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「学生時代からの縁が今も続いています」*公益財団法人ジェスク音楽文化振興会 武田林さん

1997年 桐朋学園大学卒業(音楽学専攻)。99年同大学研究生(*)の課程を修了。現在公益財団法人ジェスク音楽文化振興会にて、音楽祭や演奏会、コンクールなどの企画制作に携わる武田林さん。
アーティストや関係者らとやり取りしながらのさまざまな調整や各種手配、補助金や助成金などの申請から予算管理まで、その業務は多岐にわたります。
在学中から現在まで、どのようにキャリアを築かれてきたのか、桐朋学園での学びがどのように活かされているか、お話をうかがいました。

(*)研究生:学部卒業後、更に研究を深めたい者のために設置されている制度。(桐朋学園大学に大学院が設置されたのは2017年で、それ以前の学部卒業生の内部進学はこの課程に進むのが主だった。)


「現場」で音楽に関わりたいという思いから企画制作の道へ

――武田さんは霧島国際音楽祭をはじめとした規模の大きな音楽祭や国際音楽コンクールなどに関わられていますね。勤務されている公益財団法人ジェスク音楽文化振興会(以下、ジェスク)について教えていただけますでしょうか。

ジェスクは、1984年、霧島国際音楽祭を運営することを目的に設立されました。当初、この音楽祭は民間の方々によって手作りされていたのですが、規模が大きくなるに従って組織化する必要性が高まっていったのです。そういった経緯があり、音楽祭発足から4年後の1984年にこの財団が立ち上がりました。現在は、鹿児島県、公益財団法人鹿児島県文化振興財団と共に霧島国際音楽祭を主催しています。

ジェスクは現在もこの霧島国際音楽祭の運営がメインとなっていますが、そこで培ったノウハウをもとに、全国各地の自治体などと共に、音楽祭やコンサートツアーなどの運営にも関わっています。
例えば、「仙台クラシックフェスティバル」、庄司紗矢香さんの日本ツアー、桐朋学園に近いところでは調布国際音楽祭。それから、浜松国際ピアノコンクール、東京音楽コンクールなどの国際コンクールにも関わっています。
音楽マネジメントを行っている組織としては珍しく、「公益財団法人」というスタイルで運営しているため、自治体など行政と連携して取り組む仕事が多いのです。そういうこともあり、いわゆる日本の文化事業ともいえる、大規模な仕事が多いんですね。

――在学中から現在のようなお仕事に就かれることを目指されていたのですか?

いえ、最初からこの仕事に就きたいと目標が定まっていたわけではないんです。将来のことについてはだいぶ迷いました。

学部生の頃は、「研究生*」の課程に進学することだけ考えていましたから迷いもなく、とにかく毎日が楽しかったという思い出しかありません。ところが研究生になると、就職や留学で学内の同期の人数が一気に減り、急に将来に不安を感じるようになったのです。「この先どうする?」と、そこでようやく身の振り方を考え始めました。

選択肢は大きく分けて2つ。そのまま研究の道に進むか、「現場(=クラシック音楽に関わる仕事)」に出て働くか。考えた末に、私は後者の「現場」に関わる仕事がしたい、と思ったのです。

――そこから就職に向けて、準備はどのように進められたのですか?

いわゆる一般的な就職活動を行うのではなく、クラシック音楽関連のアルバイトを探して実際に働いてみることにしたのです。現在勤務するジェスクと、他の音楽事務所でも働きました。また、ちょうどその頃、初台に新国立劇場がオープンして、そこでレセプショニストのアルバイトもしました。

「現場に関わる仕事」といってもその種類は多種多様で、音楽業界にはさまざまな職種があり、演奏会や音楽祭など演奏の場を作る仕事もあれば、放送関係やレコード関係の仕事もあります。アルバイトを通じて、クラシック音楽のさまざまな仕事を経験したり、見聞きしたりして、その中で私は「演奏会を作る仕事が一番好きだ」と感じ、現在の職業を選択しました。

「就活」と一口に言っても、そのやり方はさまざまだと思います。どのようなやり方が正解なのか私には分かりませんが、自分なりに将来を見据えて準備することができたと思っています。もしかすると、私のように研究生の課程に進んでから就職のことを考え始めたのでは遅い、という考え方もあるのかもしれませんが、もし仮に、今もう一度学生時代をやり直すことができたとしても、おそらく当時と同じように過ごすと思います。学部時代も非常に充実した日々を過ごすことができましたし、それは今の仕事にも活きているはずです。

例えば将来について具体的に考えることが人よりも早かったとしても、逆に遅かったとしても、いずれどこかの段階で必ず考え、悩む時期が来るのだと思います。そして、その悩むこと自体も必要なことで、そういう試行錯誤する時期を過ごすこともとても大事なことなのだと思います。

学生時代の学びと経験が礎に

――学生時代に学んだり経験したりしたことは、今の仕事に活きていますか?

