Contact
何かが触れる。神経がそれを感じて脳まで伝える。強すぎれば痛みになる。
何かが聞こえる。鼓膜が震えて脳が意味を感じ取る。鋭すぎれば傷になる。
外の世界は必ずわたしに触れる。他人は、他人の声は、他人の肌は、わたしに接触して影響を及ぼす。それは避けられない。それは物理現象であり、化学現象。
なにもかもを遮断して逃げ出したくなるときがある。脳が何かを感じていることさえ苦痛で、全てを消し去りたくなることがある。
かと思えば、外の世界が、街の明かりが、風の涼やかさが、誰かのひとことが、誰かの歌声が、誰かの作ったものが、わたしを嬉しくさせる。楽しくさせる。わくわくさせる。
触れられたくない、触れられたい、触れていたい、やっぱり触れたくない。僕のこころは揺らめく。風の前の灯火のように。
楽しいことだけ、美しいことだけ触れていられたらいいのに。しかしそれはありえない。運動の第三法則は、ひとのこころにも当てはまる。触れたら触れられるから。快と不快は密接に繋がっているから。死は不可避だから。
全てのものが裏表を持っていて、もしかしたらそれ以上に多面的かもしれない。わたしはそれに耐えられない。だから不安を恐れる。だから快楽を恐れる。何も触れない、何ものにも触れられない静止した時を求める。
片方だけ目を瞑ることが出来たらどんなに楽だろうか。でもわたしのウインクはへたくそだ。どうしたって両方が見えてしまう。それなら目を塞いでしまえ。
今日もまた、楽しいことに触れ、美しいものに触れ、反動を思い出し、憂鬱になる。それの繰り返し。
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