勉強は好きだけど、学校は嫌いかもしれない

 わたしは大学生だ。けれどあまり講義には出ていない。よくイメージされる「遊んでる大学生」ってやつにみえるかもしれない。

 そもそもなぜ講義に出ていないのだろう。
 ひとつめ、朝起きられないから。間に合う時間に目覚めるけれど、どうしても眠すぎて二度寝したりしてしまう。そうすると午前の授業はさようならだ。
 ふたつめ、面倒臭い、というか、行こうと思うと行きたくないよ……!とわたしの中の誰かが怯えたように言うから。言葉で表現すると「面倒臭い」で終わってしまうことなのだけれど、よくよく心を見てみると「怖い」という感情も隠れている気がする。どうしてかは分からない。
 みっつめ、授業がつまんない。いや、先生によっては面白い人もいるけれど、じっと椅子に座っているのが苦痛な授業も多いのだ。それが苦しい。だから行きたくない。

 対策めいたなにか

 とりあえず行ってしまえば?
 出来なくもないけれど、持続性もない。途中で絶対行くもんか!!!と謎の意地が発動してしまう。結果同じだ。
 内職したら?
 まあそれもありかも、と思うけれど、内職してると先生が怒らないか怖いし、その上授業の内容も入ってこないから二重に無意味だ。
 代返頼んじゃえ
 友達が、いないんです……
 というのもあるし、そういうズルは良くないっていう潔癖なところもある。だから無理。

 ここまで書いてみると、でもでもだってのオンパレードだ。けれど高校までは病欠以外で休んだことはないし、授業も真面目に受けている方だった。自由だ、と言われる大学生になって初めて「講義というものに拘束されるのが嫌いなんだ」と気がついた。

 いつかの記事にも書いたとおり、勉強そのものは好きだ。新しいことを知って、すでにある知識と結びつけて、さらに別のことを思いつく。問題を解けたら嬉しい。考えているのも楽しい。
 しかしそれを自分のペースで出来ないのが苦痛なのだ。興味を持ったところを深掘りしたい。離れたテーマでも繋がりを見出したい。けれど講義はシラバス通り勝手に流れていく。大学の先生は学生の顔や名前は知らない。そんな他人事どうし、うまくいくわけなんてない。


 学校に行かない自分を責めていた。成績にも響くかも。怠けている子だと思われるかも。けれど、それが本当に一番大事なこと?大事なことは勉強すること。知識を手にすること。その手段は何でも良いはずだ、特に大学なら。

 少なくとも、怠けていると自分を責めるのは不毛だ。責めている時間の分だけ何も出来なくなって落ち込んでいく。それならその間好きなだけ勉強したらいい。そうでしょう?

 ずっと周りの顔色を窺って生きてきた。怒られないかどうかばかり考えてきた。そろそろ自由になっても良い頃だよ。もう良い子辞めていいよ。好きなこと好きなだけやろうよ。大丈夫だからさ。

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