音楽学で学んだことは間違いなく、今の仕事の礎となっています。例えば、プログラムを組むとき、どのような曲を持ってきたら良いのかなど、音楽の知識がとても役に立っています。

また、学問として学んだことだけではなく、「桐朋で学生生活を送ることができて良かった」と思うこともたくさんあります。その中でも特に思うのは、身近に世界的に活躍する演奏家や、後に演奏家になる学生らがたくさんいらして、非常に恵まれた環境だったということです。
そこで出逢った方々とは、社会に出てからも仕事でご一緒する機会があります。また、在学中に接点がなかった方々とも同じ桐朋の出身ということで繫がりをもつことができたりすることもあります。そうした人との縁を感じるとき、「桐朋に行って良かった」と思います。

それからもうひとつ、音楽学の学生も「理論科ピアノ」という科目などでかなりしっかりとピアノを弾かされたことです。その他にもSHM(ソルフェージュ、ハーモニー、メロディ)もあり、在学中は結構大変ではありましたが、その分、身に付くものも大きかったと感じます。そういった科目があったおかげで、楽器を弾かなくなった今でも音楽の聞こえ方が違う、と言いますか、深く理解することができているように感じます。

憧れの小澤征爾。その母校で学びたい

――そもそも進学先に桐朋学園大学を選ばれたのは、何かきっかけがあったのですか?

高校生の頃、小澤征爾さん率いるサイトウキネンオーケストラが海外に進出し、日本のクラシック音楽界を牽引する存在となっていました。そういう時代でしたから私の仲間内でもクラシック音楽が流行し、クラシック好きな友人がたくさんいました。
そういうこともあって、音楽の世界は格好いいな、と思い、音大に進学したいと思うようになったのです。そして、せっかく音大に行くのであれば小澤征爾さんの出身校である桐朋に進学したいと思い受験しました。

――音楽学を選ばれたのは?

母の薦めでした。私の母はピアノを教えており、私自身も幼い頃からピアノを習っていたんですね。しかし、音大進学などまったく考えておらず、理系の大学に進もうと考えていました。

そんな中、小澤征爾さんの音楽との出逢いがあり、「専攻は何でも良いから、とにかく音楽を学びたい」という思いが高まったんです。それで母に相談してみたところ「今から演奏は無理だね」と。……もちろん、それは言われなくても分かってはいたのですが(笑)。

突然の進路変更に、何でも良いから音楽を学びたいという闇雲な希望理由。それでも母は、私の思いを真剣に受け止めてくれたのか、私に合う音楽の学び方をいろいろと調べてくれたらしく、「桐朋には音楽学という科があるよ」と薦めてくれたのです。

――そこから本格的に音大受験の準備をされたのですね。周りの環境の変化など、戸惑いなどはありませんでしたか?

先ほどもお話ししましたとおり子どもの頃からピアノは弾いていましたから、音楽そのものは身近な存在ではあったんです。けれどもおっしゃるとおり、桐朋学園大学音楽学部附属 子供のための音楽教室に入室した直後は、それまで私が関わってきた人たちとはちょっと違うタイプの人たちが集まっているように感じる部分もありました(笑)。でも「音楽が好き」という点で繋がっていることもあってすぐにうち解け、環境にも慣れました。
大学に進学すると同期の男子は20人くらいいて、いつも一緒に遊んでいましたね。仲間にも恵まれたと思います。本当に良い思い出です。

桐朋は幼少期から音教に通い、附属高、大学・ディプロマと上がってくる人が多い印象があるかもしれませんが、大学にはさまざまな経緯で進学してきた人がいました。おそらくそれは今も変わりないと思います。専攻にもよりますが、私のようにある程度の年齢に達してからでも音大進学を目指すことは可能なんです。

――学生時代、音楽学ではどのようなテーマを研究されていたのですか?

学部生の頃はイタリア音楽、レスピーギあたりの時代をテーマにしていました。でもあるとき、たまたま購入したクロノス・クァルテットのCDがオムニバス版で、さまざまなジャンルの作品が収録されていたのです。その中で一番面白かったのがスティーヴ・ライヒの作品の演奏で、研究生の頃はミニマルミュージックをテーマにしていました。

イタリア音楽を研究するにはイタリア語の文献も読まなければならず苦労したのですが、ライヒだったら英語でいける!という邪(よこしま)な気持ちも最初は多少あったりもしましたが(笑)、このテーマに関しては、かなり深く掘り下げることができたと感じています。

クラシック音楽界の課題に立ち向かう

――現在、「企画制作」というお仕事でクラシック音楽界に携わり、業界の「課題」と感じることは?

