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父親を自己愛性パーソナリティ障害という視点から考えてみる

 我が家はいわゆる機能不全家庭だ。特に父親の機嫌一つで家の空気がガラッと変わる、モラハラタイプの家庭だった。

 この頃、自己愛性パーソナリティ障害という言葉を見るようになった。もっと前から知ってはいたのだけれど、自分の中で整理してみようという気になったので、noteに書いてみる。素人の書いていることで、また家庭の事情に関しては事実と異なる部分も混ぜているので、その点ご注意ください。

 まずは自己愛性パーソナリティ障害がどのような基準で診断されるのかを見てみる。

自己愛性パーソナリティ障害の診断を下すには,患者に以下が認められる必要がある:誇大性,賞賛の要求,および共感の欠如の持続的なパターン


このパターンは,以下のうちの5つ以上が認められることによって示される:
① 自分の重要性および才能についての誇大な,根拠のない感覚(誇大性)
② 途方もない業績,影響力,権力,知能,美しさ,または無欠の恋という空想にとらわれている
③ 自分が特別かつ独特であり,最も優れた人々とのみ付き合うべきであると信じている
④ 無条件に賞賛されたいという欲求
⑤ 特権意識
⑥ 目標を達成するために他者を利用する
⑦ 共感の欠如

DSM-5より 番号は筆者が付記

 これはあくまでも診断基準で、訓練を受けた医師が判断しなければ自己愛性パーソナリティ障害(NPD)の診断にはならない。しかし今回は自分がされたこと、自分の家庭環境がどのようなものだだったのか?を考えるための客観的な指標のひとつとして参考にしてみたいと思う。

 

 まず、①の誇大性について。これは父親の言動から感じることがある。父親は「自分の頭が良い」ということを事あるごとに主張する。クイズ番組で答えを言うこと、子どもに勉強を教えること。すべて「俺が正しい」という態度で話していた。

②の途方もない業績……の部分。これは微妙だ。ただ仕事では重要な役割(本人曰く頭の良い自分にしか出来ないこと)を与えられているといったことを口にする。どこまでの空想を抱いているかは知らないが、少しは当てはまるだろうと思う。

③自分が特別、最も優れた人物と付き合う……これはとても当てはまっているように思える。長い間、父親は仕事場で一番学歴があった。その点に特別さを見出していたのは確かだ。また、定期的にかなりのお偉いさん(官僚みたいなイメージ)の人と仕事をする時期があって、その時は毎日のように〇〇さんと知り合いで〜俺は△△さんに認められて〜といった話をしていた。

④無条件に称賛されたいという欲求……無条件に、かは分からないが、少なくとも知識をひけらかした時や自慢話になったときは凄いねと言わなければならない空気があった。母親は面倒くさがっていたため、自分がその役割を担っていた。また自分がいかに無能な部下の尻拭いや教育に苦労しているか、学のない現場の人をまとめ上げる手腕を磨いてきたかなどについて労いの言葉をかけ続ける必要があった。

⑤特権意識……これは③に関連してあるように見えた。俺は有能だ、なのに上司はそのことを分かっていない、といったことをよく話していた。

⑥目標を達成するために他者を利用する……仕事の場では分からないが、「自分は頭が良い」という感覚を補強するために私を利用していたとは感じる。私は地元では珍しく高偏差値の大学に入ったからだ。その時はあれ程嫌っていた親戚付き合いも率先して行って私を連れ回し、職場の人にも報告していた(お祝いを沢山いただいたから分かる)。

⑦共感の欠如……は、親元を離れた今だから感じる。未就学児に対して、使えない(ブラック企業の上司が部下に言っているのと同じトーンで)、などと怒鳴りつけ号泣させたり、助手席に幼児を乗せた状態で煽り運転をするなど、冷静になったら有り得ないだろう。可哀想だ、という気持ちが先に立つと思う。普通は。なので人に共感などすることはないのだろうと思う。

 また、母によると結婚するとすぐこのような態度は現れたとのことで、比較的若い時からNPDの特徴を持っていたと考えられる。

 次に、なぜこのようにNPDの特徴を持つに至ったのだろうか。これに関しては、ego様の以下の記事を基に考えてみる。

 NPDの特徴は「加害者本人が無意識に抱えている想像を絶するほどの劣等感」を持っていることから生じる、という考えがあるとのこと。私はこの視点に立って、さらに考えてみようと思う。

