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読書リハビリ:めしとまち 27

最近は文學界もいいペースで読了している。
読書が続く秘訣は無理をしないこと、つまらないかもと思ったらその作品は飛ばすようにしている。
今後の人生でもう一度出会うことがあればそれはその時に読めばいいし、もし後々気になるのなら単行本でも、文庫化してからでも購入すればいいと気軽に読み始めるようにしたからだ。
映画を途中でやめると同じでなんとなく居心地の悪さがあったのだけど、最後まで読了しなくてもいいと思うと気軽に読み始められるようになった。
これだけでだいぶ違う。

そして今月も平民金子の「めしとまち」はぼくを揺さぶった。
これを書くためというのもあるけれど、何度も読み返してしまった。
平民金子が気になる人はご本人のnoteもぜひ。

めしとまち「たんぽぽのペペロンチーノ」

たんぽぽは全て食べられるということを、小学生の子供の音読の宿題で聞いたことが発端で、メリケンパークでたんぽぽを摘んで家で食べようと思う著者。
しかしそこで思い当たる。

なんで人生のなかばを過ぎて好き好んで犬の小便がかかった野の花を摘まなあかんのか。

「めしとまち」 平民金子 文學界2023年07月号

結局その後に車で山道を行った先の墓地でたんぽぽを摘んで帰り調理をする。
が、作ったたんぽぽのペペロンチーノは特にまずいこともないのだが、たんぽぽならではの味や見栄えがするわけでもなかった。
これだけであれば、特にそれ以上の話ではないし、心は動かない。

調理している時に思い起こされた大学の教授の言葉、これがいまだに尾を引いている。

受講していた日本文学の授業ではよく村上春樹の悪口を聞かされた。教師が当時出てまもまい「ねじまき島クロニクル」の冒頭場面について、村上春樹の主人公は朝からスパゲティを作ってるようなしゃらくせえ奴だというようなニュアンスでくさしていたのがなぜか今も記憶に残っている。

「めしとまち」 平民金子 文學界2023年07月号

平民金子が語ったその記憶が、その時からぼくの記憶にも入り込んでいる。
大学時代に文学部にいたわけでも、日本文学の授業を受けたわけでもないのだが、なぜかその光景がありありと想像できてしまい、
今ではまるで、それが自分の記憶のように感じている。

村上春樹にも、スパゲティにも特に何か思い入れがあるわけでもないのだが、この一文には何か、根源的な塊がある。
何度か読み返しているうちに、ぼくの記憶にしっかりと根付いてしまった。

それはつまり、ぼくはたんぽぽを見るたびに、たんぽぽのペペロンチーノのことを思い出し、そして大学の教授が村上春樹をくさしていたなと思い出すことになるのだ。

本当の記憶は憲法の教授が「阪神が優勝したら全員に単位をあげます。」と言っていたことだ。
でも、いつの間にかそれは誰かから聞いた話であり、ぼくの記憶は村上春樹をくさしていた教授になった。

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