傷つきと政治とフェミニズムと #トイアンナマガジン
私にもし、傷ついた経験がなかったら、
フェミニズムを知ることすらなかっただろう、と思う。
最初からフェミニズムの本を手に取ることもなかっただろうし、セクハラを笑顔でかわしていたのかもしれない。それくらいどんくさい人間になる可能性があった。
だから私がいまの自分になれたのは過去に傷ついた経験あってこそだ。
かつての自分は未来に絶望していたけれど、その自分のおかげで今がある。
・女性だからお酌しろと言われた。
・30歳になったら仕事やめてくれるよね?と面接で聞かれた。
・自宅に自分をテーマにした官能小説をポスティングされた。
・家の前で男性が待ち伏せしていて警察を呼んだ。
こういう、小さなイラつきから大きなインシデントまで、私は傷ついてきた。そして抗議する言葉を欲していた。そのためにフェミニズムは力を与えてくれた。私に言葉をくれたフェミニズムに感謝している。
「あなたは怒っていい」という許しをフェミニズムがくれた
傷ついた経験は感情的だ。支離滅裂で、一貫しないことも多い。断片的に記憶が飛んでしまうこともある。未だに私は、過去の性被害について一貫した話をできない。だから私はあのとき、警察に行けなかった。
そんな自分に必要だったのは「あなたが受けたことは暴力だ」「その暴力に怒っていい」という許しだった。その許しが得られなければ、私は言葉にして怒ることすらできなかった。自分が被害を受けたのは自分のせいだと思ってしまっていた。
癒やされていく過程で、でも、ふと思った。
「これって被害にあうまで、考えたこともなかったんだよなあ」と。
なんで被害にあった人は、被害を訴えないんだろう。当時の私は鈍感にも思っていた。自分を責めるなんて考えたこともなかった。悪いことをした人を、法のもとにさらけだせばいい。無邪気にそんなことを考えたこともある。
だからかつて私に怒る力をくれたことに感謝している。私はそれから受けた被害を警察へ相談できるようになった。友達を警察へ連れて行くこともできた。数々の相談を泣き寝入りさせずに済んだ。
ただ……。傷つきを怒りに変えたとき、私が始めたのは「加害」だった。
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