運命とは?ー原因と結果ー

投稿の意図と軽く自己紹介

仏教に(も)興味があり(他宗教も関心の一つ。)、いまは定期的にオンラインで教えて戴いているのと、時々仏教講座などに参加しています。(仏教自体への関心もそうだが、人付き合いを増やしたいという気持ちもある。)
野口悠紀雄さん/書くことについて
https://amzn.to/2NfvnsS
にて、❝自分が学んだことを講座として、どんどん書いていけばよい❞と書いてあったのもあるし、しっかり復習もしていきたいなと思い、せっかく講座に行って学んだんだから、復習として発信する習慣をつけてもいいのでは?と思い、noteに投稿を試みる。興味ある本を読む学ぶ・書くこと・アウトプットすることをとにかく頑張りたい。というのが人生の指針の一つ。
仏教は教養としても面白いし自分のためになるし、仏教の教えを人に広めたいという気持ちもちょっとあるが、そこについてはあまり意識はしていない。あまり宗教にいいイメージがないので。以前の講座で宗教のイメージについての回があったので、それについても今度書きたい。
この記事については、単純に私の復習を書いてるんだなぁと思って見て戴けたらなにより。ちなみに講座などは仏教を教える立場のある人に教わっているが、ここに書くことはいち一般人。なので私の解釈などで書いてます。興味を持った人は自分で学んでくださいね(笑)以下、本題

運命は何によって決まるか?

運命というのは何によって決まるか?
「因果の道理」
仏教の大事なところの一つに因果の道理という教えあります。
因果とは因=原因、果=結果のことで、すべての結果には原因がある。ということをおっしゃっています。
原因と結果の法則、という本が一時期発刊されていましたが、そちらは読んでいません(笑)因果の道理、簡単に例えるなら、稲を植えれば米ができるし、麦を植えたら小麦ができる。ダイコンの種を植えればダイコンができるし、スイカの種を植えればスイカができる。ということ。スイカの種を植えたのに、ダイコンは出来ないですよね(笑)因果の道理、聞けばシンプルなんですが、面白いし、非常に深いものだと私は思っています。

先に結論

先に結論的
に書くと、運命とは、自らの行いによって決まる。ということです。今日ではあまり良くない言葉で使われますが、自業自得
仏教では、「善因善果 悪因悪果 自因自果」良い行いは良い結果を招き、悪い行いは悪い結果を、自らの行為が自らの結果を生む。という教え。
言われて反論の余地がないぐらい納得してしまう(心の腑に落ちる)ようなことを2600年前に仰っていたわけですね~すごいなぁと感心します。
※しかし考えると反論の余地が少しあるとすれば…それについては後述

仏教と他宗教について

少し話は逸れますが、仏教についての話を少し書きます。一般的に仏教は宗教の一つですが、他の宗教と仏教を一緒くたにするのは違うものであります。まず仏教とは仏法、仏の教えのことであります。他の宗教では、神様がいて、地球を作った。というところから始まっています。それから、もともと他の宗教が日本に来る前こそ、仏教=宗教という言葉であった(宗とする教え)のですが、他のreligionが入ってきた時に、それを宗教と訳したため、仏教とも一緒になった。というのがあります。これらについてはまた別記事にて述べたい、と思いますが、この仏教というのは、ほんとに世の道理を説いたものなんだなぁと学べば学ぶほど、そう実感できてくるのです。
堀江貴文さんが以前、執着心、所有欲あたりの件に関して僧侶に「仏教と似た考え方をされていらっしゃる」と言われていました、これは堀江さんが仏教を学んでいたということではなく、その考え方と同じものが仏教の教えにあるということである。これらを考えていたときにふと思ったのは、仏教というものは、科学に似ているのではないかな?と。私の中での科学というのは、目に見える現象や考えついた疑問について、現在の技術で所謂科学的(数学や論理や元素とか要素で)に表したもの。だと思っています。例えばex1,「幽霊」は現在は科学的ではないものである。よって幽霊を信じる人と信じない人がいる。でも時代が進めば幽霊は科学されると私は考えているんだけどね(笑)逆に言えば、地震や雷とか雨が降るのとかは昔は神様の行いだと思われていたけど、今は科学的に解るよね。
ex2,科学で理解されてるからりんごが落ちるのではなく、りんごが落ちることを解き明かしたのが科学。近現代では、科学的ではないものを、非科学として信じない人が多いが、科学ということについて自分なりに考えて見ると良いよね。科学というのは人間の学問(理解)、解明できた部分が科学(たまに間違ってることもあるが。)
それで、新しいところで堀江さんがよく言っているのは絶対的な未来はわからないけど、相対的な未来なら少しは解るよ。」とたまに発信しています。

再び因果の道理

人間、過去は変えれない(最近の心理学的自己啓発では、確かに過去の事象自体は変えれないが、それについてどう考えるかは”今”考え直すことができると言われている。)ので、いまと未来については考えがち。いまの自分があるのは、過去の種まきのおかげです。(悪い”今”なら、過去の悪い種まきのせいです。)、逆に、今の自分を見れば、過去の行いを知れるということです。未来は?未来を結果を知りたいなら、いまの行いを見よう。
未来にいい結果を出したいならいまの行いを良くしよう。ということです。

