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【読書ノート】「百冊で耕す 〈自由に、なる〉ための読書術」

読んだ本の気になる部分を書き留めていきます。
今回採り上げる本は、『百冊で耕す 〈自由に、なる〉ための読書術』著近藤 康太郎.です。

本を手に取った切っ掛け

既存の本棚に本が入りきらなくなったため、新しい本棚を買いました。
新しい本棚に本を並べていく中で、

・この本棚に入るだけの本を一生かけて取捨選択していこう。
・本が本棚に入りきらなくなったら、優先順位を決めて本を売ろう。
・これは、本棚を「耕す」という行為ではないだろうか。
・この本棚があることで、過去から現在にかけて、自分の頭の中が可視化されるようだ。
・「本棚を耕す」という考え方の人、自分以外にもいるのでは?

このような疑問をもち、ネットを調べていくと、まさに上の考えが言語化されている本を見つけました。
それがこの本です。

書き留めたところ

目指すのは百冊読書家だ。本は百冊あればいい。小さい本棚ひとつに収まる量。だれでも買える。だれでも持てる。百冊で耕す。カルティベートする。
注意が必要なのは、「本は百冊読めばいい」ではないことだ。自分にとってのカノン(正典)百冊を選ぶために、そう、一万冊ほどは、(読むのではなく)手にとらなくてはいけないかもしれない。
本書は、自力で百冊を選べるようになるための、その方法論のつもりで書いた。

同書 p.6

現代に生まれた幸運に感謝して、本を折ろう。線を引こう。メモを残そう。
どうしても抵抗があるならば、付箋を貼って、メモをそえる。読書日記をつける。
読書とは痕跡のことだ。著者とつきあうことだ。自分の感情、思考、その痕跡を残す。

同書 p.28

本棚の背表紙というのは、その人の脳を見せているようなものだ。その人の眼、美的センスの現れでもある。深みのある本棚を最初に作ってしまえば、その人は、いずれ深い人間になる。美しい本棚の持ち主は、やがて美しい人になる。本棚が人格を作る。
・・・
本を千冊以上持つのは、経済的にも、心理的にも、苦しいものだ。だから、百冊の本棚を作る。中身を、入れ替え制でどんどん立派なものにしていく。そういうイメージ。

同書 p.34-35

本は本棚に立てて、背表紙が見えるかたちで置かなければならない。タイトルを眺めているのが大切なのだ。ジャンルの違う本が、自分の頭の中に結びつく。電気が通る。そういうときに、企画は芽生える。いわば、脳の中で本という血液が循環する。だから、本棚の本はいつでも並びかえができるように、立てていなければならない。

同書 p.56

本は、わたしが選ばなければわたしの手の中にやってこない。本は、わたしが目を動かさなければ、語り始めてくれない。本は、わたしの知らないことはもちろん、予期しない問い、嫌いな結末さえ運んでくれる。テレビやネットといちばん違うところ。

同書 p.69

ここまでをまとめると、つまり、本を三段階で腑分けしていくわけだ。
第一に、傍線を引く。
第二に、ドッグイヤー、ページの端を折る。
第三に、抜き書きをする。
第四に、そいてこれが最重要だが、抜き書き帳は、やはり読み返すのである。
「抜き書き帳は、写本」と書いた。本ならば、読むのが当たり前である。一日に十五分も眺めていれば十分だ。そして、これこそ読書の最大の楽しみ、本を読む最終的な意味となる。

同書 p.237

読後メモ

本棚を眺めていると、自分自身の過去の興味や疑問、関心があったテーマを俯瞰で見ることができ、飽きずに本棚の前に居続けることができます。

本棚と向き合うと、自分自身と向き合っている感覚が持てます。

かつて読んだ本から得た知識が、新しく読んだ本から得た知識と結びついて、新しい関心が生まれて、また次の本を手に取る。

そして、本棚を整理することは、自分の整理にもなります。

不要な本を処分し、新しい本を迎え入れることで、新たな知識や経験を受け入れる準備が整います。

そして、再び本棚に目をやると、そこには自己成長の軌跡が刻まれた一つの物語が広がっています。

このようにして、本棚は単なる収納スペースではなく、自分自身の歴史と未来を繋ぐ重要なツールとなっていくようです。


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