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父性を育てることにした。


エストロゲン、オキシトシン、子育ての中でこの心地よさとともに暮らしてきた私の身体が、いま音を立てながら崩壊している。

要は、更年期である。命の母のCMである。

頭の先からつま先までこのホルモンの乱気流に煽られ、それはもういろいろいろいろ身体を揺さぶられる。それをなだめながら急カーブ続きの道をなんとか通り過ぎようと努める日々。

そんなどうにもならない暴れ馬にまたがっているにもかかわらず、若い世代の自分の周りの人間はそう気長にこの時期を見守ってくれるほど成熟はしていない。霧のかかった重い頭を持ち上げながら、降りかかるプレッシャーに大小さまざまな決断をしながら、もう少しの間社会の中で生きていかなくてはいけない。

私はもともと自己決定が弱い。良く言えばものすごい寛容な人物であり、悪く言えばとことん他力本願である。こういうタイプは自然のエネルギーに身を任せたり、自分の意思決定を宇宙の摂理に任せようとしたりする傾向にある。自己の存在が無であればあるほど、価値があるような気がしてくるのであるからまあ阿呆と変わりない。物質主義でせっかちな人にとっては理解に苦しむだろう。でも実際にはそんな完全な無の境地にまではならないわけで、腹を立てたりストレスで昼寝が増えるばかりなのだが。

自己決定について心理学の分野で見てみると、「マキシマイザー」と「サティスファイザー」という考えがあるらしい。選択肢を最大限にまで広げてから下した自己決定より、限られた少数の選択肢から選んだほうが、人は後悔が少ないということだ。80%主義であっても60%主義であってもいい。「ベスト」な結果」よりも「グッド」な結果を求める方がストレスが少なく人生の満足度は高くなるそうだ。

マキシマイザーというカテゴリーにいる人は、目標指数が常に90‐100%らしい。そこから人生が楽になるサティスファイザーになるためには60%主義となることが勧められている。
60点かあ。好きな分野のことに関しては私はもう少しほしいなあ。
という感覚は至って一般的らしく、マキシ組がサティスな60点主義になることは簡単なことではないそうだ。


それで、ここで注目したいのが、そのサティスファイザーの鍵となるのが「父性の要素」、だということだ。


父性:仕分ける力、切り分ける力、あきらめる力、
母性:一体化する力、包み込む力、つなげる力

父性は、すなわち何を選び何を捨てるかという力を持つらしい。
あら、コンマリメソッドは父性的理論だったのか。

自らの中にこの父性が育っていると、人からの誘いや頼み事を上手く断ることができるのだそうだ。なるほどなー。やっぱり私は母性的な人間関係を取る傾向があるのだな。つまり、相手と一体化しすぎて断れない。

決断にしてもそうなのだ。母性に偏って決めると、どちらも好きで可愛くてあるいは情を捨てきれずに迷ったあげくの自己犠牲で手を打つ。そして最終的には自分がなにを望んでいたのかさえ忘れてしまう。これは子育てにおいて、どんなにつらい状況もたいてい3ヶ月もすれば子は成長してその時期を乗り切れることができるという経験で更に強化されている。これは大人同士の人間関係にはほぼ通用しないというのに。
ちなみに心理学者の河合隼雄氏は日本は母性的人間関係が強いと指摘している。思いやり水準、高いもんな〜。

そう言えばキリスト教の神は、創造主という母性でありながら、人々からは「父」と呼ばれている。クリスチャンたちが自己決定や意思決定において祈ったり頼ったりするのがこの「アバ、父」なのである。
しかし待て。この父は限りなく「マキシマイザー」ではないか!ありとあらゆる世界中と宇宙中の可能性を秘めた存在ではないか…

これはややこしくなってきた。

と一瞬思ったが、実はこの「父」が私たち愛する子どもたちに望んでいることは、思い切って言えば一つしかない。それはものすごく明確でぶれない意志であることを心に覚える。
そこにほぼほぼ方向が合っていれば、私達は宇宙の意志に沿う存在であることに満足するのでである。するとやっぱり「天の父」はマキシマイザーであると同時にサティスファイザーの性質を持っているように思えてきた。

ま、一人議論はひとまずこの辺にしておいて。今日は、50に近づく年齢の女人として、ここからの十年は自分に父性を育ててみるというのもよいではないか、ということを書いておきたかったのだ。
ドーパミンやノルアドレナリンを自由に開放してやって、60%主義で腹を据え、あいつはわからんやつだ、とか言われながら豪快に生きるのもよい気がしてきた。輝く太鼓腹オヤジキャラ。

ああ、ヒゲが生えてきそうだ。

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