分かって欲しい、のだろうか

 疲れた。なんだか疲れた。
 僕は分かって欲しいのだろうか。


 病気だから出来ないことがたくさんある。講義に出ること、メールを送ること、規則正しい生活、そのほか。出来ることもある。好きな趣味、ひとまえで元気そうに振る舞うこと。

 だからか、ほかのひとには僕の辛さを分かってもらえない。たとえば骨折しているひとだったら、ひとめで大変だと分かってもらえるだろう。風邪をひいて熱があるなら、動けない理由だって分かる。癌になったら、心筋梗塞で倒れたら、エトセトラエトセトラ。きっとみんな、「大変だね。辛いんだね。無理しないでね」と言うだろう。

 でも鬱や不安障害や、その他の精神疾患だったら?僕は前者のふたつを患っている訳だけれど、それを知っているひとはあまり多くない。仄めかしただけのひとはそれなりにいる。全く知らないひともたくさんいる。
 僕の病気のことを知っているひとでも、僕を気遣うことはあまりない。そのひとたちの優しさなのだと思う。病気のことに触れないでいることが。でも他の病気の人に対しては、「大丈夫だった?」と声をかけたり、体調が悪くないか心配したりするのではないだろうか。
 僕が好きなことはできて学校のことは出来ないものだから、サボっているだけでしょうなんて空気も感じる。みんなの前では元気に振る舞えてしまうし、そうできないときは家から出ないから、みんな元気な僕しかみない。だから、なんだ病気はすっかり良くなってるんだ、と思うのかもしれない。


 それがとてもとても苦しい。僕は僕なりに一生懸命頑張っているつもりだ。出来ないことは沢山あるけれど、そんな自分でもいいよね、と思うようにして、出来ることに目を向ける。日々の小さな「出来たこと」を積み重ねて明日を生きようと頑張っている。でも普通のひとにはそんなこと当たり前過ぎて、努力だとは思ってくれなくて。


 布団にくるまって、外から聞こえてくる話し声に怯えているとか、お風呂に入る元気もなくて動けないとか、ひとがたくさんいる講義室が辛いとか、耳に入ってきてしまう会話のひとつひとつに棘を感じて嫌だとか、そんなこと普通のひとたちに理解される訳がない。一度目が覚めても眠くて怠くて再びベッドに潜り込んでしまうことなんて、理解される訳ない。


 たぶん多数派のひとは異端者が邪魔なのだと思う。理解できないから。それで理解できる枠に無理やり嵌め込んでレッテルを貼って、てきとうにあしらうか、除け者にするか、いじめるかする。そんなのもう疲れた。どうして僕ばかりが自分のことを説明し、相手の事情を考え、優しくにこにこして、できるだけたくさんのひとが快適に過ごせるよう気を使うんだろう。結局みんな何も考えてないくせに。

 だから疲れたし、にんげんを信じたくない。

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