クラシック音楽界全体の課題として、やはり「もっと聴いてくれる人が増えたら良いのに……」という思いがあります。少なくとも減らないようにしなければならない。それはこの業界にいる人なら、誰しもが考えていることでしょう。

そうしたことを踏まえて、この仕事をする上で大事なことは、「限られた資源を駆使してうまくやっていくこと」だと考えています。

クラシック音界の全ての資源には限りがあります。ここで言う「資源」とは、演奏家、クラシック音楽に関心のあるお客さま、よく知られた質の高い作品、そして資金などです。クラシック音楽界は、どう考えてもそれらが豊富にある世界ではありません。その少ない資源を「いかに効率良く結びつけるか」というのがこの仕事の肝。そこをうまく融合させることができるようにやっていきたい、といつも考えています。

そして、その中でも特に難しく、避けては通れないのが資金のこと。お金の問題です。これはもう人間社会において、どの分野においても難問となっているかと思いますが、クラシック音楽の分野は特に資金が少なく、その上、稼ぐこと、増やすことも難しいです。ですから、相当うまくやりくりしなければ演奏会も音楽祭も成立しなくなってしまいます。

それだけ存続させることの難しい分野ではありますが、でもやはり人間社会において音楽はなくてはならないものだということだけは言えると思うのです。
できることなら、音楽のみならず、人間の営みを豊かにする上で不可欠なさまざまな分野がもっと充実して、社会全体が豊かになると良いです。

――これからの桐朋生に期待するところは?

桐朋学園の生徒・学生は皆優秀です。それに加え、皆それぞれに「音楽が好き」という強い気持ちを持っています。
しかし、ただ「好き」というだけでは仕事にはなりません。好きな音楽を「ただ好き」で終わらせず、「仕事に繋げる」。それを常に意識し、学生時代から積極的に社会性のようなものをたくさん身に付けておくと良いのかな、と思います。

具体的には、まずは円滑な人付き合いと礼儀です。堅苦しいことは今の時代にそぐわないのかもしれませんが、しかし最低限、人付き合いのマナーを備えておくと良いと思います。というのも、音楽の仕事は人と人との繫がりで成り立っている部分がとても大きいのです。お互い尊重し合ってコミュニケーションをはかれるようなスキルを身に付けておくことをお薦めします。

自分のために楽器を弾く時間を

――最後に、現在は楽器を弾かれていないとのことですが、いずれまた弾きたい、と思われることはありますか?

それはもちろん、いずれまたピアノを再開したいですね。実は社会人になってから、三線(さんしん)を習っていたこともあるんです。それもいつの間にか途絶えてしまったのですが、またいつか、自分のために楽器を弾く時間をもつことができたら良いな、と思っています。

楽器は、できることなら継続するに超したことはないと思いますが、せっかく音大を出ても仕事が忙しくて練習時間が確保できないなどの理由でやめてしまう方も少なくないと思うのです。けれども、しっかりと身に付けた知識や技術が無になることはありません。
こうして今も、再開したいと思ったときに、いつでも弾ける、と思えるのは、学生時代に桐朋でしっかりと学ぶことができたからこそだと思っています。

●たけだ・しげる
1997年 桐朋学園大学卒業。99年 桐朋学園大学研究生の課程を修了。同年財団法人ジェスク音楽文化振興会(現公益財団法人ジェスク音楽文化振興会)入職。

2024年4月 桐朋学園大学仙川キャンパスにて
聴き手・文/向後由美


公益財団法人ジェスク音楽文化振興会
https://jesc-music.org/

第45回霧島国際音楽祭
2024年7月19日(金)〜8月4日(日)
https://kirishima-imf.jp/

第3回 ザハール・ブロン ヴァイオリン・マスタークラス in 宗次ホール
2024年8月26日(月)~9月2日(月)
https://munetsuguhall.com/performance/other/entry-3703.html



桐朋学園大学音楽学部
https://www.tohomusic.ac.jp/

桐朋学園大学キャリア支援センター
http://www.toho-career.com/

音楽学専攻は、2025年度よりミュージコロジー専攻へと変わります。https://www.tohomusic.ac.jp/college/topics/2024/2024-0620.html


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