「時間は存在しない」みたいな論や書籍が出ていますが、
常に”今”の連続という考えは仏教と同じです。
堀江さんが未来が相対的に解る。というのは、現状を理解して情報を沢山集めればちょっと先の未来は解る。ということ。
古代のギリシア哲学的にいえば、世の中が弁証法的にアウフヘーベンしているなら、テーゼ(現状)があり、アンチテーゼ(反論)が出て、ジンテーゼが出来るわけだから、いまをしって、アンチテーゼを集めれば、未来が見える、というのは正しいと思う。

堀江さんは仏教を学んで、こういうことを話しているわけではない、
けどこういう発言を仏教を少し学んでる立場から見て、思ったのは、
仏教は世の道理を説いたものなんだなぁと実感せずにはいられない、ということ。他にも私が学んだ範囲では、近現代ほど医学が発達していない2600年前から解き明かしていることがあるし、無意識の存在(仏教では阿頼耶識)についてもフロイトやユングよりも前に言及している。わけで、ほんとに「ただの宗教の一つ」とするには違うのではないかなーと思わずにはいられない。ちなみに「道理」とはいつでもどこでも変わらないこと、です。
時代が変わったり、場所や人が変わっても変わらない不変の法則のことです。仏教では諸行無常という教えもあります。物事は不変のことはない、と。何千年経っても道理自体は不変だそうです。道理さえも変わる時代は来るかもしれませんが、基本的に道理は不変

運命を良くするには?

運命は自らの行いで決まります。では運命を良くしたいなら、自らの行いを良くする、ということです。
講座後半では、人間関係を良くしていくには?と良い行いとは何か?ということについてやりました。

人間関係をよくする

人間は社会的な生き物で、社会の中でどう生きてどう関わっていくかが大事です。とりわけ人間関係というのはほぼどんな人にもつきまとうものだと思います。友人関係、会社の中の関係、家族関係等。そんな人間関係で大事な一つ、会話のやりとりを良くしていくようにするには?

やりとり=ストローク

心理学上で、やりとりのことをストロークといいます。
このストロークには肯定的ストローク・否定的ストローク・ディスカウントの3つ(2つがストロークでディスカウントはストロークの対局にあるもの。)があるそうです。一番良いのが肯定的ストローク。やっては良くないのがディスカウントです。

肯定的ストロークとは、相手の(楽しい)話などを、肯定的に聞く。
ちゃんと体を向けて聞く、うなずく、あいずちを打つ、相手の目を見る、目を輝かせて話を聞く。というようなことです。
否定的ストロークは、ミスや行為を間違ってると教えるようなこと。
でも、しかし、など否定する、叱る、注意するなどです。
ディスカウントは、相手や自分の存在や価値、行動の意味合いなどを無視
したり、軽視したりする言動のことです。会話をするうえでは皮肉、いやみ、けなす、目をそらす、軽視 無関心、無視、などです。

講座ではこれを、グループワークとして相手の楽しかった話を肯定的ストロークをするケースと、その逆のディスカウントのケースでやりました。

肯定的ストロークは根っことして女性の方が得意で、男性は否定的ストロークをしやすい、あるいは冷めた夫婦間であるようにディスカウントしやすい傾向にあるのではないかなと私は思います。
しかし、何より肯定的ストロークを意識する、ということが大事なのです。
会話の本などでも書かれていますが、端的に言えば「相手の話をしっかり聞く技術」と言ったところではないでしょうか。会話が苦手な人も、話相手にちゃんと体を向けて、目を見て、軽く笑顔で話を聞くことを意識するだけでも十分良い方向に向かうと思います。肯定的ストロークをしっかりすることで人との関係がより良くなっていくでしょう。

さて、心理学的に、というか処世術的に肯定的ストロークが大事というのは理解されたと思いますが、仏教的には、「布施(あまねくほどこす)」や無財の七施に繋がります。

良い行いとは?

人々が人間形成に努めて幸せや安らぎの境地に至る道として六波羅蜜の行があり、その一つに「布施」があります。布施には無財の七施という教えがあります。お金が無くてもできる施しのことです。
無財の七施には、眼施・和顔悦色施・言辞施・身施・心施・床座施、房舎施があります。それぞれ簡単に言うと、優しい眼差し・微笑み・優しい言葉・ボランティア・心からお礼を言う・席を譲る・一宿一飯。のようなことです。こちらのサイトにそれぞれ書かれていたのでリンクをします。
https://ichigu.net/pillar/service02.php
このことは以前にも何かの本で読んだと思いますが、改めて紙に書いて壁に貼ってもいいなーって思うぐらい改めて感心しました。

さて、少し前の時代(平成中期ぐらい?)では、何かを欲しいなら、何かを与えないとならない。Give and Take(意味的にはTake and Give)、お給料がほしければ働かないとならない。働くからこそお給料が貰える。ということですね。しかし平成の後期ぐらいから、GIVE and GIVEということが言われるようになってきました。とにかく与える。(もともとキリスト教にはこの精神はあったと思いますが)。とにかく与えることで自然とテイクは集まる。というような。

