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小中高で学ぶ意義

まだ高校物理の苦手意識が途中だが、大切だと思うことなので先にあげようと思う。

「この勉強をして何になるんだ。」

誰もが思ったことがあるだろう。実際、学んだことのほとんどが活用されているという実感がない。みなさんはなんと答えるだろうか、1度考えてほしい。できることなら意見が聞きたいが、その方法を知らず非常に残念である。以下に私なりの考えを述べる。

そう定められているため

1つ目は非常にシンプルだ。しかし、重要だと思う。授業は学習指導要領に則って教科書等を用いて行われている。そして学習指導要領はもちろん、教科書、参考書の作成は文部科学省の役員やいわゆる有識者が何人も集まって行なっている。長年教育やその分野に対して向き合ってきた有識者が学ぶべきと判断したのだ。知識もない私たちが、勝手に学ぶ必要がないと判断するのは軽率のように思う。

知らないことを知るため

2つ目も当たり前のことだ。「無知の知」という言葉があるように、自分に知識がないことを自覚できない人が本当に何かをできるだろうか。そもそも、学ぶ必要がないと判断したものが本当にそうなのか、学ばなければ分からない。「知らないことを知る」ことはとても大切だ。まして教育を受けているなら知っているはずの知識を知らないのは、常識不足、教養不足と捉えられても仕方がない。また、自分の勝手な考えで必要がないと判断し、排除する人をとても恐ろしく思う。よく知らないのに排除しようとする思想は一歩間違えれば差別に繋がる。そのような人が社会で活躍できるだろうか。

知識が役立つため

1つ目でも述べたように、小中高で学ぶことは有識者が膨大な量の知識から最低限知っているべきと判断したものである。それを「概念すら知らない」ことと「ちょっとでも知っている」ことには雲泥の差がある。知らないことをネットで調べるにも理解できなかったり間違った情報だったりと適切な知識がなければ難しく、騙されてしまうかもしれない。そうでなくとも未来がどうなるか分からないのだからその知識が役立たないと判断するのは早いのではないか。

じつは、教育基本法や学校教育法に学ぶ意義が既に示されている。しかし、私たち自身に関わることなのだから一度自分なりに考えてみて欲しい。

なぜ役立っている実感がないのか

そもそも学ぶ意義がわからないのは役立っている実感がないためである。それはなぜか。学校で学ぶことは教科書の中の出来事であると思っているのではないかと私は思う。つまりこれからの教育では、学習内容が生徒の体験や生活と密接な関係にあることを示すことで学習意欲を高めるべきである。


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