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合理的と戦略という用語について考えた

合理的でかつ非論理的なケース:
アリス:ボブ、今日は何をしているの?
ボブ:実はね、この間のオンラインオークションで、すごく安くて高性能なロボットを買ったんだ。
アリス:えっ、本当に?それはすごいわね。どんなロボットなの?
ボブ:見てごらん。これがそのロボットだよ。名前はR2-D2と言うんだ。
アリス:えー、それはスター・ウォーズのキャラクターじゃないの?それに、それはロボットじゃなくて、ただのプラスチックのおもちゃよ。
ボブ:いやいや、これは本物のロボットだよ。見てごらん、このボタンを押すと、音が出るし、光るし、動くし。
アリス:それはただの電池で動くおもちゃの機能でしょ。それに、それがどうして高性能なの?
ボブ:だってね、このロボットはすごいんだよ。何でもできるんだ。掃除も料理も洗濯も。あと、会話もできるし、将棋もチェスも勝てるし、数学も物理も得意だし。
アリス:そんなことはあり得ないわ。それはただの妄想よ。どうしてそんなに信じ込んでいるの?
ボブ:だってね、このロボットは自分で言ってたんだよ。オークションの説明にも書いてあったし。それに、この値段なら、絶対に本物だと思ったんだ。
アリス:どれくらい安かったの?
ボブ:500円だよ。
アリス:(呆れ顔)

Bingをワンライナーでどこまでできるか遊んでいる者です。冒頭の文章は、合理的で非論理的なケースの例を出してとお願いした結果。こっちの手間としては、10秒足らずでこんな会話が書けるようになりました。すごい世の中ですねー。

今回は、用語の整理、導入を行う。時間開いた割に、中途半端になってしまうのは申し訳ない。私の能力不足と、あと年度末いろいろやらなければならないことをためてしまっていた。

合理性と論理性

初級者と上級者の何が違うのか。これをテーマに考えていていく。

将棋類ゲームにおいて、論理的な思考と合理的な思考は別ものである。プレイヤーの合理性について、自分なりに考えたり調べても結論が出なかったのだが、書かないと話が進まないので、いくつか用語を提示したい。
まず、合理的と論理的の違いについて。筆者は論理を重視していると何度もいっているが、合理的であるかとは少々毛色が異なる。合理的思考は、与えられた状況で最適な行動を取ること、論理的思考は、問題解決に役立つ論理的な推論を行うことと考えよう。
この用語法においては、将棋のプレイヤーはどのレベルでも合理的であると仮定すべきと思われる。与えられた状況で(自分なりに)最適な行動を取ることもできないひとは、ごく少数だろう。
初心者の合理性の例としてはこんなものはどうだろう。数人にしか試したことはないが、以下のような図から、「玉を2八まで動かして(2八を指さしながら)」と指導して、できなかったひとはいない。

2八まで玉を動かしてと指導すれば、駒の動かし方を覚えた初心者でもできる

では初級者と上級者の何が違うのか。どうも合理性の度合いではなさそうだ。論理でもない。私より強いひとでも、私より合理的でも論理的でもなかったりする。多くの強者において、直感で代用されている。
合理的でない感情に揺さぶられてのミスもあるだろうが、それまた筆者も同歩。人間なら、しょうがないと思う。
正解手を指せるかどうかの問題でもない。筆者から見れば10級と7級では大差ないし、プロの先生方からみれば筆者も同じように大差なく弱いように見えるかもしれない。自分でも正解を目指してはいない。雑読み流では、自分が正解でなくてもそこそこ勝つ方法を模索、提示しているのです。

合理的行動について踏み込んで考えるなら、限定合理性とか動的計画法とかいくのかと思ったけど違うっぽくて、いまはANT(アクターネットワークセオリー)とか思弁的実在論、特にオブジェクト指向オントロジーとかをおべんきょ中。むずむずなので、いったん置いとかざるを得ない。
暫定的に、将棋プレイヤーは合理的な行動しかできないが、論理的ではない場合はあるということだけ、心に留めていただきたい。

戦略と戦術

将棋が強いひとは何が強いのか。一般的には、知識と直感力の差が大きな要素とされている。上級者は、局面を見るだけで、どの駒をどう動かすべきかを瞬時に判断することができるらしい。これは、長年の経験や知識から身についた直感があるからで、これを鍛えるために、次の一手や、実戦や感想戦といった勉強法があるわけだ。
直感は大事だね。でも、棋力はそこそこでしかない筆者は、逆張りしないと意味ある情報を発信できない。直感については事後的に獲得されるものであるとして、別の目標を追い求める。単純にいえば知識である。しかし、知識もすでに開闢されている。正確にいえば知識の運用についてにスポットを当てる。この運用が論理である。

論理的運用について考えると、戦略ということばを使いたくなる。すでにチェスにおいては、戦略と戦術の用語が広く採用されているようだ。みんなが知っているだろう、そのままの意味でいい。いちおう仮に、戦略は長期的なゴール、戦術は短期的なゴールを指すといっておこう。

将棋における言説では、戦術については十分あるのに対して、戦略にあたる言葉がないように見受けられる。あえていえば大局観が近いが、直感を軸とした茫洋とした概念であり、適切な抽象化が行われていない。
筆者の用語でいえば、状況判断が近いが、状況判断は意思決定行為のための情報収集を指して、ゴールを目指してはいないので少し違う。筆者の用語があいまいで十分でなかった。

将棋においても、戦略という用語を導入すべきだろう。状況判断によって戦略を立てて、状況に即した戦術を用いる候補手を挙げて、最後に読みによってブランダ―チェック(悪手点検みたいな意味)を行う。これが将棋における基本の意思決定である。

例については、わいの!これを!よんで!ほしい!

でも戦略ということばは適切に使えていない。これから頑張る。たぶん。

ほかにあるのかな。自分の知る限りだと、「将棋の公式」がそういう読みを許す入門者向けの棋書だったが、ずいぶん昔の本だ。数十年ないのではないかと思う。もっとも、筆者が入門者向けの本に目配りできていないだけで、ほんとうはいっぱいあるのかもしれない。部分的には、「Zの法則」などの戦術本で特定の戦略を運用する方法が述べられていた。
おそらく編集者のタイトル付けの問題だろうが、「終盤のストラテジー」については、その題名と乖離した内容によって、私はとても否定的評価をしてしまっている。この本は戦略立案について述べていない。冷静になれば、よい本なのだろうとは思う。

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