お母さんも親には向いてなかったのでしょう

 これまでわたしは、父親を毒親だとか悪い親だと思うのにはあまり抵抗がなかったけれど、母親に関してはそうではなかった。何度かnoteに母親の好きではないところを書いてきたけれど、心の中ではっきりと、だから悪いとか嫌いだとか思ったことは一度もなかった。それは今でもそうだと思う。

 でもやはり、何度も疑問に思ったように、決していい母親と言えるような母親ではなかったと思う。

 ひとつは父親からわたしを庇ってくれなかったこと。大人になって振り返ってみて、小さな子どもに対してあんなに声を荒げる大人を止めないというのはおかしなことだと思う。止めに入ると余計にひどくなったから、とは言われたけれど、それも結局保身ではないかと思う。止めに入ったことで何も変わらなくても、わたしは守ってくれたと思えたのに。でも、そんなことは一度も起こらなかった。一度も、というのが変なところだと思う。あとからわたしを慰めてくれることもなく、怒られる状況からわたしを逃がしてくれることもなかった。物理的には問題なくできたはずだったのに。

 わたしに対していつも愚痴を言っていたのも本当はしんどかった。職場で大変なこととか、疲れていることとか。おかげで物心ついた時には親には迷惑をかけるものではないと認識していた。ただでさえ仕事で疲れているのに、余計な負担をさせるのは良くないと思った。だから甘えたことはないし、わがままを言ったこともない。それに、大人の世界は疲れて楽しくないものなのだと思った。だから大人になりたくなかった。幼児のわたしの未来は真っ暗だった。将来の夢なんてなかった。

 変なところで過保護なのも、今思えば良くなかったと思う。友達と遊びに行った時は、その友達に対しても色々と口を出した。こうした方がいいとかこうしない方がいいとか。一緒にいるわたしは気まずかった。上手く言えないけれど、どうでもいいようなことばかり気にしているのだ。ピアノのレッスンに行くにも、5分前に着きそうになければやたらと心配していた。その心配は母親のものなのに、わたしを急かしてきた。別に時間に間に合えば誰も困らないのに。学校は楽しいかどうかよりも、友達に嫌な思いをさせていないかとか、先生の言うことを聞いているかどうかについてばかり気にされていた。母親が仕事に行っている間に宿題を終わらせていたのに、勉強している姿を見たことがないと言われたときにはあまりいい気はしなかった。

 母親の言動の中に、「わたし」という個は存在していないと思う。自分の子ども、というものは存在していても、わたし個人は認識されていないのだと思う。だから子どもに対してするべきだとされていることはしてもらった。食育とか絵本の読み聞かせとか塾に入れるとかそういうこと。体罰が良くないというのも、そう教わったからそう思っているのだと思う。わたしが何かを言えば、額面どおりに受け取り、その上しばらくするとそれを忘れる。例えばみんなの前で褒められるのが恥ずかしかったから褒められたくないと言ったら、そこから褒められることはほとんどなかった。どうして褒められたくないのかということについて考えはしなかったのだ。

 だから表面上はいい親に見えるし、わたしもずっとそう思っていた。けれど、わたしは実際には傷つけられてばかりだったのだ。わたし自身を見ていないおかげで、わたしが考える余地を作ろうともしなかった。わたしが感じていることを気にすることも、聞いてみようとすることもしなかった。わたしが欲しいものややりたいことを決めつけてばかりだった。

 わたしのことを考えてくれる人なんて一人もいなかったのだ、ということを認識するのは苦しい。けれどそれが事実なのだと思う。状況証拠はたくさん転がっている。わたしは誰にも大事にされていなかったのだ。少なくとも、わたしをわたしとして大事にしてくれる人はいなかった。

 別に母親が悪い人というわけではない。友達や部下には慕われているみたいだし、人としてはいい人だと思う。でも親というものに向いていなかったのだ。それは仕方ないことだし、それでもわたしは傷ついている。
 自分の傷に向き合うためには、母親も親として良くなかったのだと認識する必要があると思う。死にはしないけれど身体を蝕む遅効性の毒みたいなものだ。本当はまだ、お母さんのことをいい親だと思っていたい。でもそれにしがみついていては良くないと思うのだ。自分が幸せになるために。自分が自分を大事に出来るようになるために。

 うちの母親も、毒親ってやつみたいです。

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