誰も悪くないけれど、たぶん許せない

 母親に対して複雑な感情を抱いている。
 母親はモラハラの被害者だ。働いていて、家計のほとんどを支え、家事も育児もする。父親は何もしなかった。気に食わないことがあれば怒鳴りつけた。

 母はそんな父と話し合うことに疲れたから諦めた、と言っていた。極力喧嘩になりそうな話題を避け、つい地雷を踏めば言い返す。または黙る。だからそんな母を見て父は私に母の悪口を言った。父がいないところでは、母が私に父の悪口を言う。

 間に挟まれたわたしはどうにか揉め事が起こらないようにと必死だった。なんとなく父の機嫌が悪くならない方法が分かっていたから、そのように振る舞い、にこにこして、言うことを聞き、先回りして手伝いをする。

 母はいつも忙しそうにしていた。仕事、家事、育児、全てしているのだから当然だろう。疲れた、が口癖だった。だから極力迷惑をかけないようにしていた。お手伝いをし、父との問題が起こりそうなら出来るだけ先回りをして。お母さんのこと、本当に可哀想だと思っていた。そしてそれは自分のせいだと思っていた。

 けれどお母さんは本当に可哀想なのだろうか?いや、確かに可哀想なのだけれど、同時に加害者でもある。子どもに仕事や家庭の愚痴を言い、気を使わせて、夫婦の仲裁を任せて。親の役割を放棄している、と言われても文句は言えないと思う。

 わたしが父に理不尽に怒られてもフォローも何もなかった。余計に怒らせるんじゃないかっておもったんだって。でも父がいない場所で話すとか、そういうことだってできた筈だ。全部全部言い訳だ。

 あまつさえ、わたしが自分の生きづらさを伝えたときも、「お母さんもあの頃死にたかったけど、子どもを遺していけないと思った」と言われた。そのときわたしの心は殆ど死んでしまったのだと思う。ああ、自分が生まれなければ良かった。存在を否定されたと思った。ちょっとした辛さについて話しても、すぐに話題を逸らされる。たぶん無意識だ。目に入ったもの、気になったものに気を取られるのか、わたしの話から逃げているのかはしらないけれど。

 だから、お母さんはわたしを見ていないのだと思う。わたしの面倒は見てくれる。でもそれは自分のためだ。わたしの生活を管理するため、罪悪感を減らすため、わたしが死なないか見張るため。それを感じるからお母さんがいると息苦しい。

 なにか傷つけるようなことを言ってしまったら言ってね、と言われた。でも挙げればきりがないの。それに伝えたって直らなかった。だからもうお母さんに本音を伝えるのは辞めた。元気なふり、いい子なふり。それだって傷つくけれど、やっぱりお母さんはわたしのこと見てくれないんだって思うよりマシだから。

 それでもお母さんを嫌いになれない。あんなに頑張ってくれたのに。それとも「こんなに頑張ったんだぞ」という無意識のプレッシャーに洗脳されているのだろうか。わからない。分からないよ。たぶん心のどこかでは物凄く憎んでいる。永遠に許せないくらい。でも嫌いなんじゃない、してくれたたくさんのこと、感謝してないわけじゃない。悪いひとだって思ってるわけじゃない。

 それにたぶん、ひとりぼっちになりたくないのだ。にんげんが嫌いなくせに。天涯孤独になる覚悟なんてないのだ。だからお母さんのことを拒絶できないのだ。もうこれ以上の傷は抱えられないよ。

 誰か助けて、でもその誰かなんているんでしょうか。親すら助けてくれなかったのに。


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