無料のキャバ嬢

 わたしの父親は毎日煙草を吸い酒を飲む、昭和からやってきたような人間だった。しかしそんな父親は、女遊びをしていた気配はなかった。仕事は毎日定時で上がって真っ直ぐ帰ってくるし、土日はずっと家にいる。浮気のひとつでもしてくれたら母親は愛想を尽かしてわたしを連れて家を出て行ってくれるかと思っていたけれど、そんなことは起きなかった。

 ふと、小学生のわたしは上手に水割りを作れたことを思い出した。全部父親好みに、ウイスキーや焼酎を割って、氷も適切な量を入れて。父親の酒のコースは大抵決まっていた。最初はビール。9%の缶チューハイだった時期もあった。その辺りを2、3缶飲み干した後、ウイスキーか焼酎を飲む。最初から最後まで、酒を用意するのはわたしだった。缶を飲み干すと、父親はその空き缶を持ち上げて軽く振る。もちろん無言だ。わたしはすかさず立ち上がってそれを受け取り、新しいビールを取る。出来るだけご機嫌な声で、「同じのでいい?」と聞く。そして指示されたとおりの酒を持ってくる。
 そのあとは同じソファでテレビを観る。話しかけられたら愛想良く返事をする。そうなんだ、すごいね、へー、みたいに、意味のない返事をする。たまには議論することもあったけれど、それは全部「ごっこ」だ。父親の機嫌を損ねないように、自分の意見らしきものを言いつつも相手を持ち上げる。最後には父親が正しい、すごいと言って終わる必要がある。
 酒が進むと口数も増える。その頃にはウイスキーになっている。何故かロックよりも水割りを好んでいた。ちょうどいい割合になるように教えられた通りに水割りを作る。飲んだこともない酒を注ぐのは慣れっこだった。

 そんなことを考えているうちに、わたしは父親専属のキャバクラ嬢をやっていたのかもしれない、と思った。本当に働いている人からしたら生ぬるいかもしれないけれど、やっていることって似ている。酒を飲ませて、おだてて、気分よくして。違いはお金を貰えないこと。わたしの場合、対価は僅かな安寧だった。しばらくの間怒鳴られないという保障。でもそれも踏み倒されることは良くあった。

 セクハラもされたことを思い出す。思春期になって胸のことや彼氏がどうのとか、二次性徴について揶揄われた。いま思い出しても怒りすら湧いてこないくらい、そんな環境に慣れきっていた。とにかく、怒られるのか怖かったから、機嫌良くしてくれるならセクハラくらいどうでも良かった。

 きっと父親はわたしの接待にある程度満足していたから、女遊びをしなかったのだろう。そもそもそんな夜の街に出掛けられる度量があるのかも知らないけれど。

 なんて徒労。本当に。父親が払う生活費や学費なんてたかが知れていたから、毎晩遊んで家に帰って来なければ良かったのに。そしたら家は平和だったのに。

 ちゃんと子どもらしく生きてみたかったな。

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