みんな煉獄のどこに惹かれるの??【鬼滅の刃 映画レビュー】(東北大CARP)

こんにちは!サッカー大好きタカです!

先日、CARPのメンバーほぼ全員で劇場版「鬼滅の刃無限列車編」を見に行ったんですね。その感想を書かずにはいられなかったので、書かせていただきます。もちろんネタバレを含みますので、まだ映画を見ていないかたは、ぜひ映画を見てからこの記事を読みに来てください(笑)

僕は天邪鬼というか、流行に逆らいたくなるタイプなんです(笑)。だから、鬼滅の刃に関しても、去年流行していた時は、「どうせ一時的なブームで終わるんだろう、所詮中堅ジャンプ漫画だ」と冷めた目で見ていました(浪人中で心がすさんでいたというのもありましたが笑)。

しかし、最近いたるところで、「鬼滅の刃の映画が良かった、感動した」という声を聞くようになりました。雰囲気だけでもさわっとくかと思い、善逸の霹靂一閃のシーン(蜘蛛みたいな相手と戦う)だけyoutubeで見ました。そうしたら、「あれ、これ、かっこいいじゃん、、」って思ってしまたっんです(笑)。目を閉じて口から息を吐き、一気に敵に迫る。そして相手を切った後、月と重なる善逸。かっけええええええ。雷の速さがとても効果的に演出されていて、相手の動揺具合もよくわかります。いやー速いって正義ですよね〜。1つの技を極めるという内容にも厨二心を揺さぶられました。

そうして日は過ぎていったのですが、多くの東北CARPメンバーの「鬼滅みたい欲」がついに最高潮に達し、みんなで東宝シネマズへ行って映画を見てきました。

結論としては、、

なんだかんだよかった。いやかなり良かった!てかめっちゃ良かった!!もう一回見に行きたい!!!最高!!!!
全体として戦闘シーンも多く、迫力があって、厨二っ気のある僕にはドハマりでした。
「罪なき人に牙を剥こうものならば この煉獄の赫き炎刀が お前を骨まで焼き尽くす!!」とか一度でいいから異世界転生して、言ってみたいですよねー。
あと最後の各柱が煉獄さんの訃報を聞くところとか、みんなの強者感やばくないですか(笑)。「煉獄クラスの人がまだこんなにいるのかっ(みんな個性的だし)」と笑。帰った後、柱とか上弦の鬼について結構調べちゃいました(笑)

とまあ僕の少年心が非常に駆り立てられたのもよかったのですが、やはり感動シーンがいくつかありましたよね。皆さんはどこが印象に残ったでしょうか。
僕が特に胸を打たれたのは、煉獄さんの母が病気で死ぬ間際に煉獄さんにかけた言葉です。

「弱き人を助けることは強く生まれた者の責務です」

強いからといって決して傲慢になるな。ただ強いだけで、自分の私腹を肥やしたり、自分の優越感を満たしていては何の価値もない。弱きものを助け、守る。そうやって強さの目的を、外に、他のために展開してこそ、強さに価値が宿る。そのために日々鍛錬を怠らず、努力して強くなりなさい。そんなメッセージが感じられます。そしてその価値観や生き方には憧れを抱きますよね。
そしてこれは僕自身にも当てはまりました。強弱というものではないけれど、先進国である日本に生まれ、着るもの食べるもの住む場所にも困らない。親同士の大きな喧嘩などもなく、塾にも通わせてもらい、世界的に見れば質の高い教育を受けてきました。だからといって将来安泰なわけではないけれども、圧倒的に恵まれた環境で育ったことは間違いがないんです。
ではどうしてそのように育ったのでしょう。何のために僕は学ぶのでしょう。何のために自己を磨くか。そもそも私は何のために生きているのか。
今こうして映画を見ているときも、きれいな水が飲めない、食べ物にありつけないために栄養が足りず、痔や風邪などで簡単に死に近づいてしまう子供たちがいます。教育が受けられなかったために、職にあえぎ、生計を立てるのに精一杯な大人もいます。紛争ゆえに、人を憎み、銃を手に持つ青年がいます。
生まれた場所、環境が違うだけなのに。
そういった人たちの前に、安全で安定した場所に住み、のうのうと生きていて果たして顔が立つのか。
もちろん、そう思ったからといって簡単に片付く問題ではありません。私一人が世界を変えられるわけもありません。
ただ、苦しむ人たちのために、学び、関心を持ち、いつかはこの社会を良くしていく責任を担うんだという信念は持つべきだと思うのです。
そのために、SDGsを学び、プロジェクトを行い、知恵と人格を発達させるのです。この煉獄母の言葉を聞いて、自らの日々の生活や心がけを反省させられましたね。

