でも言えなかったので、

 小学生の頃、忘れ物をするとお母さんが届けてくれる子がいた。それもひとりとかではない。甘やかされているのかもしれないけれど、わたしはそれが羨ましかった。
 わたしは幼い時から不安を強く感じて生きてきたから、教科書を忘れるなんて大事件だった。先生に、忘れました、と言うまでの間ずっと苦しかった。怒られるかもしれない、というか、怒られるので、それがとても嫌だった。
 小学校には学用品を売っている売店があった。そこで後払いで商品を買えるらしいと誰かから聞いて、忘れたものを買えるか聞きに行ったことがある。もちろんそんなことをやっているはずもなく、あっさりと断られた。いま思えば馬鹿なことしてたなと思う。でも当時は必死だった。

 忘れ物をしてもお母さんに連絡しなかったのは、どうせ届けてくれないと思っていたから。仕事をしていたし、たかが忘れ物のために時間休を取ってくれるはずもない。わたしにとっては死にそうなほどの一大事だけれど、お母さんにとってはしょうもないことなのだ。怒られてくればいい、としか思っていなかっただろう。

 あとから、誰誰ちゃんのお母さんは忘れ物を届けにきていた、ということをうちの母も知ったらしい。わたしが小学校を卒業したあとの話だ。それまでは、忘れ物を届けに行ってはいけないと思っていたらしい。学校の先生に言われたから、とかそういう理由で。母は妙なところでルールに厳しい。手作りの雑巾を持ってきてくださいと言われたら、必ず手作りするタイプだ。別に買ったものを持ってきたって先生が親に文句を言うはずもないのに。そんなわけで、忘れ物を届ける親なんていないと思っていたらしい。

 本当は持ってきて欲しかった、と言うと、「あんたそんなこと言わなかったじゃない」と言われた。確かに言わなかった。だって断られると思ったから。それに、お願いしたいとも思えなかった。母に迷惑をかけたくないというのもあったし、どうせ聞いてくれないだろうとも思っていた。小さな頃から母にしたお願いというものはだいたいダメだと言われていた。だからこれ以上ダメだと言われて傷つくのは嫌だった。先生に怒られる方がマシだった。今日先生に怒られて辛かったということも一度も話したことがない。どうせ聞き流されるだけだと思っていたから。お母さんのこと既に信じていなかった。

 あんたが言わなかっただけ、というのは母親の本音なのだろう。わたしがどんな理由で言わなかったかなんてどうでもいいのだ。そのあと、お母さんも反省することはたくさんあるね、なんて言っていたけれど、その反省も的外れな上にすぐ忘れるだろう。ある意味で母を信頼している、悪い方に。

 機能不全の家は代々負の遺産を背負っていくみたいなものだね、ということを母に話した。すると意外なことに、そうだね、と返事をされたのだけれど、よく聞くとわたしの父親の家系の話だと思われたみたいだ。別に父親だけの問題じゃないと思うんだけど。母方の家も全く問題なしというわけではない。母親のきょうだいは全員離婚してるし。でもそれを棚に上げて、父親のことしか言わない。この人も結局、問題から目を背けたいだけなんだろうなと思った。

 少し前までは母親も変わろうとしているしわたしも母親に頼ろうと思ったりもしていたけど、それは間違っている気がしている。わたしは自分でわたしの問題を解決しないといけないし、母親もそうだろう。それに、母親は変わってくれるかもしれないという期待はたぶん裏切られる。幼い頃のわたしが正しかった。何も言わず、期待せず、当たり障りなく、信用せず。それが正しい距離感だと思う。

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