鏡、反射

 またTwitterでボロを出してしまった。つまりはnoteに書くべき(とわたしが自身に課している)内容をTwitterに書いてしまった。主に自分も受けた心理的虐待と、それに多くの親が無関心であること、親という生き物と分かり合えないということ、である。
 こんな感じのやらかしは何度もあるが、その中で子を持つ人からリプライをもらったのは3,4回ある。そのことについて書きたいと思う。人の心理を勝手に分析するという下劣極まりない内容であるため、読む方はご注意ください。
 また特定できないようにしているつもりですが、心当たりのある方で、消して欲しい場合はご一報ください。




 まず、Twitterでうっかりボロを出してしまう時は、わたしとしては「辛かったね。大変だったね」と言って欲しい時である。しかしこれは裏の心理である。もちろんツイートからはそんなことを読み取れるはずもない。だからそんな言葉をかけてもらえないのは当たり前だと分かっている。

 次に表向きの心理としては、心理的虐待というものがある、それを受けた子どもは大人になっても精神疾患その他の病気にかかり最悪の場合死に至る、ということを伝えたい、ということである。それを言いたくなってしまうトリガーは、たいてい母親が子どもに言ってはいけないことを言っているのに、仕方ないよね、という文脈でRTされてきたときである。例えば、「つい子どもにあなたなんて産まなければよかったと言ってしまった。育児辛い」といった内容のツイートに対し、「育児って大変なんだから仕方ない。母親をサポートする制度が少ないのが悪い」と言った擁護の内容がリプライなり引用リツイートなりされ、それを子どもがいる人がRTしてきたときである。

 育児が大変なのは分かる。しかし言ってしまった言葉は取り返しがつかない。わたしは子どもの立場から、もしこの子が大人になって苦しむことになったら、と想像してしまう。だから子どもはその瞬間傷つくだけじゃなくて、一生苦しみ続けるんだよって親をやっている人に知ってほしくなる。だからついうっかりツイートしてしまう。


 さて、このような内容のツイートは大抵スルーされる。まあ仕方がない。それは問題ないことです。よその家に口を出す権利もないし、もともと知ってたならそれで良いのだから。



 問題はリプライをもらったときである。数回しかないと先に述べたが、そのもらったリプライの内容は要約すると「自分も自分の親に同じことをされた。辛かったので子どもには気をつけている。しかし育児は大変であるので完璧には出来ない」というものだ。しかも100%、すべてのリプライがこんな感じであり、しかも複数のツイートに渡る程度の長文だった。n数が少なく対照群なども存在しないので統計的にどうこうとは言えないが、ここまで人の意見って一致するもんかね、と驚いた。


 考えたことのひとつめは、何か心当たりがあるんだろうな、ということである。つまり子どもを傷つける言動をしていないか不安なのだと思う。だからわたしにリプライを送って、あなたは大丈夫ですよと言ってもらいたがっているように見えた。もちろん勝手な主観だけれど。もちろん、ほとんどの親は自分の子育てで問題ないか不安だろう。不安でない方が問題であると思う。しかしわたしは辛かった過去を訴えているのである。それに対して私も私も、とリプライをし、さらに言い訳めいた自身の育児について語るのは些か不穏な空気を感じる。

 ふたつめは、全て自身の親に対する文句が含まれていたことである。わざわざ人に伝えるくらいだから余程傷ついているのだろう。しかも、その傷に対してなんらかの決着がついていないのだと思う。だからわたしのツイートが引っかかり、リプライを送ってしまう。決着がついていればツイートをスルーするか、辛い経験をしたんだね、といったわたしを気づかう一言とともに自身の意見を述べるのではないかと思うからだ。
 さらに全員の共通点として親と同居・近居をしていると想像されるツイートをしているということも挙げられる。そんなに嫌いな親なら離れて住んだらよろしいと思う。しかしなんらかの理由で出来ないからこそ、わたしにリプを送りたくなるくらいストレスが溜まっているのだろう。

 そのような、自身の親との問題をおそらく解決出来ていないような状況で、自身の子どもと健康的な親子関係が結べるものだろうか。確かに本やインターネットで情報は容易に手に入るようになった。しかしそれを理解したり自身の問題として解決への努力を行うのは容易なことではない。わたしにリプライを送ってきた人はそれを避けている、または解決が必要であることにすら気づいていないように思える。それなのにわたしはこんな風に頑張っています、とか育児って大変なんだ、とかってリプライを送ってこられても余計に傷つくだけだ。あなたのお子さん、本当に大丈夫ですか、わたしみたいになりませんか、って。子どもたちがどうか傷つかずに成長することを祈るしかない。全てわたしの杞憂であることを祈るしかない。

 また彼女たちの共通点として、怒りのツイートやRTが多いように思える。これだから政府は、これだから男は、といった内容の。でも怒りだけでは何も解決しない。もちろん解決の原動力にはなると思うけれど、そのために何かを理論的に考えたり行動したりといった様子は見えない。やはり自身の親子関係その他の問題に無意識に振り回されているのではないか、と思ってしまう。


 実際にはこんな内容をリプライすれば大惨事である。だから育児頑張ってるんですね、すごいですね、といった内容の返事をする。出来れば気づいて欲しいな、と思って、でも子どもの傷つきって一生なんですよ、といった内容を忍ばせることもあるけれど、こちらはスルーである。まあ仕方ないよな、と思って分かり合うのを諦める。Twitterで議論なんかしても無駄だ。それにどうにかするのはわたしの仕事じゃない。

 そもそもどうにかしよう、なんてことが烏滸がましい。ついうっかりTwitterでボロを出すのも、リプライにこんな長文で怒っているのも、結局わたしも親との関係に決着をつけられていないからである。きっとお互いに自分の辛さを見てそれをぶつけ合っていたにすぎないと思う。お互いが鏡で、相手に何か言っているように見えて自分しか見えていない。

 わたしはそれを自覚していること、治そうとしていること、そしてなにより子どもがいないこと(多分一生持つことはないだろう)、という点で彼女たちと違うと思っている。しかしはたから見れば我々は同じ穴の狢であろう。

 こういった無駄な傷つきを生まないためにも、とりあえず今後一切お子さんがいる人にはフォローバックしないことに決めた。その他ノリが合わない人もしない。せっかく人と繋がるためのSNSなのに、それを捨てているのはもうTwitterをやる意味がないのではと思うけれども仕方がない。いつか辞める日が来るかもしれず、その方が健全だと思うけれど。

 わたしのことはコンテンツだと思ってくれたら良い。たまに絵とかハンドメイドとか文章とかを落としていく謎の袋だと思って欲しい。わたしのツイートに人間性を感じないで欲しい。そもそもわたしはにんげんに擬態しているだけの謎の生き物なのだから。

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