人間は我利我利

人間はどうしても自分が自分が。自分が~ほしい。自分が良ければ良い。となってしまいます。(根っこの部分で我利我利であるということ。)
仏教には利他行という教えがあり、まずは人を良くする、幸せにすることが大事と言われます。自分を幸せにしようとするよりも他人をまず幸せにしてあげなさい。と。キリスト教にも汝の隣人を愛せよ、みたいな言葉がありますよね。人に良くする、幸せにすることこそが自分の幸せに繋がります
ちなみに私が好きな将棋の棋士の藤井猛さんの揮毫の一つに我自我自がありますがこれはただの当て字で仏教とは関係ないと思います(;´∀`)笑

この利他の精神や働き。人に良くするための布施行、
行いはできなくとも布施をしようとする心が人間関係や自分を幸せにするために必要な心、行動ですね。

因縁果の道理

さて、最初に仏教の根幹に因果の道理がある、と書きましたが、
因果の道理は、因縁果の道理とも言われます。
因=原因、果=結果、縁は環境のことです。
もみだねを植えるとお米がとれますが、植える場所がなければお米はとれません。田んぼなどが、ということですね。

世の中のほとんどのことは自因自果であるし、そう考えることが重要だと思います。人は他因自果で考えがちです。今自分が良くない状況になっているのはあいつのせいだ。と。たとえば私の話をすれば昨年9月に解雇になりました。コロナのせいで会社の業績が悪化したからコロナのせいだ。とか会社が悪いという気持ちは最初にありましたね(;´∀`)。しかし、これまでに良い行いをしていなかったからということも考えれるわけです(実際は色々ありますけどね(;´∀`))
他にも、たとえばある人と最初から関係が悪かったとしても、それは初対面の時に自分が対応を間違ったのかもしれません。結婚したけどこんな人とは思わなかった。というのは相手のことをきちんと見ていなかったのかもしれません。のように基本的には自因自果で考えれる、考えるべきでしょう。

しかし、ほんとにどうしても自分のせいじゃないこともあるでしょう。
たとえば、3.11東日本大震災での福島の方で被害にあった方々などは、そういった方が少なくない、と思います。
これは悪縁、ということになります。縁にはもちろんいい縁もあります。
同じことをしているAさんとBさん、結果が違うのは縁の違いです。
縁についてはまだ詳しく学んでませんが、職場環境を縁と考えれば、
縁を変えるような努力も必要かもしれません。福島で被害に合われたのは、やはり福島の海岸に住むことを選んだという因もあるかもしれません。

数年前から、南海トラフ大地震が○○年以内に80%起こるとか言われていますが、その地震の対策(ライフライングッズなど)をしっかりとっていますでしょうか?私はまだしていません(;´∀`)。
これで地震が起こったときに、ライフライングッズ(水や保存食料など)を用意していなかったばかりに自分が最悪な状況になってしまったときに、恨むのは地震なんでしょうが、ほんとは対策をしていなかった自分が悪い、となりますよね。このことなんかは、「未来の果を欲すれば、今の因を見よ」ということだと思います。

講座の結び

仏教を学ぶ、ということは神様を信じれば幸せになれる。という曖昧なことではなくて、仏教で教えられていることはこの世の道理で、良くしていくにはどうしたらよいか、ということが沢山教えられている。
仏教を学ぶ人は(実行することで)必ず幸せになっていける。
ということでした。

堀江貴文さん、今回の記事、氏の名前を結構出しましたが結構、堀江さんのファンなんですよね(笑)深い意味はないのであしからず。youtubeとか本を割と見てます。堀江さんが「貯金するよりも、今を楽しめ。未来のことより今楽しむことが大事だ。」みたいなことも仰っていたと思いますが、
まさに、いま自分を楽しくすることは、未来の結果につながるという所なんだと思います。


以上でーす。ほんとは毎回復習したいところだけど、こんな記事でも数時間かかってるんですよね(;´∀`)、もっと早く書きたい(;´∀`)
あと内容的にも面白かったから書きました~。
グループワークとか5分ぐらいですがやったんですが、そういうの苦手ではあったものの(笑)、
まぁそういう場を用意されたわけなので頑張りましたw
あえて「肯定的ストロークで話してみてください」というお題なので、それをやることで、何か良いものが得られた気がします。普段から肯定的ストロークできるようにしたいですね。あと七施の例として、IKKOさんが島田紳助さんに毎年、お礼状を書いている。というようなことを話されてました。こういう心遣いをすることが、ひいては自分のためになる、ということなんですね。私は年賀状ある年から辞めてしまいましたが、こういうの大事なんでしょうね…(;´∀`)気持ちの問題なので、LINEでも良いとは思いますが、「あけおめー」とかだけじゃなく、きちんとした言葉で書いたりとか大事でしょうね。今年からそうしよう(笑)。LINE自体も数人にしか送ってないですしね(;´∀`)






この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?