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当麻の記憶#1 市街地区の昔話

当麻町は令和4年5月に開拓130年を迎えました。
当麻がこれまで辿ってきた歴史は当麻町史をはじめとした町史の資料で知ることができます。当麻町に関わる大きな出来事や事件などは記録されていますが、おじいちゃんおばあちゃんの昔話など“個人の記憶”は記録されません。「昔はこうだったんだよ」「私たちの若い時はね」…。その記憶を後世に残すために「当麻の記憶」という企画を始めました。


北條憲太郎さんは歴史公園の真迎えにある「フタバ時計店」の2代目店主です。当麻小学校がまだ“当麻尋常小学校”だった頃、現在の当麻消防署庁舎から北洋銀行当麻支店まで土地は学校のグラウンドだったそうで、100メートル徒競走ができる広さがあったそうです。ここでは草野球や相撲、村民運動会なども盛んに行われていたそうです。

この場所が小学校のグラウンドでした
現在の小学校側から見たグラウンド。左に見えるのは当麻山です

 市街中心部の道路は、昭和35年までは未舗装で馬や人が道路を往来していました。道幅も今よりずっと狭く、道路の脇にはU字溝が設置され水が流れていたそうで当時、町内会単位でU字溝の清掃活動をしていたことを鮮明に覚えていると北條さんは話します。5差路の交差点では夏に櫓(やぐら)
を建て盆踊りも行われていたそうです。

現在の5差路。この道路の突き当りにはJR当麻駅があります
昔の5差路

 現在の歴史公園の場所には商店が2店舗ありました。5差路の角には酒屋があり、当時は多くの店舗が並んでいました。ちなみにスーパーチェーンふじ当麻店は昭和40年代にできたボーリング場で今でも建物は当時の原型を留めています。


歴史公園には2店のお店がありました
この道路の左側には酒屋、この道路の奥にあるスーパーチェーンふじ当麻店はボーリング場でした


7月の当麻神社祭には現在と同じく中西薬房さんから駅に向かい出店が並んでいましたが数はずっと多く、山本精肉店さんがある交差点から左右の道路にも出店がありました。例大祭の演芸もこの付近に櫓を建て行われていたそうです。



神社祭には出店が出る中西薬房さん前の町道
昔は多くの商店が軒を並べていました。お菓子屋さんや自転車屋さんもありました

 北條さんは、公民館まとまーるの先代公民館だった「当麻文化センター」の管理人も長年務めていました。文化センターが建っていた場所には現在、当麻消防署庁舎があります。晩年は演芸の舞台としての利用がメインでしたが、昔は映画館としても活用されていました。表玄関に入ると切符切りの場所があったり、館内には映写機が設置されていた名残もありました。


文化センターで映画「南極物語」や「ドラえもん」を見た記憶があります


隣には同じ年に完成した互楽館という建物があり町民の憩いの場として活用されていました。当麻町立幼稚園が始まった当初(昭和52年4月)は、今の園舎が完成(同年10月)するまで、短い期間ですが互楽館が使われていたそうです。

互楽館

 北條さんは、赤レンガ時代の当麻小学校(昭和33年~平成11年)の夜間見回りも任されていました。文化センターが閉館する夜9時以降に見回り、365日ほぼ休みなく巡回していたそうです。ストーブが消えているか、窓が閉まっているか、ゴミがちゃんと処理されているかを確認していました。
 レンガ時代の小学校に通っていた方は記憶があるかと思います。石炭小屋などに関する怖い話など…。昼間でも薄暗い場所に一人で歩くのは怖かった記憶があります。北條さんも真っ暗な中を巡回するのは嫌だったそうです。

立派な小学校でしたが、所々に子どもが“怖い”と感じる場所がありました。