#100 ガリア戦記

記念すべき100冊目は自分が歴史上の人物で最も好きな一人であるユリウス・カエサルが著した、名著ガリア戦記。軍事の天才が見せた知略と文学的才能が遺憾無く発揮されて形成された本書は当時のローマ市民を狂気させただけではなく、今日まで多くの読者を魅了してきたわけだが、本書を通して見られるカエサル個人像、当時の政治情勢に関してまとめておく。文才もさることながら、彼の戦いにおいてはいつもシンプルに攻めること、自分が知り得る状況、想定される結果が彼らにとって有利に働きそうな時にのみ進軍するというルールも垣間見られた。戦いの天才は瞬時にそういった状況を整理していくことに長けているのだろう。今日のビジネスにおいても有益な、示唆に富む考察を本書から多く見つけられる。

・ガリア遠征に関係する新領土だけでも今日のフランスのほか、オランダ南部、ベルギー、ライン川以西のドイツ、スイスのほぼ全土を含む広大な地域にエジプトを加えた領土を手に入れる。

・カエサルが生まれたのはB.C100年。ローマ王政が7代続いた後に貴族主導の共和制が敷かれており、平民の力が非常に弱っていた。民衆派と元老院派の対立。

・カエサルは人生後半になるにつれ真価を発揮した人物。「あれほどきちんと髪を始末し、一本の指で頭を書いているところを見るたびに、彼がローマの国政を覆そうなどという太祖れたことを考えているとは思われなかった」

・カエサルが若い時には大きな負債と女遊び癖があった。ポンペイウス、クラッススの妻とも通じていた。

・ヒスパニア赴任時に借金取り立てから逃れたのは、クラッススによるものであった。

・ガリア遠征に出たのは、ポンペイウスやアレクサンダー大王の武勇、キケロの雄弁に負けを取らないような功績を欲したこと、そして若い時から大事業を自分は成すのだという思いが彼の中で燃え盛っていたため。

・ローマ人は戦争というものを一つの科学としてはっきりと認識していた。不断の軍事訓練こそ、ローマ軍紀の要諦であったわけである。

・ポンペイウスに嫁がせた愛娘ユリアが産後になくなり、クラッススがパルティア遠征でなくなる。ポンペイウスは元老院派に着くことになり、政治のバランスが大きく崩れる。世論を味方につけるためにも、自身が行ったことをローマ世界に示すことが非常に重要であったため、本書が描かれたとする説が濃厚。

・カエサルは常に情報という点で優位に立つこと、そして自分がコントロールできること、勝ち得ることを中心に戦略を構築している。

・軍団の士気をあげること、団結して一つの目標へと進むことがもたらす影響力を良く理解していた。

・世論をこちら側につける、自分自身の目標の達成が正当化されるような理論武装を行うこと。

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