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失意の時こそ外に出よう

私は現在、コーチとして活動するかたわら、ドラッカー研究を続けていて、ドラッカーの教えをわかりやすく解説するセミナーを近々スタートさせようとして、毎日、資料つくりに没頭しています。

来月、初めてチャレンジするセミナーの準備をしながら、私はいつ頃からドラッカーやコーチングといった、今の私の仕事の中核となるコンテンツに出会ったのだろうと、ふと考えました。

そして気付いたことは、二つとも失意のどん底にいる時に出会ったことだったと気づいたので、今日はその話をシェアしたいと思います。

最初にドラッカーの本を手にしたのは、2003年だったと思います。
それまでの5年間、私は会社の新規事業の責任者を任され、毎日がとても充実し、自分で言うのも気恥ずかしいのですが、誰もが認めるほどの成果をあげていたと確信しています。

全国を飛び回り、業界団体の会合にも会社を代表して出席し、対外的にもよく知られた存在となっていました。

ところが2003年に支店長として大阪転勤を命じられます。

従来のその会社の出世コースとして大阪支店長は次のステップへの登竜門だったわけですが、私には勢いのある新規事業の全国責任者という立場から、関西という一地方の責任者という立場になることが、まるで降格であるかのように受け取っていました。

さらに新規事業の私の後任はどうなるのだろうと心配していたところ、専務から「君の机は東京においておくから、月のうちの半分は東京に出社し新規事業のバックアップをしてくれ」といわれ、これでは大阪に本腰いれて仕事することはできないし、新規事業の方も後任はやりにくいだろうと、ますますモチベーションが上がらないまま過ごすことになりました。

そんなころに偶然、書店で手にしたドラッカーの名言集にこんな言葉が書いてありました。

「今さら自分を変えようとしてはならない。うまくいくわけがない。
自分の得意とする仕事のやり方を向上させることに、力を入れるべきである。」
(「明日を支配するもの」)

意に沿わない異動をどのように受け入れたらいいのか迷い悩んでいたときだっただけに、この言葉は私の心に突き刺さり、勇気をもらうとともに、その後むさぼるように読んだ記憶があります。

その、大阪での支店長生活は2年で終わったのですが、その頃体制が少し変わり、直属の上司から、私はすっかり干されることになったのです。

大阪で2年過ごした頃に東京への異動を命じられたのですが、そこは私のために新設された、広報企画室というセクションで部下は4名というカタログやサンプル作成の部署でした。

大阪支店長時代の部下は35名近くいましたが、今度は裏方の内勤で誰が見てもすっかり干されたというのが適切だったと思います。

そんな中で出会ったのが、社内研修の講師をしていた方から聞いたコーチングでした。

外勤営業でもなく時間的な余裕もたっぷりできたので、私はコーチトレーニングプログラムに申し込み、コーチの資格を取るべく勉強を始めました。

その後、またまた体制が少し変化し、私はその5年後に役員となり、猛烈に忙しい状態にもどりコーチングの勉強からは距離を置くことになりました。

でも、ドラッカーは読み続けていて、その後、ドラッカー塾に通ったりして学びを深めていきました。

ドラッカーもコーチングも、失意の中で出会ったことで、あの時、いじけて殻に閉じこもっていたら今の私がなかったのは間違いありません。

そう考えると、あの嫌だった上司が私を閑職につけてくれたおかげで、私の財産ともいえるドラッカーの勉強を深め、コーチングに出会えたのですから、人生何があるかわからないものです。

失意の時こそ、新しいチャレンジのチャンスです。

自分の殻に閉じこもらずに、できるだけ外を見て、外に出かけて他流試合に挑戦すべきです。

人間万事塞翁が馬、すべて自分の気の持ちようですね。

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