 無意識に抱えている劣等感は自覚するのが辛い、というより、自覚してしまったら終わり(社会的、精神的、そして最悪の場合人生そのものが)だと思う。だからこそあの手この手を使ってその無意識に気がつかないようにする。

 例えば母親と仕事のことで言い合いになった時(両親は職場は違うが職種が同じだった)、多少専門性の違いがあるからお互いの得意不得意があるはずなのに、母親のどんな意見にも反対し俺の方が正しいと主張していた。
 また、ある番組で子どもの知能は母親譲りではないかという研究が紹介され、母親が冗談でじゃあ〇〇(私)が良い大学に入ったのは私のおかげなんだ、と言ったら激昂したらしい。自分の才能を否定されたと感じたのだろう。

 なぜ父親はこのように自身の才能を過大評価するようになったのだろうか。父親は実家のことをあまり語らないが、どうやら父親の父親(私の祖父)は厳しい人のようだった。父親以外のきょうだいもグレたり引きこもったりした経験がある。祖父は私たち孫には優しいが、テレビの操作が上手くいかないなどでキレることがあり、父親にそっくりだと感じる。
 また父親は長男だったこともあってか、母親(私の祖母)には甘やかされて育ったようだ。正確には過保護だったと思える。祖母の話を聞く限り、たくさんの労力をかけて私の父を育てたようであり、それが自分の愛だ、感謝しているであろう、と考えているように思える。実際は教育虐待に近いような過干渉タイプだったと思う。

 厳しい(そしておそらく放任の)父親と過干渉の母親、という組み合わせは子どもにかなり悪影響らしい。父親もその悪影響を受けていることはほとんど間違いないだろう。その過程で自分は才能があるんだという思い込みや、不安感を植え付けられたのではないかと想像する。

 本当は才能がないと薄々分かっていながらも、それに気づくと全てが終わるからあの手この手で否定する。そしてその気持ちが、なんとなく分かってしまう。

 父親に否定的な言葉を言われて育った私は自分に自信がなく、いつ怒られるかとびくびくしている。それが悪化し不安障害と鬱病になった。普段は怒られたりしなくても、注意されたり、たまに運悪く八つ当たりされたり、試験に落ちたりする。その時現実を受け止めきれずに、私の場合は酷く落ち込んだり自傷行為をしてきた。また常にびくびくしているせいで、引きこもりがちになったり友達が少なかったりする。
 それが裏返ってしまったら?と怖くなる。何か注意されたときに逆ギレしたり「あいつらは馬鹿なんだ」と自省しない人間になるかもしれない。少し友達に揶揄われただけで、怒鳴り散らしたりネチネチとした長文ラインを送るかもしれない。そして一番怖いのが、自分より弱い立場の人、後輩や部下が出来た時にハラスメントしないだろうか、ということである。
 今のところそんなことはない……と周りの人は言ってくれているが、一歩間違えたら父親と同じルートを辿り、沢山の人を傷つけるのだ。こうした機能不全家庭は連鎖すると言われるが、それも頷けると思った。私の不安は父親から怒鳴られたことが大きな原因だし、父親の生育環境もあまりよろしかったとは言えない。


 NPDは本人が自覚し直したいと思わない限り治療は無理のようだ。本人に直接伝えてもメリットはない。確かにそうだと思う。ただ一度だけチャンスをあげたいと思う。それは他の家族とも合意しているのだけれど、両親が離婚する時だ。事実だけを伝え(NPDの話はしない)、それ以降全く関わらないようにする。その時には役所や警察と連携して父親が近づいて来ないようにする。危害を加えられないように、もう二度と会わないように。
 そこから自分を見つめ直すのか、それともこのまま孤独に暮らすのか、それは本人の勝手。幸せになろうが不幸になろうが私には関係ない。

 私はきちんと、私の中の劣等感やトラウマと向き合って、自分が生きやすくなるように、周りの人と穏やかにやっていけるように、少しずつ進んでいきたい。

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