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京都に来て、21年間の人生最大の波を迎えた僕の等身大の今!


お久しぶりです!21歳の誕生日を迎えました海部登生です!

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去年の誕生日前はこんなことしてました!w

前回の誕生日からの1年を振り返ってもよかったんですが、卒業という区切りがあったので、4月からの京都生活を近況を含めて振り返りたいと思います!

・4月 

【京都工芸繊維大学に編入学】

京都工芸繊維大学のデザイン・建築学課程に編入学し、建築コースで学び始めた僕ですが、通常の3年次編入ではなく、扱いを2回生とし、卒業まで3年かける選択をしました。高専から大学に編入しましたが、編入という特殊例によって大学生活に慣れるのにかなり時間がかかりました。4月いっぱいを新入生に混ざりながら徐々に大学と一人暮らしに慣れる期間に当て、とりあえず頑張っていましたw

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大学生感のある写真をここでw


・5月 

【GWを迎える】

大学生活と私生活共に慣れた頃、GWを迎えましたが、帰省することなく、元号が令和になった初日、ヒッチハイクで東京へ!

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5組の優しい方々に出会い、無事に東京に着き、ラボハウスに宿泊させてもらいました!東京でも出会いに恵まれ、Le Corbusier展にも足を運ぶことができ、充実した日々を過ごしていましたが、メインイベントはその後!


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かねてから計画していた、まどかとの霧ヶ峰登山1泊2日の2人旅!

大自然を楽しんだり建築を見に行ったりと、2人旅がこんなに楽しく、ワクワクドキドキの連続であることをなぜ知らなかったんだと、そしてこんなにいい思い出になることを予測できていたのかと、そんな最高の旅でした!

【最大波が押し寄せる】

さて、大学生活に戻り、絵心のない僕がヒーヒーいいながらカフェ調査課題を終えた頃、大学内の講義で面白い講義がありました。それは

建築職能論

です。ざっくりいうと、建築家とはどんな職なんだ、そもそも建築家とはな何ぞや、さらには建築とは何ぞやみたいなことを実務経験豊富な数名の先生が講義してくださるもので、この講義を履修すると決めた頃の僕は、この講義が僕のこれからを変えることになるとは思いもよらず、、、

最初の教授が講義の内容を前回の講義で回収した質問や意見、感想に対して回答するという形式を取っていて、その回答の言葉が僕の中で引っかかりました。

「いい街をを創るためには、建築家にならないのも一つの方法である。」

おおお、なるほど。とフリーズしましたw

なんでかというと、
”世界では、たとえ、構造、設計、環境、設備全て完璧でも意匠が少しでもできなければ、建築学科も卒業できず、ましてや建築家になれない。反対に日本では、腐るほど多くの建築学科、学生がいて、資格さえ取れれば、簡単に建築家を名乗れる状態にある。それは、センスのない、下手な建築を建てる建築家を多くする可能性を含んでいる。そんな建築家に街を壊されることが実際に起こっている。理想は、きれいな街並みを創るためには、きれいなものをきちんと創れるレベルの人だけが建築家で、その建築家が創るべきである。けど、日本では、それが不可能。だから、街を守るためには、建築家にならないほうがいいこともある。”
っていうのが大体の流れです。

おい、ちょっと待てと。だからなんだと、海部君はそれでなぜ引っかかるのかと。小学校から建築家を志し、高専で土木を学び、京都工繊でデザイン・建築を学んでいて順当に歩んでいるじゃないかと。

ここで、自分のここまでの考えの変化をわかりにくいかもしれませんが、記すと

京都に行くタイミングで僕は、環境が変わると考え方が変わるだろうということで、今まで考えてきた将来の夢や目標を一度リセットしました。この環境の変化は、自分自身を考える時間が増えやし、自分に関して悩む時間を増やしてくれました。しかし、目標がない生活に不安を抱き、そこで、目標をある程度決めてみようと考えました。京都工繊は8割が大学院に行きますが、僕は就職を選択しようと考えていました(理由はさておき)。高専時代、就職を考えたことがない自分には、京都工芸繊維大学の過去5年間の就職実績の企業全てを調べました。面白い企業、興味のある企業たくさんありました。でも、自分のやりたいこととは違っていました。
 いやいや、そんなことより、当初考えていた建築家の夢はどうするんだということですが、自分は建築家にならないべきかもしれないという考えに至りました。理由はいくつかあります。

1.僕は全てを建築に捧げていないし、いつも建築や設計を考えてもいないし、全力で楽しめてもない。

2.教授の言葉を聞いて、まちが自分たちのまちをよくしようと建築家を選ぶときに、いい建築家選びたいけど選択肢が多すぎてわからないから、それならまち側として選んだり考えたりする方をしてみたい。

3.まずこの歳でも、センスや才能がないことは僕でもわかる。

これだけではなく、たくさん考えました(話長くなるので割愛!)。そもそも自分は何がしたいのか、何になりたいのか。

その答えは、できれば、牟岐、徳島に携わり、まちづくりや俗にいう地方創生ができる人間になりたい。ということでした(方法はここでは問うていません)。

【ここで海部、ぶっ飛んだ発想をする】

ここに記すとめちゃめちゃ長くなるので割愛をしますが

いろんな条件が重なってこれだ!ってなったのが


牟岐町長


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え?大丈夫?

