できない文系院生の悲惨な末路(10)
さて,どんでん返しのMくんの博士課程への進学表明.周りが唖然とする中,当の本人は「えっ,何を言っているの?君たち」といった顔をしている.まぁMくんが仮に博士課程に進学できたとしても,院生カースト最下層のMくんが自分たちの就職には何ら影響を与えないため,「やめときゃいいのに」と思いつつも誰もそれをアドバイスする人もいない.
修士論文を作成した人なら覚えていると思うが,アカデミックポストで生きていく上で最初の学術論文である修士論文は多くの人が苦労した記憶があるであろう.課題が与えられているレポートやテキストの輪読などと違い自分でテーマを設定し,サーベイし,そして論文を作成する.これが思った以上に苦しいのだ.
ある程度,アカデミックな世界で生きていくと,分析するツールというか知識の蓄積ができているので,確かに論文を書くことの苦しさは変わらないと思うがいろいろなアプローチが可能となる.しかし,大学院に入って2年目のよちよち歩きの研究者である修士課程の院生にとってはハードルは高い.テキストを読んだり,他人の論文をサーベイでは,そこそこやるK君,J君,T君でもひぃひぃ言いながら修士論文を作成していたことを覚えている.
さて,カースト最下層のMくんであるが,ある程度,能力が高いと思われる院生であっても大変な修士論文がMくんに自力で完成させることなどできるはずもない.(決して口には出さなかったが)指導教員も作成の過程でMくんがドロップアウトをしてくれることを期待していた節もあった.
ところが,Mくん,何としても大学院にしがみつきたかったらしく,決してドロップアウトを自分の口から言い出さないのだ.そして,粘り腰というかゴキブリなみのしぶとさというか,「修士論文らしきもの」を作り上げたのだ.指導教員も何も見ないままでは審査のときに困るので提出前に修士論文の発表会なるものがゼミの研究会でなされた.ところが,この修士論文もどきが一門のもとで永遠に語り継がれる伝説の論文となったのだ.
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