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愛していない猫と、ともに暮らす

犬派です。中学に入ったころだったか、我が家に犬が来ました。保護犬たちでした。とにかく人懐っこくて、一緒に寝たりお風呂に入ったりしていました。そのワンコたちも鬼籍に入り、今は実家の庭に眠っています。

そんな私が、なぜか猫を飼うことになりました。この子には人から虐められた過去があり、引っ越し当初はあまり鳴くこともできませんでした。このままだと保護猫になってしまう……という事情が生まれ、我が家で引き取ることになったのです。

猫を引き取って1年

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さて、それから1年ちょっと。猫にはまだ慣れません。この子は家へ帰っても、飛びついてワンワン言ったりしない。だって猫だし。「おいで」と言っても必ず来るわけじゃない。だって猫だし。

それなのに夜寝ていると、べったり顔をくっつけてくる。お風呂に入ると、外で出待ちしている。不可解です。

「猫を飼う人はみな愛猫家」という前提があるように思われていますが、そんなことはありません。成り行きで飼うことになる人間だって、結構いるはずです。私はまさにそういう人間でした。

子を愛せなくても育てられる親がいるように

「猫を飼っているけど、愛していない」と漏らすと、猫飼いはみんなギョっとします。そして「そんな人間がこの世にいていいのか」という顔をします。虐待の加害者ばりに思われることもあります。

しかし、この世には産んだ子を愛さず、それでも育て上げる親なんていくらでもいるわけです。猫でも同じことが言える、と私は思っています。

日に2度えさをあげ、1日1回は遊んで、爪切りとブラッシングを定期的にやり、たまにシャンプーして、定期検診と栄養管理……。という「飼い主としての務め」を果たしながら、やっぱり「これって、愛とは違うんだよなあ」と思っています。

なぜなら、私がもし本当に猫を愛しているのなら、今の仕事を続けていられるはずなんか無いからです。

愛していたら仕事で寂しいと鳴く猫を、捨て置くなんてできない

私が作業をしていると、猫は寂しくなってニャンニャン鳴きます。

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というか、普通に妨害してきます。私がもしこの子を心から愛していたら、猫をいつでもかまえる仕事に転職しているはずです。ですが今の私は「はいはい、ごめんねー」とだけ声をかけて、タイピングを続行します。

ときには妨害してくる猫を、そっと抱えて避けることもあります。猫を抱えてキーボードから動かすとき、いつも「ああ、やっぱり私は猫を大事に思っていないな」と考えます。

もし、私が猫を愛していたら、こんなことは起こり得ない。「そうだ、パソコンを捨てよう」くらいに思ったかもしれません。

普段の暮らしも変わるでしょう。たとえば、床が少しでも汚れていたら、猫がホコリでも食べちゃうんじゃないかと心配になるはず。毎日クイックルワイパーで掃除をしまくることになるので、仕事の時間は大幅に減らさねばなりません。

愛していたら、猫を置いて外出なんてできない

他にも、外出は控えるでしょう。私が外出しようものなら、猫は不機嫌になります。
「この僕を置いてお外へ行くって……どういう……コト!?」という顔をするのです。

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これが帰宅時の猫。お怒りでいらっしゃる。もし私がこの子を心から愛していたら、私は外になんか出ません。友達も家に招くだけにします。出張なんて絶対にしません。旅行?するわけない。

それでも引き裂かれるような気持ちで、必要最低限の外出をするに留めるでしょう。スーパーに行くのすら嫌なので、生協でデリバリーの食べ物を受け取るだけにしたい。それでも、生協の食べ物を受け取るために、一度は玄関を出ねばならない。そんな苦しみを抱えるでしょう。

置き配での物資調達すら、一度は玄関を出ねばならない。そのたびに猫が「飼い主、もしかして出かけるの?」と不安になっていたら、どうしよう。そうモヤモヤするでしょう。

幸い、ライターは引きこもりでも暮らしていけます。今私が外に出ているのは、登壇イベントに出たいとか、取材したいとか、もっと事業を拡大したいという、私のワガママにすぎないのです。

けれど私は猫より仕事を優先している。これはまぎれもない事実で、だから私は猫を愛しているなんて、言う資格はないと思っています。

愛するということは、他を愛さないということ

これが大げさだとか、愛が重すぎるとか、思う人もいるでしょう。けれど、私にとって愛するということは「他の何よりも愛する」ということなのです。排他的なのです。だから、仕事や、他の家族や、友人をすべて優先順位の下に置いてでも、猫を愛しているならば、私は猫を守るのです。

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最近、この子がいなくなったらどうしよう……と思って、もう1匹飼おうかと考えることもあります。それもまた、この子を愛していない証左です。本当にこの子を愛していたら、私は他の猫を探したりなんてしない。愛している相手に、代わりなんていないのだから。

2匹飼おうなんて、今の子を心から愛していたら、とても思いつけない。だって、新しい猫と喧嘩になってしまったら? 猫が、私から愛されていないと感じてしまったら? ただでさえ外出が多いのに、かまう時間が1/2になってしまうことで、猫が寂しさを感じたら?

愛していないから、ともに暮らしていける

私は、他の人が同じような愛を持つべきだとは全く思いません。ただ、私にとって愛はこういうものだ、というだけの話です。私はこの猫を人生の最優先に置いていない。だから私はこの子を愛しているという資格など一生訪れません。

これで愛しているつもりにでもなって、「愛していたのに」なんて猫に対価を求める言動なんかしたら、最悪です。

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そして、今は私の定義する「愛」がないからこそ、うまくやっていけているのだと思います。私は仕事を楽しんでいます。友達と過ごす時間も楽しいし、イベント登壇もzoomでバリバリ出ます。

猫は猫で、私がいない間の暮らしを楽しんでいるようです。不在の時はキャンバスの上でどすんばたんと暴れてみたり、新しいAmazonのダンボールへ潜ってみたり。この前は本棚にすっぽり収まっていました。まだまだ、お家は探検しがいがありそう。

私が家を出るとき、猫は怒ってベッドの下に隠れます。しかし、私がいないならいないで、私に依存しない暮らしを楽しんでいます。この共生関係は、私が猫を「愛」していたらめちゃくちゃに崩壊していたでしょう。

ああ、猫を愛していなくてよかった。そう安堵しながら、今日も猫とともに暮らしています。

明日、猫が2歳になるのを記念して。

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