甘えてみたかったな

 前のnoteと内容は同じだけど、もっと書きたいことがあったので。

 お母さんはわたしを愚痴聞き役にする。お父さんが小さなことでキレる。そして煙草を吸いに外に出ると、お母さんはわたしにあんなに言わなくてもいいのにね、と言う。そうだね、とわたしは頷く。お父さんに直接言ったらいいのに、と思いながら。でも言えなかった。いや、何度かは言ったけれど聞き入れてはくれなかった。
 お父さんも同じことをした。お母さんと喧嘩した後、お母さんもひどいよなということをわたしに言いにきた、わざわざわたしの部屋まで。喧嘩の内容はよく知らなかったけれど、とりあえずうん、と頷いた。わたしは二人の間で何もできなかった。

 お父さんは愚痴か自慢話しかしない。部下への文句、自分が上手く仕事をやった話、マンションの理事長をやって自分が色々改革したとか、そんな話。お母さんもおんなじだった。仕事であった大変なこと。でも上手く行ったことや行かなかったこと。そこで自分がやったこと。大学へ行くのに勉強しなかったと後悔していること。中学まではトップの成績だったけど、親戚に反対されて短大に行くことにしたこと。

 ぜんぶ、知らねえよ。

 わたしになんの関係があったのでしょう?わたしはそれらを知らなくてもなんにも困らない。知ったせいで苦しかったことはたくさんあった。おばあちゃんの介護どうしようとか、おばさんの離婚がどうなるかとか、わたしにはどうしようもない話をたくさん聞かされて。何もできない自分を責めた。知らねえよ、と言うにはわたしは弱くて優しかった。

 でも、もう知らんし。親の問題は自分たちで片付けてくれよ。話を聞かされるこっちの気持ちも知らないでずっと愚痴を言ってるんだから、こっちだって知らないよ。


 お母さんは、ゲームが大好きだった。いわゆる落ちゲーというやつ。私が子どもの頃はテトリスにはまっていた。仕事や家事を終えて、ひと休みにテトリスをやっていた。やりながら人と話すのはお母さんには難しいことだった。わたしが話しかけても、生返事で話を聞いてくれてはいなかった。ゲームが終わる頃にはわたしは寝る時間だ。少しは話を聞いて欲しかった。さみしかった。そのときは、仕事で疲れているお母さんには息抜きが必要だよね、と自分を納得させていた。でも本当は寂しかった。子どもだから、もっとこっちを見て、と言う権利はあったのに、そうしなかった。もっと構ってほしかった。もう、お母さんに言いたい話はなくなってしまった。

 そうやって、して欲しいことはしてくれなくて、愚痴ばかり聞かされて、子どもの頃からずっと疲れていた。子どもは疲れ知らず、なんて言葉は嘘だと思っていた。朝起きた瞬間から眠くて憂鬱で、休み時間は教室で大人しくして、家に帰って少しの自由時間の後、親の相手をする。疲れてるのに。あれ、これは親が思うことなんじゃないだろうか?わたしは親の、心理的な親をやっていたんだろうか。

 ずっと疲れている。疲れた。その結果がうつだ。うつで休んで半年、この頃やっと、たくさん眠れるようになってきた。でも夜の睡眠時間は短い。昼間に分けて寝ている感じだ。このまま疲れが減ってくれるといいのだけれど。良くなっているかは微妙なところ。復帰したいような、まだ休んでいたほうがいいような。でも、そうすると親とのつながりが長くなる。上手くやれない。動き出すべきかもしれないけれど、方向がわからない。何からしたらいいのか分からない。

 親からはたくさん愚痴とか相談っぽいことを言われてきたけど、わたしが相談したことはないな。どうせ的外れな答えしか返ってこないし、というか、話を乗っ取られて愚痴で返されるだろう。つくづく、愚痴が大好きな親たちだと思う。わたしは愚痴が嫌いだ。

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