対称性推論と言葉とお金と組織
最近、対称性推論について、考えています。
対称性推論は、人間の言語獲得だけでなく、お金の存在、組織の存在の原動力になっていると感じているからです。
対称性推論とは
「言葉の本質」の中で、「対称性推論(アブダクション推論)」すなわち「AならばB」から「BならばA」を(論理的には誤って)推論する傾向を人間が生得的にもつことで言語習得が可能になるという仮説が今井さんの研究にもとづいて主張されます。
対称性推論の箇所を読んでいた時、『資本論』の「ある人間が王(貨幣)であるのは、 ただ他の人間(商品)が彼に対して臣下として相対するからである。 彼らは逆に彼が王だから、自分たちが臣下でなければならぬと信じている。」という箇所が頭に浮かびました。
間違っている解釈かもしれませんが、
文の意味を解釈すると、その人間が王(貨幣)であるのは、他の人々(商品)がその人間に対して従属的な関係にあるからです。彼らはその人間が王(貨幣)であると信じているため、自分たちは臣下でなければならないと考えています。
言い換えると、社会の中でお金が支配的な役割を果たすことで、人々はそのお金を持つ人々に対して従属的な関係を築く必要があると信じているのです。
「お客様は神様です」の考え方がこの考えの先にあると推察しますが、この考えも、昨今だんだんと薄らいでいくように感じます。
対称性推論と組織について
組織の成り立ちを考えた時、組織とは、誰かが決めたルールに従う集合体です。誰かが決めたことに、別の誰かが従うことで、そこにルールが出来上がり、組織が出来上がります。
Aがルールを作り、BとCがAが作ったルールを守ることで集団が出来上がる。BとCが従うのはAではなく、Aが作ったルールです。
ルール(組織)に従うメンバーが多いとそのルール(組織)がパワーを持つのであって、ルール(組織)自体にパワーがあるわけではありません。
世の中の流れ
「AならばB」から「BならばA」という対称性推論は、組織やお金のような目に見えないものを人と人の間に創り出すことが出来る一方で、組織やお金に対する人の従属という弊害を引き起こす、ポジティブ、ネガティブ、両面をを抱える概念です。
一方で、昨今、上述した「言葉の本質」のように言語化されているものが現れ、世の中の流れも、この仕組みになんとなく気付きつつ、揺り戻しを起こそうとする考え方、ポスト資本主義やDAO等が出てきています。
この流れが大きな流れになるか分かりませんが、まずは、対称性推論が私たちに及ぼしているプラスの影響とマイナスの影響を俯瞰して見ることを進めてみたいと思います。
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