SNSで救われるのか

 カウンセラーさんに、気持ちを分かってくれるひとがいなくて辛い、という話をしたときに、SNSなんかでは同じような気持ちのひとと繋がれるよね、でも悪いループに入ってしまうこともあるからおすすめはしない、というようなことを言われた。

 わたしはいわゆる病み垢というやつを持っていて、精神疾患で悩んでいるひとを何人かフォローしている。だから毎日死にたいとか生きるの辛いとか、そういう投稿を目にする。わざと追いかけるかのように、たまたま流れて来たフォローしていないひとの投稿までチェックする。

 それでわたしの病気はカウンセラーさんの言うように悪くなっているのだろうか?はっきりとは分からない。けれど、悪くなっている訳ではない、と思う。

 病み垢のタイムラインを眺めているのは、大抵そもそも体調が悪い時。ベッドから動けなくてひたすら画面をスクロールする。病み垢を見ているから悪くなるんじゃなくて、悪くなっているから病み垢を見るのだ。これのおかげでああ、今調子悪いな、と気づくこともある。
 確かに自傷やODは引っ張られる事もある。しかし病み垢がなければやっていなかったのか?と言われるとそうでもないと思う。去年の今頃、未遂した時はアカウントからログアウトしていた。それでもやるものはやる。ひとりぼっちだと思い詰めたほうが余計に苦しくて、同じようなひとたちの言葉を眺めていられるから耐えられることもある。


 わたしにとって、逆に健全だと思われそうな趣味垢のほうが見ていて苦しかった。まず大抵のひととは考えが合わない。それもそうだろう、精神疾患のひとがそう多くいる訳でもないし、わたしは色んな点で多数派とは異なっているから、余計にひとりぼっちだと思わされた。わたしは推しの為に生きてたり推しがいるから希死念慮がなくなったりしない。盲目的に好きな訳でもない。だから同じ趣味を持っていたってあんまり共感できない。
 それに当時は運悪く、趣味のコミュニティが狭い上に苦手なタイプのひとが多かった。なのにわたしは趣味が同じだからというだけで頑張って仲良くしたり愛想良くしたりご機嫌取りのようなことをしていた。たぶん親に対するのと同じようにしていたのだろう。苦手なひとほど、自分を守るためなのかそういう行動を取ってしまう。初めは良かったけれど、みるみるうちに精神状態は悪くなっていった。もしかしたら趣味の話だけしている場なら良かったのかもしれないけれど、そんな場所ではなかったから。

 しまいにはタイムラインを見て号泣するとか自傷するとかまでいってしまい、もう無理だなと思ってアカウントを消した。一見健全に見える趣味垢の方がわたしの心も体も傷つけたのだ。


 馬鹿と鋏は使いようだし、SNSも使いようなのである。「普通の人」であればあるほど、「普通の」アカウントをイメージし、病み垢なんてとんでもないと思うのだろう。実際大抵のSNSは自傷の恐れがあるときは警告されたり凍結されたりする。けれどそれに救われているひと、少なくともマシになっているひとはいるし、全く病み垢なんて関係のない健全そうなアカウントのおかげで追い込まれているひともいるだろう。もちろん逆のことだってあるけれど。人間はいつだってお互いが想像の向こう側にいて、見えないところがある。それを認めずに明るいところばかり見ていたら、救われないひとだっているんじゃないだろうか?

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