。友人や仕事関係のようなものもないし。
前田隆弘は社会としっかり繋がって、周りとの人としっかりと生きてきたということなんだろう。
そういう人生と、それを表現する力があることに魅了されてしまった。

誰か分からなくてもエッセイは面白い可能性があることを再認識したので、日本文藝家協会編のベスト・エッセイ 2022を購入した。
また新たな出会いがあるかもしれないと期待して。

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