煙が目に沁みる

 

 リビングからベランダに目をやる。小さな火がちらちらと瞬くのが見えた。空は紫がかって、太陽の名残が水平線を薄らと照らしていた。ああ、もうカーテンを閉めなくちゃ。あの小さな火が消えたら。


 父親は怒りっぽい人だった。些細なことに怒鳴っていた。運転している時、前の車が思い通りに動かなかったら。母の説明が要領を得なかったら。僕が父の望む言葉を答えられなかったら。父は我が家を恐怖で支配していた。

 父親は田舎の生まれだった。本人はそれを心底恨んでいるようだった。田舎に生まれたせいで、俺は十分な教育を受けられなかったのだと何度も口にしていた。周りには理解のない教師、金の力だけで大学に行ったぼんくら。そんなふうにみんなを見下していた。
 父親は二浪して地元の国立大学に入った。そこからさらに何回か留年して、修士まで取った。三十歳も目前で、やっと結婚し、心底憎んでいた田舎の公務員になった。
 あんなところの公務員になる羽目になったのはお前のせいだ、と僕は言われた。お前を養うために仕方なく働いているんだ。俺はあんな場所で終わる人間ではない、と。
 父親はことあるごとに仕事の話をした。いかに自分が優秀で素晴らしい業績を上げているか。いかに周りが馬鹿で何も見えていないか。俺を認めない上司はおかしいと言っていた。たまに都会からやってくるお偉いさんには気に入られ、優秀だと言われるのだと自慢していた。
 それが加速したのは部下にいわゆる高学歴と呼ばれる経歴を持った人が入ってきた時だった。父親は毎日その人の悪口を言った。文系だから物事の理論を分かっていないんだ。頭でっかちだ。現場のことなど何一つ分かっていない。それなのに馬鹿なお偉方は経歴だけで評価している。
 俺の方が優秀なのに、と言いたいのが透けて見えていた。


 そんな父親は読書家だった。部屋には床が抜けそうなほど本が積まれていた。怒りっぽい父親は、僕がそれを取って読むことだけには怒らなかった。それで僕は小学生のうちから一般向けの文庫本に手を出し、本を読み漁っていた。父親と競い合うように本を読んでは、感想を言い合っていた。正確には、父親が一席ぶつのを黙って聞いていた。それが正しくて面白いのだと、心の底から信じていた。
 時には深夜のBSをふたりで観ていた。古いアニメ、歴史番組や音楽番組。それにも父親はこと細かに知識を披露した。それも面白いと思った。だから昔のバンドが好きになったし、歴史を勉強しようと思った。
 父親はギターも弾いていた。それで自分も弾きたいと思って、押し入れに仕舞ってあった古いギターを借りた。ヤマハのいいやつだと言われた。すこし扱いが難しかったけれど、確かに良い音が出るギターだと思った。中学生の僕は教本を見ながら一生懸命練習して、バンドを組んでライブをした。
 勉強をするのも楽しかった。父親がいつも話しているようなことを、今度は自分の手で知ることが出来る。あれもこれも、ああこの前一緒にテレビで観た。本で読んだ。これは知らない。そのどれもが面白かった。だからしょっちゅう勉強をしている、変わった高校生になった。


 そうしているうちに、僕は父親を越えてしまった。父親の出身大学より遥かに偏差値の高い大学に入った。父親がこき下ろしていたあの高学歴の部下よりも。そして同時に知ってしまった、父親の言動は全て自分の虚栄心によるものだったと。
 得意気に話していた知識たちは何かの本の受け売りで、しかも間違いも多かった。あれだけ賢そうに見えたのに、僕が軽々と解く物理の問題が分からなかった。
 それでも僕は心のどこかで昔の父親のことを信じていたのだと思う。だから父親と同じ理系の学部を選んだ。だから大学に入ってからもギターを続けた。


 それでも父親が、そして我が家が子どもにとって良くない環境だったのは事実だった。いつも感情的に怒鳴りつける父親。その矢面に立つ僕を守らない母親。共働きだったから、家事だって率先して手伝っていた。父親は何一つ家事をしなかった。それなのに僕が失敗したら怒鳴りつけた。
 僕は家族が壊れないように必死だった。父親の機嫌を損ねそうなことを先回りして潰し、母親と喧嘩にならないように間に立った。お互いの愚痴を聞いて頷いた。僕はストレスの捌け口にもなっていた。そうとも気付かずに。
 父親が怒鳴るのは小さなことだった。まだ小学校にも上がらない僕が、掃除の時に髪の毛を見逃したという理由で怒鳴った。先に録画していた番組を観ていたという理由だけで、前を走っていた車がのろい運転をしていたという理由だけで。
 これが普通だと思っていた。たしかにちょっと怖いけれど、どの家もこんなもんだと。でもそんなことはないらしい。


 親元を離れてから何となく家のおかしさに気がつき始めた。Twitterをやるようになって、モラハラやDVという言葉を目にするようになった。これってうちのことじゃないかと思った。確かに、そう、おかしい、何かが。パズルみたいに今まで自分が言われたこと、されたことが当てはまっていった。
 性的なからかいも受けた、軽い暴力もあった、それ以上に大声や暴言は日常茶飯事だった。他者への人格否定の言葉は毎日聞かされた。自分へのものは、毎日ではなかった。しかし他者へ向けられた言葉がいつ自分に向けられるのかと毎日怯えて暮らしていた。

 今でも毎日思う。「誰が養ってやっていると思っているんだ」「〇〇大卒のくせに使えない」「こんなことも分からないなんて馬鹿だ」「あいつは女だから」自分の中からそんな声が聞こえてくる。「声が小さい」「何考えてるか分からない」「怠けやがって」そうやって、自分を責める言葉が聞こえる。

 

 父親とはもう縁を切った。二度と会わないことだろうと思う。あっちはそうは思っていないだろう。しかしそんなことは知らない。

 それなのにまだ心の中では父親のことが忘れられない。楽しかった思い出だってない訳じゃない。今の趣味だって父親の影響がなければしていないことも沢山あるだろう。博士号が欲しいのも、半分は父親を見返したいからかもしれない。もうあんな言葉全部虚構だと分かっていても、何としても形に、目に見えるものが欲しい。未だに父親が夢に出てくる。殺す夢も殺される夢も見る。


 ストレスの捌け口にするために酒にも煙草にも手を出した。毎晩父親の晩酌の相手をするのは嫌だったのに。小学生の僕は上手に水割りを作れた。今の僕はロックしか飲まない。子どもの僕は父親が煙草を吸い終わるのを待っていた。今の僕は同じように煙草を吸う。

 いつまでこの呪いはついて回るんだろう?
 人間が怖いんだ、馬鹿にされるんじゃないかって、怒鳴られるんじゃないかって、呆れられるんじゃないかって、見捨てられるんじゃないかって。
 そうやって怯えているのが分かるのだろう、今でも目上の人に八つ当たりをされる。やばそうな人は避けているつもりだけれど、いつもは優しく見える、みんなにも優しいと思われている人に八つ当たりされて、ああやっぱり僕は舐められてるんだと思う。


 でも父親みたいにはなりたくない。自分の心を守るために他人の悪口を言う人間にはなりたくない。自慢話ばかりする人間にはなりたくない。怒鳴り散らす人間にも、八つ当たりする人間にもなりたくない。酒に溺れ煙草に依存する人間にはなりたくない。


 初めからなかったことにして欲しい。それでも血は繋がっているんだという事実が嫌だ。その運命に抗いたい。

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