けど、自分の中で結構納得したので(理由もそれなりにあります)よっしゃってなってました!w
でも、冷静に見てもらおうとたくさんの方に相談を持ち掛けました。その節は大変ご迷惑をお掛けしました。ありがとうございました。

で、ここで自分も設計課題があり、一度冷静になり、保留もしつつ考えようとなりました!

(思考疲れがありすぎて、学校を休む日もしばしばw将来考えるの大変)

・6月

【海部登生、復活】

最初の設計課題は無事最終講評に選ばれ、コメントをいただけました(京都工芸繊維大学の建築は知る人ぞ知るシビアなものですw)。

さて、将来どうするの~って感じですが、
実は、4月に出会っていたツナグムの田村さんとの出会いがこれからの僕の人生の最重要ポイントになっていました。

町長の相談を持ち掛けた頃から僕自身のキャリア設計に対して、親切にも真摯に向き合って下さり、今現在もずっとお世話になっております。

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この頃には、ひとつむぎとツナグムとのライター講座も開かれていたりしていました。

田村さんのおかげで、心にも余裕が持て、自分が好きな運動を再開したり、写真を撮りに行く機会も増えました。この頃には留学も考えることができていました(結局カリキュラム上するのが難しくなった)。

・7月

【安定期w】

親知らず2本抜歯しました!(急にどうした)

話が逸れましたが、この頃、将来のことをゆっくり考えれるようになり、学校と私的な思考との両立が噛み合ってきました。
前期最後の設計課題が迫る中でも、しっかり自分と向き合えていたので充実しておりました。

この頃まででも、田村さんには僕が興味ありそうな人を紹介していただいたり、イベントや事業に関しても誘っていただいたりと何から何まで助けていただいていました。

お陰様で、前期最後の設計課題も最終講評に進め、前回よりはいいコメントもいただきました。ありがとうございます!

・8月

【ありがたいことに忙しかった日々】

大学最初の試験を終えたその日に田村さん達と徳島へ!20日弱の帰省へ!

しかもこの夏の我が故郷・牟岐町は大変面白いことになっていた!

大内真の牟岐町インターン!激アツ
このために帰省したといっても過言ではない!

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サマーキャンプから始まった僕の帰省はこの時はこんなに忙しくなるとは知らなかったw


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写真WSが終わり、阿波踊りのJTごみ拾いボランティアへの参加。一緒にごみ拾いしましょうという呼びかけがこんなに疲れるとはw
けどしっかりやった分、楽しかった面も大きい!


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そしてHLAB 2019 Tokushima Mugi Summer School の開催!出会いと再会に感謝しかなかった。最高の仲間がそこには集っているなと改めて実感しました。部外者の僕がしゃしゃり出てましたが、本当に今年は大変だったと思うけど、成功に導いた大学生、高校生、牟岐町の皆様、お疲れ様でした!

台風接近により高専時代の仲間との再会はなくなったことが残念だったけど、充実した帰省でした!

まことと話す機会もかなりあって、自分がまだ未熟なことも痛感したし、頼もしい仲間が近くにいるんだなってのも改めて実感できた。稚拙な文でしか感情を表現できない自分に腹が立つがw、とにかく最高の帰省、夏にしてくれたまことには感謝しかないです、ありがとう。偉そうですが、お互い頑張っていきましょう!

忙しくも楽しかった帰省も終わり、京都に帰ってから集中講義と京丹後市での事業を終え、とりあえず、ひと段落しました。

・そして9月3日

無事、何事もなく21歳を迎えることができ、一安心ですが、まだまだ未熟な子供ですw

で、将来のことに関してはまだが結論が出ていないのですが、とりあえず両親に考えの変化を伝え、相談し、絶対条件として大学を卒業することと2級建築士の資格をとることを言われたので、来年2級建築士の資格試験に挑もうと思います。で、海外経験が台湾の研修旅行しかないので、来年2月、3月にかけて1か月海外にいってくる予定も立てています。
そして、卒業後はどうするかに関しては、進学や就職をしない別の道を模索することにしました。方法は建築家や町長が残ってはいますし、フリーランスや起業という道もありますが、両親的に牟岐以外って意見もあり、どうしていくか、しっかり検討していきたいと考えています。大学の本義を忘れず、学内・学外共に学びを消化していきます。

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感謝・称賛・笑顔、素敵を感じる人生をモットーに”登生”の名に恥じぬようこれからも精進していきますので、これからもよろしくお願いいたします!​


最後に話に出ていたツナグムのサイトリンクです!よかったらご覧ください!

株式会社ツナグム 京都移住計画

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