#3 死のうとしたことがある僕が言おう、話すことの必要性

今から話すことは僕目線の僕の話だ。

世間のニュースに対して、人と話すことはあるがSNS等で発信することはあまりなかった。

僕が気持ち悪くなるなるニュースのトピックは
異性をいたぶる類、理不尽な類、無知で上っ面な類が多い。

今回扱いたいものはそれに当てはまるのか当てはまるのかわからないが

自殺

ここ最近でビックニュースになることが多いが、
ここで話そう。

僕は死のうと試みたことがある。

体の一部を切る、自ら溺れようとする、首を吊る

覚えているのはこれくらいか。

しかし、これを知っているのはごく一部だろう。

なぜか。

このことやつらいときに相談したり暴露したときに言われたことが原因だ。

前提として、僕は決して周囲の人間、もしかしたら世間の人から見て、
死のうとするような人には見えない。

自ら活発に発言や行動をする、生徒会や運動部、クラスの中心グループに所属するような人、どちらかというと明るいほうだろう。

話を戻すと、こういったイメージからか言われたこと。

お前がそんな悩むようなことじゃないやろ
武勇伝みたいに自慢して、それがどうしたん?
相手も悪いことあるけど、自分が悪いとこともあるから思い当たることはない?

さて、嫌になることが伝わるだろうか。

人の感じる点はそれぞれ違う。
それを本当に理解しているひとはどれくらいいるのだろうか。

その違いを理解して話を聞ける人はどれだけいるだろうか。

僕がママチャリで一人旅をしたときに感じたことにも共通するのだが、
人はつらい状況で人と会話せずに自分の頭の中で考えを巡らせると
どんどんネガティブのになる。

だから口に出して話すことはどうしても必要なのだ。

でもその会話をできる相手がいるのか。

同情されて、つらかったね、しんどかったねばかり言われるのも
俺はそんなに惨めに見えるのかとも感じた。

ストイックな人でネガティブになる。
弱気な性格からネガティブになる。
些細なことに敏感でネガティブになる。

人それぞれ違いはあり、悩み方や感じ方は違う。
それはそうだろう。

だからその人を知って、理解してるすぐそばの立場の人が
普段から話をすることが大事なのだ。

さっき3つ僕が言われたことを書いたが、
親に諭された内容の中で同じニュアンスのことを言われたことが3つ目だ。

つらくなって学校を早く帰ったとき、
明らかにおかしい時間帯で、元気もなかったが、
おかえり、○○くん風邪ひいてたの大丈夫そうやった?
が最初だった。
自分のことを見られていないと思ったこの瞬間から2年半。
僕は死ぬことを試みていた。

でも死ねなかった。
怖いし、勇気もでない。

外では優秀で明るい思春期の男子を装うことしかできない。
その繰り返しから、奇行、過度なナルシスト。
人が寄り付かないようにふるまうことをするようになった。
それが高2になる前までの僕だ。

だから、この時期に絡んだ同世代は
僕の表面をみて、どういう人間か知って、
今でもそういう人だと思っている人は多いだろう。

コミュニケーションが大事というが、
その人に合ったコミュニケーションをその人に合った人とするのが大事なのだ。

こういう話題を書くときはどうしても言葉がまとまらない。
正解がないし、個人的なことが多いからだ。

だから、読んでくれる人が感じることも少ないだろう。
でもこれだけは実行してほしい。

死んでほしくない大切な人には時間があれば話をしてほしい

自殺だけの問題じゃないが、
この単純で大切なことを手の届く周りの人で実行してほしい。

僕は手のひらにある自ら切った跡を見ながらニュースを見ておもう。

お疲れさまでした。

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