そして煉獄さんが力尽きる直前のシーンも感動を抑えられない人は多かったのではないでしょうか。煉獄さんは「母上 俺はちゃんとやれただろうか。やるべきこと果たすべきことを全うできましたか?」と母に聞きます。その前の場面では、片目がつぶれ、内蔵をえぐられ、致命傷を負う中、鬼である猗窩座は煉獄を鬼になるように誘います。「鬼になれば、その傷も痛みもすべて治し、再生できる。もっと強くなれる」。でも煉獄さんは決してその誘いに乗りませんでした。

これすごくないですか。

普通は、自分の無力感、至らなさを感じるとき、その悔しさゆえに、何かを言い訳にし、何かにすがりたくなります。「自分はこんなに頑張っているのに、なんで」と。そうすると「あれのせいだ、これのせいだ」とか、「これさえあれば、、」と目先のものしか見えなくなると思うんです。夢を操る下弦の月、魘夢とかまさにそうですよね。炭治郎に首を切られた後、「炭治郎や伊之助さえいなければ、、、殺してやる」と憎悪を溢れさせながら死んでいきました。自分もサッカーをしているとき、心の中で仲間のせいにしたり、もっと早くサッカー始めていればと理由をつけたくなります(笑)。社会を見れば、新型コロナウイルスが蔓延し始めたときも、目に見えないウイルスという強さの前に、私たちは互いにSNS上で非難し合ったり、自分はうつらない、自分さえよければと身勝手な行動をとる人もいました。それは国家レベルでも同じでした。原因を突き止めるのは確かに大事ですが、難しい現実が立ちはだかるが故に、感情に身を任せた言動をとってしまっていたのではないでしょうか。また、紛争やテロが起こる根本的な理由もそういったところにあると思います。このように窮地に立たされた時に、人は自己中心という誘いにのりやすくなるのです。
それではどうして煉獄さんは誘いを拒み、闘い続けられたのでしょう。
それは親に与えられた責務をどこまでも全うしたかったからではないでしょうか。病気で亡くなってしまった母親の代わりに、母親のために、強く生まれ、強く育ててもらった自分が弱きものを助けたい。誰も死なせたくない。そんな燃え上がる炎のような熱い思いがあったからこそ、煉獄は変わらず、道理を立て続けたのでしょう。そんな姿をみて、最後に母はとても誇らしく思い、「立派にできましたよ」と答えました。これに共感し、涙を流す人は多かったのではないでしょうか。

今回の映画が大ヒットした理由は私たちが、共感したいもの、信じたいものが多かったことにあると思います。「どう生きるのか」が問われる時代で、一つのモデルを示してくれたのが、竈門炭治郎や煉獄杏寿郎でした。物質や肉体よりも精神性を重んじ、どんな状況でも変わらない利他の心を持つこと。親を慕うこと。家族を思うこと。それらは現実を前に手放したくなるものだけれど、僕たちはやはりどこかでこれらを求めているんじゃないか、熱い思いを持っているんじゃないかとこの映画を見て思いました。

鬼滅の刃は予想を裏切ってくれるというか、主要キャラがちゃんと死ぬところがいいですよね。煉獄さんも「死ははかなく、美しい」と言っていたけど、大切な人の死というものは人の感情が動かざるを得ないですよね。そして、その死が生きているもの、今回でいえば炭治郎や伊之助を強くする。鬼滅の刃は人間の死という限界性も強調して、そこにリアルに近い美学や道徳を見出しているのも魅力の一つだなと思いました。

歴代興行収入が「タイタニック」を超え2位になるのも少し納得。「千と千尋の神隠し」を超えるかどうかにも注目していきたいですね。

少し長くなってしまいましたが、みなさんに少しでも共感していただけたらなと思います。読んでいただき、ありがとうございました!

それでは次の記事もお楽しみに。
以上東北大CARPでした。Thank you!

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