終わっていないけれど8月の振り返り

 8月、ただ命が危険なほど暑い季節と化した夏は、驚くほどにつまらなかった。最初はそれなりに楽しいこともしようと計画を立てていた。序盤はそれなりに上手くいっていた。
 けれど研究が上手く進まずに、予想よりも長い期間研究室に行かなければならなくなった。みんながお盆休みでほとんど空っぽの実験室で作業をすることになった。本当にひとりのときは泣いていた。

 旅行、といっても日帰りできる距離でどこかに行こうと思っていた。海が見たかった。しかしそんな時間もなく、全てが過ぎ去っていった。

 日に日に希死念慮が増していって、後半は帰りの電車で毎日泣いてはここから飛び降りようといろんなところから下を覗いていた。アパートの屋上に出る階段には鍵がかかっていた。やっぱりロープを買う方がいいかと思った。

 けれど、これらの作業もただ「出来ません」と言えばよかっただけなのだ。それが言えなかった。どうしてだろう。出来ると言った時はそれが本心だった。やった方がいいだろうなとも思った。でもいざやるとなると身体も動かず心も沈んだままで。

 結局休み方が分からないのだ。というか、わたしが休むなんて許されないことだと思ってしまう。他の人は帰省や家族サービスの為に休む必要がある。でも帰る実家もなければ会う友達もいないわたしが休む理由は?特になし。そんなふうに思ってしまう。ただ体を休めるのも大事だって分かっているはずなのに。他の人がそうしていたって、休めて良かったと心から思うはずなのに。

 どんどん人を信頼出来なくなっていった月でもあった。元々人が怖いから、心から信頼している人はいない。でもカウンセリングでは色々話そうとか、頼っても良さそうな場面では少しずつ頼れるようになろうとか、そんなことを心がけているつもりだった。
 けれどカウンセラーさんに言われたことに傷つき、うつ病だと知っている先生に心配の言葉をかけられることもなく、主治医も的外れなアドバイスばかり言う。もちろん同期が何か心配してくれるということもなく、代わりに実験を手伝うことになった。

 人のせいにばかりしているけれど、元を辿ればわたしが人に頼れず、困っていますとか助けて欲しいとか言えないというのが原因だ。でも、今年の前半は頑張っていたつもりだった。ちょっとこれを手伝って欲しいとか、話を聞いてもらうとか、少しずつ。でも結果としてそれを断られたり、何となく距離を取られたりするようになった。そして余計に人に頼るのが怖くなった。わたしが人に頼るなんて迷惑なんだ。それを突き付けられた。わたしのどういうところが良くないんだろう?たぶん間が悪いとか、態度がぎこちないとか、慣れてないぶんしつこくなるとか、そういうところかもしれない。そしたら練習でどうにかなるんだろうか。でも生身の人間相手に、一生懸命生きてる人間相手に練習ってなんだよ。

 重く考えすぎ?どうだろう。けれど孤立の足音が日々大きくなっていく。少し前まではまだ人と関わっても楽しいと思える時があったはずなのに。

 今は誰とも関わらずにひっそり生きていたい。もう休みたいな、誰にも気を使わずに。誰も知らない所に行きたい。人間、というものがどんどん苦手になっていく。人間がいない世界に行きたいな。


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